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1997年3月レポートから

日の本のエネルギーを復活させる

日の本のエネルギーを復活させる

これまで、日本のエネルギーを修復するワークが続いていました。日本のエネルギーといっても、日の本の民族のエネルギーのことです。日の本の民族について理解するには、ムー大陸の時代から始める必要があります。

何年か前、日本の民族について瞑想していたら、地図が見えてきました。南極が上にあり、北極が下にあります。太平洋にムー大陸があり、そこからある民族がマレーを通って日本にやってきました。また、右側のイスラエルの地方から二つに分かれて出発した民族があり、日本にやってきました。この三つの民族に天皇降臨が合わさって、日本の民族が出来上がったような感じでした。

このときの地図のイメージが強烈であり、それから1週間くらい、この地図がいつも見えている感じでした。また、普通の地図を見ても、南北が反対である方が自然な感じに思えていました。ムー大陸のころの地図は南北が逆であったといわれていますが、真実のように思えます。さて、そのころの日本の状況、日本民族の誕生について、簡単に整理してみました。ところが、書いているうちに、ヘンな内容になってしまいました。真実とは思わずに、話半分のうわさ話として、あるいは単なる作り話として楽しく読んでいただく方が良いと思います。あまり神経質にならず、気軽に読んでください。それでは、日本の古代史、始まり始まりぃ...


元々、日の本の民族のエネルギーはムー大陸のころ、太陽神のエネルギーを核にしてつくられてきました。ムー大陸においても、いろんな民族の交流を通して日の本のエネルギーを造り上げていきました。太陽神の陽気で快活なエネルギー、歌って踊るエネルギーに人間性のエネルギーなどを組み合わせて日の本の原型をつくる予定でした。しかし、計画通りには中々進まず、やがてムー大陸が終焉の時期を迎えました。ムー大陸が没する前、いちはやく移動を開始していた者たちはマレーを通って日本にやってきました。そして日本の先住民族(縄文)としての役割を演ずることになりました。

一方、イスラエルの地方には大和の国をつくる役割をもった民族がいたのですが、そこではすでに大和の国をつくることができないということが分かり、場所をあらためて日の本の国に移し、そこで大和の国をつくりあげるようにと計画が修正されました。プレアデスの叡智のエネルギーを十種の神宝で表し、日の本の国に行ったらこれをシンボルとして天皇をつくり、天皇のエネルギーを中心にして日の本をつくりあげるようにと計画していました(注:だからといって、天皇がプレアデスから来ているわけではありません)。

新たな大和の国を目指し、大和の民族は二つのグループに分かれて進みました。先に到着したグループがイザナミ、イザナギ、大日霊女貴尊(オオヒルメ、後のアマテラス)などのグループで、九州の日向(ひむか)の地方に定着しました。この地にはすでに先住民族が住んでいたため、この先住民族と仲良くして一緒に日の本の国をつくりあげる約束でした。しかし、大和の民族は衣食住のすべてに洗練されたものをつくり、さらに新しいもの、美しいものを好む傾向が強く、先住民族の素朴な暮らし方とはまったく合わないものでした。

そのため、イザナミたちは、先住民族と一緒に仲良く暮らすというよりは、美しく、頭が良く、歌がうまく、天照大神の言葉をいただくことができる大日霊女貴尊を中心にした社会を造り上げることにしました。そして神社をあちこちに急速に造り上げ、天照大神を奉るようにし、神道を広げていきました。イザナギやツクヨミはこうしたやり方に批判的でした。大日霊女貴尊はイザナミたちに利用されているということに気づき、自責の念に駆られ、一時的に姿を隠しました。多くの者が大日霊女貴尊を探しに出かけ、そして見つけ出し、何事もなかったかのように大日霊女貴尊を前面に出し、引き続き神のように扱ってまとめていきました。

遅れて到着したものの、天皇のシンボルを持っているスサノオウたちの大和のグループは日向では話し合いがまとまらず、北上し、出雲へと渡りました。出雲ではオオクニヌシが地元の信頼を集め、うまくまとめていました。そこへこの大和の民族がやってきたのですが、スサノオウたちは地元の住民たちと何とかうまくやっていこうと考えていました。しばらくはオオクニヌシの手腕を認め、オオクニヌシの力を借りて地元の人々と大和の人々をうまくまとめていこうとしていました。

しかし、実際には地元の人々と大和(出雲)の人々の意識や生活態度はかなり違っており、一つになるのはとても困難でした。オオクニヌシは、地元の人々からはもっと先住民族を尊重するように言われ、大和の民族からは早く大和と一緒になるようにと言われ、両方の板挟みで悩んでいました。そうこうするうちに、天皇の降り立つ時期が迫ってきて、さらに日向はアマテラスと神社により日本をまとめようとして勢力を拡大させており、スサノオウたちはグズグズしていられない状況になりました。

スサノオウたちはとりあえず天皇の降り立つ準備を進めるため、オオクニヌシを諦め、ニギハヤヒをつかって天皇降臨の準備を進めていきました。スサノオウたちに見切りをつけられたオオクニヌシは日向に行きましたが、結局、安住の地とはならず、日の本の発展を願いながら、自害することになりました。

天皇の証である十種の神宝はニギハヤヒからイワレヒコ(神武)、そして各天皇へと受け継がれていくハズでしたが、途中から三種の神器に替わってしまいました。皇位継承権が日向の勢力に移ったままになってしまったのです。

そのころの文献には真実が書かれていたのですが、飛鳥時代に日向の勢力が優勢になると、アマテラスたちが正当な勢力であることを誇示するために文献をことごとく書き直し、いかにも日向が日の本の出発点であるかのように細工していきました。このようにして日本古代の真実が次々と封印され、まったく分からないように巧妙に隠されてしまいました。

この段階で分かるように、本来は太陽神のエネルギーと大和のエネルギー、天皇のエネルギー(プレアデスの叡智)、オオクニヌシのエネルギー(勤勉・真面目・賢明)を巧みに組み合わせて日の本のエネルギーを完成させる計画であったのが、創成期の段階で二つの勢力間での争い・混乱という日の本のエネルギーになってしまい、さらに出雲には非常に複雑なエネルギーが染み込んでしまいました。また、日の本のエネルギーをつくるときにすでに「仲間」というエネルギーが入ってしまったため、「仲間割れ」「仲間外れ」というエネルギーもつくられました。今までの日本の争いの多くがこれによって引き起こされています。

本来の日の本のエネルギーには唄って踊る陽気な波動が入るべきだったのです。今、その本来の日の本のエネルギーを造り直すワークが行なわれています。とはいっても、計画の全容を知っているわけではなく、基本的には日本人の選択に依存しており、参加メンバーにも大きく左右されています。ただ、「出るくいは打たれる」という誤った「和」はもう手放し、まずは一人ひとりが自分の心をつくり変えましょう。

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(c)1997 CentralSun