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1997年2月レポートから

知識獲得の勉強におぼれないように

知識欲も地位・名誉・金銭欲と同じ

(中略) セッションにおいて、「知りたい、知りたい、知りたい」というエネルギーをまとってやってくる人がいます。人によっては宗教・新宗教のエネルギーをたくさん身に付けてやってきます(入会していなくても、本を読んでいるだけでエネルギーを引きつけています)。こういう人にはなるべく遠慮していただきたいので、「私のセッションではリーディングをしていません」と何度も言っているのです。こういう人が一人やってくるだけで、事務所のエネルギーが急変し、浄化にかなり時間が取られてしまいます。

「知りたい、知りたい、知りたい」という人のほとんどは概念のエネルギーが頭を覆っており、自分で自分を苦しくさせています。ほとんどの人が大量の本を読みあさり、「何が本当か分からない」と勝手に混乱しています。本を読むことにより、概念をすっきりさせ、軽くなろうと思っているのでしょうが、結果は概念がより固まるだけで、さらに苦しくなっていきます。大量の本はそれぞれ読むべき人に読まれるために存在しておりますが、自分がすべての本を読む必要はありません。自分にとって必要なのはその中の一部です。もっとも、私自身はほとんど本を読んでいません。時々、「○○の本はどうなんですか」というような質問をする人がいますが、私は本のタイトルすらも知らないことが多く、こういう質問はしないようにしてください。

こういう人の知識欲のエネルギーはあまり気持ちよくはありません。自分を見失い、判断を書物に預け、人を見下ろし、何かにすがり、宗教的なエネルギーとかなり類似しています。純粋な好奇心のエネルギーは神に繋がり、自分を成長させ、自分の宇宙を拡大させていきますが、エゴに染まった知識欲は自己中心的で、愛や癒しに無関心であり、理屈ですべてが解決できると思い込む憐れな人間を作り上げていきます。目をらんらんと輝かせ、少しでもよい獲物を手に入れようとにらみ続けているエネルギーです。たくさんの知識を身に付ければ、より多くの真理を手にできると勘違いしており、その知識を人に自慢し、エゴを増長させることばかりを考えています。真理は人によって違う、ということに気づくことができないのでしょう。

知識欲旺盛な人は、自分だけの真理、自分だけの宇宙をつくることにもっと意識を向けてください。本の情報は一つのヒントにしかすぎず、本当に自分にとって必要な情報は直接、自分にしか与えられません。現実が自分の心の映しであることにもっと意識を向けることが必要です。私のワークショップも、情報ではなく、エネルギーに重点をおいているのもこのことからです。所詮、情報はその時々によって違います。私たちの意識レベルによって与えられる情報が違うからです。古い書物を読んでも、もう時代に合わないものがあり、注意が必要です。

過去世の持つ意味を正しく理解する

私のセッションでは夫婦やパートナーの過去世を教えるとか、使命をそのまま伝えるということは一切、しておりません。癒しのためやエネルギー体の修復のために過去世を使うことは時々やっています。本人の癒しのために、本人が真剣に望んでいるときには過去世が出てきますが、単なる興味半分のときには、過去世が教えられることはないのです。このことに関し、先日の集中セミナーにて、「家族の過去世とかを知りたい」という、してはならない質問を天にした人がいました。その時の回答をここに載せます。

私たちはあなた方の過去世をいちいち教えるということが禁じられている。なぜならば、今の地球人がその使い方をまだ理解しておらず、間違って使っている人が圧倒的に多いからだ。過去世を知らなくては現世を正しくできないという考え方自身が間違っている。過去世を知らなくても、良き人生はつくれる。過去世の所為にしたりするのがまずおかしい。また、それを聞き出したところで、それを癒しの方向に使っている人間がほとんどいない。単なる興味で終わってしまい、おかしなことがあると過去世の所為にして逃げている。過去世で仲が悪かったから、今の仲が悪い。そうやって正当化している。そういう言葉はもう聞き飽きた。

何のために過去世を教えてやったのか。私たちは何度も何度も裏切られた。何度も裏切られた。所詮、あなた方の判断の仕方がいつもそうなっている。何かほかの所為にして自分を正当化しようとか、楽な方法を見い出そうとか。目の前に自分と違うタイプの人間がいても、その人間を許し、ごく普通に接していく。これは当たり前であり、過去世で夫婦であろうと親子であろうと、それは関係ないことだ。

ほかの人にも伝えておくが、ここのセッションで過去世を教えたことはほとんどない。それは受けてきた者全員に聞いて、確認してみたらよい。それは私たちの望んでいないことだからだ。ただ、癒しのために、過去世を使って癒したことはある。しかし、ただ単に親子の過去世はこうだとか、夫婦の過去世はこうだとかいう、興味半分の過去世を教えたことは一度もない。全員、同じ基準で行なっている。どうしても知りたければ、他のヒーラーのところに行けばよい。

あなた方にとって必要なのは、現実をどのようにもっていくかであり、過去世を知ることとは直結しない。そこに逃げてはいけない。しっかりと三次元生活を行なうことだ。本質を間違ってはいけない。ほかにも、同じような間違いをたくさん人間は行なっている。トラウマの所為にしたり、別のエネルギーの所為にしたり、闇の所為にしたり。それはすべて自分から逃げている。何かの所為にしている。すべての原因が自分だということにまだ気がついていない。造ったのも自分だということにまだ気づいていない。

何かの所為にするのではなく、今の自分そのものを変えていくという努力をまず行なうことが必要だ。自分自身をもっと真剣に見つめるように。自分を見つめようとしない限り、その人生の癒しは何も行われない。

自分がどうして良いか分からない

セミナーにて、「自分のやっていることが良いか悪いか分からず、何が光で、何が愛か分からず、いつも不安で、迷っています」という質問に対しての回答。

光を身に付けていないものはここに来ることはできない。ここに来ている以上、あなたは光を身に着けている。愛を人にあげようと思っているとき、その愛は本当の愛ではない。これは皆にも理解してもらいたい。愛は単純に自分から相手に何かを渡すといったものではない。まず自分が本当に今、生かされているという喜びを感じ、宇宙に感謝をし、地球に感謝をし、自分が今、十分に満足している。生かされていてとても嬉しい。幸せである。まずは自分がそういう波動を出していることが必要となる。

自分がその波動を出していれば、その波動が周りに広がっていく。周りに独りぼっちの人がいれば、満足しているという波動がそこに伝わっていく。独りぼっちと思っていたものが、何となく宇宙で喜んでいるという波動を感じるようになってくる。独りぼっちと思っていたが、宇宙の皆と一緒に生きているという風に思いが変わっていく。相手は宇宙に生かされているという愛を感じてくる。本人が愛を感じた瞬間に、その愛は広がっていく。本人が出した愛の波動が本人からあちこちに流れていく。そして自分の方にも伝わってくる。自分は愛を感じる。お互いに愛を感じる。

愛は何かを渡すとか、あげるとかいう物質的なものではない。何かをあげようと思った瞬間にそういう欲のエネルギーが相手に流れていく。相手は気持ち悪くなる。頭が痛くなる。胸が締めつけられる。まったく愛を感じない。自分だけ勝手に、愛を与えたと勘違いしている。したがって、日本人は、私はあの人を愛しているとか、あの人に愛をあげたといっている言葉の裏には、真実の愛は入っていない。むしろ、私は今、宇宙に生かされて嬉しい、という言葉を出した瞬間に愛が広がっていく。あまりにも愛という現象にとらわれ、それで身動きできなくなるようなことはしないように。

不安を感じていると、相手には不安のエネルギーしか流れていかない。この愛は本当の愛かなと思いながら相手に何かをしてあげるとき、不安のエネルギーがまず届いていく。相手は不安になる。こんなものをもらって良いのか。この行為は相手の本心なのか。その不安が相手に伝わっていく。何かを為そうとするとき、いちいちこれは愛かどうか、そういった不安を抱いていては、愛は何も伝わっていかない。不安しか伝わっていかない。

本当に、自分が心から喜び、楽しく自然に行動する。それが相手を苦しませたのであれば、自分のどこかにまだ欲があったという可能性がある。しかしそれはいちいち初めに考える必要はない。不安を感じると、不安しか流れていかない。初めに不安を考えて行動していたら、何も行動できない。まずは日常の生活の中で、不安を取り除くこと。

あなた自身の心の中には優しさがあり、清らかさがあり、真剣さもある。なのに不安に陥る。自分で、善悪の識別能力がないと思い込んでいる。確かに、その識別能力は難しいかもしれない。それはあなただけの問題ではない。この地球には、人を殺しても正しいと言い張る者が多い。動物を殺しても正しいと信じている者が多い。識別能力を身に付けるというのは全員にとって同じ条件であり、あなただけが難しい問題を与えられているのではない。

それから逃げたり、不安に思っても、何も意味はない。自分が与えられた範囲内で選択し、行動していく。ただ常に、喜びを感じ、満足し、感謝の念を持っている限りは何も問題はない。あまりにも否定的なことにとらわれすぎる。別なものにあまりにも意識を向けすぎる。

何故、別のものに意識を向けすぎるのか。何とか良いことをしたい、他人のために役立ちたいという気持ちがあまりにも強すぎた。他人のために行動することによって、自分が立派になれると思っていた。自分を立派にするために、他人に奉仕をする。これは別のものの考えだ。こういう思いを持つことにより、別のものを引き寄せてしまう。私たちはそういう考え方をしない。自分の都合のために他人に何かをする、その段階で別のエネルギーが入ってくる。他人を利用していることになる。他人を利用して、自分のエゴを満足させようとしている。もうその段階で、別のものが入り込む。他人を利用しないことだ。自分のために、あえてほかの人に何かをするという行為は一切しないように。

人それぞれ辛い面をもっている。あなただけではない。皆、口には言えない辛さや悲しみを体験している。しかし、それをいちいち掘り下げる必要もない。ただ、自分で自分を知ることは大切だ。逃げてはいけない。自分で造った落とし穴を自分で見つけ、埋めていくことが必要となる。小さい頃に造った落とし穴は自分でも忘れてしまい、自分でそこに落ちていく。しかし、落ちたからと言って、そこで他人の所為にせず、自分が造った落とし穴だということにまず意識を向け、いつそれを造ったのか、どうしてそこに造ったのか、そこに意識を向けていくように。

他人の所為にするところから、自分をだまし、正当化し、別のものを引き寄せる結果となってしまう。自分の心を素直に観るということ。常にこの作業を継続させていくように。

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(c)1997 CentralSun