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1998年3月レポートから

簡単ではない自分と本質との関係


今年は風邪が猛威をふるっているそうです。風邪といっても流行性感冒(flu)と単なる風邪(cold)に分けられますが、感冒の方はウィルスによる伝染性のもの、単なる風邪は寝冷えなどで肉体を粗末に考えていた場合に起こる症状です。いうまでもなくウィルス性の感冒が流行っているのですが、宇宙から見れば、波動の変化に応じて現象化されたものだそうです。誰もが常に身体の波動の上昇を継続する必要があるのに対し、怠けたり抵抗したりして波動の変化を拒んでいる場合、強制的に波動上昇の現象化を造り、それが感冒や環境の変化となって現れるそうです。したがって常に宇宙の変化に追随していれば感冒にはかかりません。変化を拒んでいませんか。

さて、先日、「妖精の世界展」という催しに行ってきました。入口の下の方で妖精がたくさん待っていて、入ってくる人を見ていました。その近くの妖精の絵画のところにも気配が感じられたのですが、途中からだんだん気配がなくなり、日本人の描いた絵や出口の近くではもうほとんど何も感じられませんでした。よく絵を見てみると、入口近くの絵にはゴブリンやエルフなどといった、いわゆる見かけのあまり良くないもの(でもとても優しい)も含め、常に植物などと一緒に描かれているのに対し、日本人の描いたものはただ美しく、ただ可愛らしく、しかもかなり空想的に描かれていて、真実とはかけ離れていたのです。いろいろと勉強させられました。 (Yuji)

簡単ではない自分と本質との関係

自分の本質が分からない。これは当たり前で、それを探るのが一人ひとりのテーマです。他人から教えてもらうものでもなく、また教えられるものでもなく、永遠の時間をかけて自ら探り出すものです。多くの人が、何故か焦っていて、すぐにでもそれを聞き出して、その通り使命を全うしないと罰せられる、かのような雰囲気を醸し出しています。どうしてこんなエネルギーを身に着けてしまったのでしょう。

今、個人セッションや毎回のワークショップは「自分は何者か」をテーマにして進めています。しかし、「あなたは××ですよ」という答を与えるのではなく、自分で自分を見つけるためのヒントを与えているに過ぎません。そのヒントを有効に活用する人もいれば、ちゃんと教えてくれなかったと文句を言う人もいます。宇宙は何のためにあるのか、地球は何のためにあるのか、という根本的な認識がかなりずれているようです。

さて、ワークショップに何度も来ている人にはすでに本質について理解されていることですが、来ていない人のために少しだけ説明をしましょう。といっても、せっかくお金を出してワークに来ている人に不公平感を感じさせたら申し訳ないので、ホンの少しのさわりだけ、少しイイカゲンに書いておきます。

人間が自分と思っているものの大部分は肉体的感覚で認識している自分、顕在意識で把握している自分ですが、エネルギーの感受性が高まって裏の世界が分かってくると、三次元世界が虚像であることに気づいてきます。そして顕在意識も真の自分ではないことに気づいてきて、潜在意識を含めた領域で自分を探す旅が始まります。肉体意識のまま瞑想状態で潜在意識を経験する場合と、アストラル体でアストラル界を経験する場合があります。でも、その世界でずっと学びを続けていくと、その世界もつくられたものであり、そのモトがあることが認識されてきます。さらにそのモトの世界(光の世界)で学んでいると、またもやそれもつくられた世界であることが分かります。これをずっとずっと続けていくと、ついに、これこそが本当に存在しているもので、つくられたものではない、という世界に到達します。永遠・普遍・絶対なるものから生み出されたモナド(分霊、自己性:セルフ)の世界です。

このモナドは意志・理性・行為の原動力となる大元であり、一人ひとり、その波動がまったく違います。この段階ですでに人間一人ひとりの波動が違っているのです。このモナドが経験のために意志・理性・行為の力をオーバーシャドウして自我(エゴ:自分)を投影します。そしてこの自我がいろんな世界で経験を重ねていきます。この自我の一つの波動が人間の肉体意識として現されます。

本質が肉体経験をしている意識に何らかの思いを伝えようとした場合、その思いがどんどん波動を粗くしていって肉体意識に到達します。肉体意識では自分の持っている概念などでその思いを感じとります。心が浄化されている場合、その思いは直感などのように伝わりますが、一般には執着や思い込み、期待などでその思いが歪んだり造り変えられたりします。したがって真の思いを受け取るには本当に心の浄化、素直さが必要であり、また概念の中から真の思いを見つけ出す判断力も必要です。普通の人は、ホンのわずかな魂の思いと大部分の自分の概念を混ぜて「これが魂の思いだ」と感じているのです。  (Yuji)


自分のペースで生きる

最近、ワークショップを受けに来る人の顔色がとても良く見えます。昨年、一昨年は「何かをせねば」とか「宇宙のために」とかいった使命感に燃えてやってきた人が多かったのですが、昨年の一連の学びにおいて、そういう思いは地球を覆っている宗教のエネルギーであることに気がつき、自分はただ自分の人生を歩むことの本質に目覚め、他人の言葉に左右されず、自分の意思で行動する人が増えてきました。従来なら、ワークショップでも仲間を誘うか、あるいは誘われてやってくるという人が大半でしたが、今は、自分で考え、「自分が行きたいから行く」という人が中心です。「誰かが行くのなら私も行く」といった幼児的行動を卒業したようですね。

自立するということはどういうことなのか。一人ひとりが学んでいることと思われます。一人ひとりの役割が違えば、真理の学び方も違い、魂の構造も違い、転生の仕方も違い、現実の造り方も違います。自分のことは自分で見つけ出さねばならず、誰かがすぐに教えてくれる、ということはあり得ません。コツコツと気長に、真面目に、自分の生き方を造り上げていきましょう。

時々、個人セッションを受ける人の言葉を聞いていて一番、理解できないのが、「あるヒーラーに私の過去世は○○だといわれた」「今生の目的は××だといわれた」というようなことを言ってきて、それを前提に「私は△△をしなければならない」というような概念を造っていることです。チャクラを見ていかにも教科書通りの詰まりがある場合、ほとんどがその人の思い込みで造られており、本当はまったく別の状況であることが良くあります。一生懸命、勉強している人ほど、こういう概念から、教科書通りに自分をおかしくしているようです。エネルギーを読んでそのようなものがまったく感じられない場合でも、本人がそれを信じているときはどうしようもないので、喧嘩を避けるためにも、その思い込みによって造られた偽りのエネルギーをそのまま残しておいたりします。

皆さんに注意していただきたいのは、専門家から「○○と言われた」からといってそれを信じる必要はなく、あくまでも「自分はどう思うか」です。自分が何も感じなければ、受け入れる必要はありません。「それも意味があるだろうから」と何でも受け取ってしまう人がいますが、その場合の意味は判断力の確認というテストであり、無闇に信じてしまわないかどうかのテストです。一人ひとりの波動は本当に違います。本質から違い、魂も違い、今生の意味も違います。自分のことは自分にしか分かりません。自分で考え、自分で判断するという生き方を早く身に着けましょう。

まったく別の話になりますが、先日、10年ぶりぐらいで懐かしきテレビゲーム「新桃太郎伝説U」をやりました。お笑いのRPGです。鬼を懲らしめるのですが、あくまでも改心させるというのがテーマです。闘いの最中、鬼がいろいろと話しかけてくるのですが、「自分で考えることも、自分で判断することもできない人間は支配される方が幸せなのだ。我々はそれをしてあげているに過ぎない。これの何が悪い」と問いてきます。結局、地球の現実そのままではありませんか。 (yuji)


エネルギー調整とヒーリング

私の個人セッションでは「エネルギー調整」をメインにしながら、現実的なアドバイスをするという形式をとっています。「ヒーリング」という言葉を使わず、「エネルギー調整」と言っているのには意味があります。まず、ほとんどの人のエネルギー体の状況は一部が歪んでいたり、穴が開いていたり、別のエネルギーに囲まれていたり、といった具合であり、簡単な状況ではありません。ところがやってくる人の多くは、「××チャクラが異常なので、治してほしい」というようなものです。実際はそういう単純な状況ではなく、もっと複雑で、1回では修復が難しい場合もあります。私がやっているのは、こういうエネルギー体の捻れや歪みなどを調整し、エネルギーの流れをスムーズにすることです。

「ヒーリング」という言葉を使っても良いのですが、活動を始める際、宇宙から「エネルギーを正確に読み取れるまではヒーラーとは名乗らないように」と言われたので、いまだに名乗っていません。ただ、宗教的なエネルギーで体全身が囲まれていながら「体は異状ないので、早く使命を教えてほしい」とか「前世のカルマを癒してほしい」とか言って来る人も多く、自分で自分のエネルギーを理解していない人があまりにも目立ちます。

さらに最近、個人セッションに来る人はかなり特徴があり、××チャクラがおかしいから△△に問題、といった単純な構図が当てはまらなくなっています。ニューエイジの教科書的な知識が万能ではなく、一人ひとり個別に正確にエネルギーを読み取らないと原因が特定できないケースが増えています。そしてチャクラやライトボディではなく、その人自身を囲んでいるエネルギーやとりついているエネルギー、引き寄せたエネルギーの影響が一番大きいのですが、チャクラとかの所為にしてそういうものから目を背けさせている場合もあります。

エネルギー体に重大な障害があっても、本人が何も感じず、ましてや依頼がないときにはその修正を施すことができません(例外もありますが)。一番問題なのは、宗教や思想のエネルギーが全身を覆い被さっている場合。ヘタに取り除こうとすると、余計にしがみついてきたりするため、相手が不快感を感じてしまいます。人によっては「下手なヒーリングだ」と思うかもしれません。以前はそれでもエクソシストまがいのワークをしていましたが、やはり本人が自覚していない限り何も効果がないことが分かり、今は依頼がない限りエネルギーをそのまま残しています。何度も来ていながら、本人は宗教のエネルギーには関与していないと信じているため、一向にエネルギーが改善されない人もいます。やたらと使命だの役割だのという言葉に惑わされることなく自分を知ってほしいと思います。(Yuji)


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