1998/6(毎月1日発行)
(c)1998 Fujita

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1998年6月レポートから

光をコントロールする

この間、5月号を必死になって作り終えたばかりと思ったら、もう6月号の時期です。先月号でグッドニーさんのことをたくさん書いたのですが、今後の予定についてはまだ何も決まっていません。さっそく日程や料金などのお問い合わせがあったのですが、具体的なことは何も決まっていないのです。

このグッドニーさんやローリーさん(大天使長メタトロンをフルトランスでチャネリングする)に出会うだけでも素晴らしいのに、何とエリザベスさんは5月にさらに素晴らしい人を見つけてきました。ジャーメインだろうがマイトレーヤだろうが、誰でもトランス状態でチャネリングする人で、本当にスピリットそのものが肉体をまとっているかのように話してくるのです。今、エリザベスさんの意識は完全にこの人に向いており、何とか9月に日本へ呼ぼうと企画しています。本当に次から次へといろんな展開があり、こちらも楽しくて仕方がありません。皆さんも是非、一緒に参加してみてください。   (Yuji)


光をコントロールする

 今年に入ってからの勉強会の内容はほとんど「光」一色です。数年前、フランクさんに出会って、ニューエイジという世界にどっぷりと浸かり、「エネルギー」という言葉が氾濫する領域で勉強してきました。はじめは「あなたはエネルギーを使う能力がある」だの「エネルギーを自由に扱える」などと言われ、その意味も分からず、とにかく練習を重ねてきました。

昨年だったか、一応、エネルギーワークの基本が理解できた時点で、今度は宇宙から「次は光をコントロールできるように」と言われました。しかし、そうはいっても「光をコントロールする」というのはどういうことなのか、さっぱり分かりません。「エネルギーを扱う」にしても数年間かかって何とか扱えるようになったことを考えると、光も何年間か頑張れば可能なのか、などと簡単に考えていました。

でも、宇宙は本当に素晴らしいです。それ以降、光に関する情報が多くなり、そしてグッドニーさんなどと出会っていろんな確認をとることができたのです。4月にグッドニーさんのところに行って学んだものに、光に関することがかなりあったのです。エネルギーを感じるということと光を感じるということの違い、いろんな光の区別など、本当にたくさん学ぶことができました。

「光と繋がる」といっても多くの人が抽象的な宗教用語のように思ってしまうかもしれません。エネルギーと同様に、普通の人には理解できない領域だからです。でも、私たちはそれを理解することが要求されてきました。光とは何であるのか。何故光を学ぶ必要があるのか。抽象的ではなく、光を具体的に扱うということはどういうことなのか。

実はこれを理解し、マスターすることが新しい波動の世界に移行するための必須条件なのです。自分は光であることが分かる(単に思い込むのではなく、本当にそう感じている)、いろんなスピリットの光を明確に認識できる、生命それぞれに光を見ることができる。絵空事ではなく、本当に感じるのです。したがって人間の社会はいろんな光の集まりであることが明確に見え、その美しさに感動することでしょう。

光を認識し扱えるのは、エネルギーをある程度、使いこなせるようになってからでしょう。やはり光のコントロールはエネルギーのコントロールより難しいということがグッドニーからも説明されました。したがってこれまでのエネルギーワーク以上に練習が必要となります。でも、それから得られる喜びはまた格別です。

こういう動きに合わせ、最近の土曜エネルギートレーニングも単なるエネルギーの練習ではなく、光の感受性についても積極的に練習しています。エネルギーにいろんな種類があるのと同様に、光にもいろんな種類があります。自分はどういう光を発しており、どの光が必要なのか。天の光、宇宙の光、光の存在は決して空想の産物ではなく、実体のあるものです。使うことができるものです。皆さんも新しい地球に進む前にマスターしてみたらいかがでしょう。

宇宙の勉強は本当に限界がありません。光をマスターすると、法則を自由に操ることを学ぶのでしょう。そして自分の宇宙を創っている実感が感じられてくるでしょう。自分が宇宙の創造主であり、創造主の元からやってきて肉体をまとっているという思いが沸き起こってくるでしょう。

皆さんも早くエネルギーと光をマスターし、「自分はどこから来てどこに向かうのか」という永遠のテーマに対し、自分の力で回答を引き出すことができるようになるのを願っております。      (Yuji)


私は宇宙人ではありません

私のことについて、いろんなことを言っている人がいるようです。中でも、「いかにも宇宙人そのもの」というような表現で説明している人がいるようです。お蔭でとても困っています。すべてはその人の勝手な想像であり、まったくの事実無根です。

こういうことを言っている人の大部分の人は、まだ私が今の活動をする前(フランクさんと一緒だったころ)に出会った人たちで、私のセッションをほとんど受けたことのない人たちです。私自身は今でも毎月のようにエネルギーが変わっており、昨年、一昨年の情報はまったく役に立ちません。ましてやフランクさんのころの情報はまったく意味がありません(メタトロンのセッションで、当時の情報はすべて違っていたことが確認されました)。

私自身、宇宙人に会ったこともなければ宇宙船を見たこともありません。私のリーディングでも宇宙人が出てきたことはあまりありません。ただ参加者の中に宇宙人とのかかわりの強い人がいる場合、宇宙人がやってきたこともありますが、それはその参加者のエネルギーが引き寄せたものであり、私のエネルギーとは関係ありません。

私自身は宇宙人と直接的な関係を持っておらず、きっかけすらもありません。一時、アシュタールコマンドが頻繁に出てきたことがありましたが、それもフランクさんとの出会いによってつくられたものであり、今はほとんど出てきません。

なお、グッドニーの話によると、銀河同盟や宇宙連合などのニューエイジの情報はことごとく事実と違っており、彼らが地球人に直接、関与したことはほとんどないそうです(グッドニーはアストラル界だけでなく、この現実界においても何度も宇宙船に引き上げられたことがあります)。そして、私のところに伝えられた情報では、宇宙連合の上にさらに広大な連合(私は勝手に超多次元宇宙連合と呼んでいた)があるそうですが、これはグッドニーさんにも確認されました(Celestialレベルといっていた)。ニューエイジでは銀河同盟か宇宙連合しか言及しておらず、三階層の組織を理解している人はほとんどいませんでした。

といっても私は特定のスペースコマンドに関係しているわけではなく、援助を受けているわけでもなく、ガイドされているわけでもありません。自分たちで勝手に造り上げた概念で他人を宇宙人呼ばわりすることは本当に止めてもらいたいものです。この地球が属するコスモで生まれた者はすべてヒューマンタイプのソウルであり、宇宙人と地球人を区別する意味がないのです。


個人セッションをインターネットにも入れました

セントラルサンのワークショップの内容をインターネットでも公開していますが(http://www.cent-sun.com)、5月中旬から愛読者用のメニューに個人セッションの記録も入れています。これまでの個人セッションの内容をノートやワープロに書き起こして参考にしている人がたくさんいますので、その中から「公開しても良い」という人のデータをいただき、ホームページに入れました。記録集とはまた違う内容で、驚かれた方もいると思われます。人間が神になるまでの意識の成長段階を細かく説明しているものがあれば、サナンダがこれからの宇宙の計画についての秘密を述べたものがあったり、とても興味があります。

ただ、まだ個人セッションを受けたことのない人によく理解していただきたいのですが、個人セッションはあくまでもエネルギーワークを前提にしています。新しい波動に順応できるように体や意識のエネルギーを調整しており、メタトロンからも「アセンションに向けてのトランスフォーメーション(肉体波動の変換)とトランスミューティング(エネルギーの変換)こそが私の役割である」と何度も言われました。

したがってリーディングは私の本業ではなく、情報にもあんまり価値がありません。そのため、リーディングを前提に来る方に対してはどうしても拒否反応が自然に起こってしまうのです。

エネルギー調整というのは、分かりやすく言うとオーラの浄化やチャクラの調整ですが、実際にはそういうレベルとかなり違っています。人間の体はそんなに簡単な仕組みではありません。エネルギー体のあちこちに捻れや歪み、穴が開いていたり、固まっていたり、ほかの人の想念がこびりついていたり、宗教のエネルギーが周りをがんじがらめに囲んでいたりで、一人ひとりかなり状態が違います。それをオーラやチャクラというところだけに目を向けるととんでもない間違いを犯してしまいます。

私の個人セッションではこういった総合的なエネルギー体の調整を中心にしながらエネルギーの流れを良くし、新しいエネルギーを取り入れる波動へと変えていき、そしてエネルギーを読むという作業へと移ります。したがって個人セッションでは情報だけにこだわらないで欲しいのです。


光の役割も変わっていく

私たちは光の仲間としてお話をいたします。私たちは皆さん方とはまったく違う世界からコミュニケーションをとっております。私たちの世界というのは、こういう物質的な形のある世界とは違い、それぞれに生命があり、意思があり、常に躍動しており、イキイキとして活動しております。

そういう私たちの世界から皆さん方の世界を見たり、話をするにはとても特殊な条件が必要となってきます。私たちの世界から皆さん方の世界をすぐに理解するということはとても難しいのです。いろんな条件があり、それを一つひとつ克服して初めて皆さん方と繋がりを造ることができます。

例えば、皆さん方の今日のテーマである光にしても皆さん方の世界における光は私たちの光とはまったく違う意味を持っております。皆さん方の世界においては、太陽から発せられる光があり、それを皆さん方が基準にして光というものを認識しております。私たちの世界では、基本的に生命それぞれが太陽であり、自分から光を発し、そして意思を持って行動しております。

したがって光というものを私たちが認識する場合には基本的に意思を持っているもの、活動しているもの、そして神と繋がっているものという認識があります。これを皆さん方の世界で当て嵌めようとしても、それに相応しい存在がなく、いちいち説明をすると、余計に混乱してしまうという状況にあります。

光は明らかに存在し、メッセージを持っています。それはこの世界において光を変えていこうとする作業が進行しているからです。光、今まで皆さん方と繋がりがあった光は役割を終えつつあります。これは気づきや成長のための光でした。神に近づくため、自分が光であるため、それに気づかせるための学びが中心でした。この光の波動がこれから大きく変化していきます。

自分が光である。自分が神である。それに気づいた者たちが新たなる波動を身に着けていきます。光、それは与えられるものではなく、自分を照らすものではなく、自ら発するものであり、自らが造り出せるものです。そういう認識がこれから必要になってくるのです。

自分たちの光をどこまで認識し、理解し、身に着けてきたか。それによって一人ひとりの働きが変わってきます。自分はどういう光だったのか。自分はどういう役割を演じていくのか。改めてそれがポイントになってくるでしょう。ただ単に光っていればよい。そういう時代もまた変化していきます。自分の役割に応じた光を発していく。そういう風に変わっていくのです。

でも、今の皆さん方にとって、まず一番大切なのはとにかく自分が光であり、自分から光を発するということ。そして自分から光ることができる。ほかの人を照らすことができる。それに変わっていくと、そこから新たなる方向へと光とエネルギーが変化していきます。

自分はどんな光の存在であるのか。自分はどういう仲間たちと一緒に活動していくのか。光は常に皆さん方に勇気を与え、自信を与え、そして気づきと成長を与えていきます。今まで迷っていた者、悩みを抱えていた者、それは光によってどんどん消えていくでしょう。しかし光はただ単純に願っていただけでは自分のものにはなりません。現れることはできます。皆さん方が私たちを望んだときに、私たちは現れることはできます。

ただ、私たちとつながり続けるというのはまた難しい状況があります。どこまで私たちを信じているか。どこまで自分が光であると信じて行動していくか。それによってかなり差がでてきます。光の波動は一人ひとりに生命力を与え、勇気を与え、そして生きがいを与えていきます。

自分が光である。それに気づいた者は自分以外の者に光を与えていきます。自分の光をほかの人を照らすために使っていくのです。まだ光を恐れている者、光を怖がっているものがたくさんおります。私にはまだその資格がない。まだ準備ができていない。それを理由にして遠ざかる者もおります。ここに来ている人の中で、準備ができていない者は一人もおりません。むしろ、遅いぐらいです。十分に準備はできており、器も用意されており、ドアも開かれており、ほかの仲間たちも今や遅しという時期になっております。ただ自分自身の意思がそれを許しておりません。恐れ、不安が心の底に残っております。

光と繋がったら、どういう責任が出てくるのだろう。これからの生き方がどう変わってくるのだろう。そういう不安を抱えている人がおります。光と繋がれば、自分は光としての役割を演じていきます。光のない者に光を与えていく。光を見失っている者に方向を照らしていく。光を求める者に自らが現れていく。この役割、これを恐れているものがたくさんおります。私に本当にできるのだろうか。私たちと繋がっているだけで、皆さん方の体を使って光をほかの人間に与えることができるのです。

皆さん方が無理して自分で光ろうとすると、そこでおかしくなってしまいます。自分は単なる、光を伝える者として存在し、私たちの光を送り届けていく。そういう認識で十分なのです。自分の光で一生懸命、ほかに流そうとする者はそこで混乱が起こってしまいます。光、これは明らかに皆さん方の体の中に宿っているエネルギーであり、本来的なものでもあり、また生命力の原点でもあります。

この光は相手に勇気を与えることができ、力強さを与えることもでき、そして方向性を明らかに示すこともできます。でも、自分が何をして良いのか分からない、という人がたくさんおります。自分は迷っているのに、ほかの人を照らすということは私にはできない。そういう人もおります。

でも、それも心配はいりません。皆さん方はただ、光がもっと必要だと思う人のところにいって、私たちと繋がるだけで十分なのです。あとは私たちがその人に光を伝えていきます。したがって自分が光であるということは、私たちと本当に繋がり、光が必要なところにそれぞれが趣いて、私たちと繋がって光を流していく。これが原則となってきます。

あえて自分で一生懸命、光り輝かせるとか、無理して照らし続けるという必要はありません。ただ単に私たちと繋がり、流していく。でも、それでさえも不安を持つ人がたくさんおります。別の光だったらどうしよう。ちゃんと繋がらなかったら、どうしよう。こういう思いによって私たちとの繋がりを切る場合があります。

別の光、真なる光とは別のものの光。これは皆さん方にとって永遠のテーマになるでしょう。何が本当の光で、何がごまかしの光か。それは必ずしも明確に分かるものではありません。常に皆さん方に自由意思が与えられ、どちらを選ぶかも自由となって現象化されます。真の光を求めても構いませんし、別の光を求めても構いません。それによって自分は何を学び、経験していくのか。

私たち以外の光を選んだときに、どういう現象が現れてくるか。一時的に自分も相手もそれによって喜びを得る場合があるでしょう。でも、その後には必ず混乱がやってきます。永遠の安らぎや平安が得られないのです。私たちは一時的な快楽を与えることはあまりありません。むしろ永遠を常に教えていきます。今は苦しくても、それが永遠の喜びに繋がる場合には私たちはそこに光を与えていきます。

でも、別の者は永遠の喜びではなく、今の喜びにその人を目を向けさせます。これが私たちと私たちとは違う光のやり方と思っておいてください。自分がインスピレーションを受けたり、アドバイスを受けたときに、それが一時的な喜びなのか、永遠の喜びなのか、それを自分なりに分析し、それによって真なる光なのか、偽りの光なのかを見抜くことができます。

自分は真なる光として活動していく。それを心に誓う者は、自分を常に永遠の中に置き、永遠の喜びの中で活動していく必要があります。決してその場の一時的な喜びに目を向けることなく、永遠の中で存在し、喜びを見つけるということをやっていく必要があります。永遠とは何であるのか。何故、今ここにいるのか。自分はどういう役割を演ずる必要があるのか。いろいろ思いがあるでしょう。

私たちは必ずしも一人ひとりに、今これをやりなさいとか、今これをすべきだという情報を与えることはありません。それは皆さん方の自由意思に任されており、私たちはそこまで束縛はしません。ただ、永遠の中で私たちと共にあるためには自らが光り、自ら神に近づき、神となって役割を演じていく。ただそれを信じておいて欲しいのです。

自分が光である。そして他の者を照らしていく。お互いがそれを演じていく。これがこれからの生き方となります。光、自分の心の中の光を本当に感じとって、それを成長させていってください。 (yuji)


パワーフルなエネルギーとストロングなエネルギー

エネルギーの強い人、という言葉がよく使われますが、でもこの本当の意味はどういうことでしょうか。グッドニーさんもローリーさんも肉眼でエネルギーがよく見える人ですが、英語ではpowerfulとstrongという風に言葉を使い分けていました。ではパワフルなエネルギーとストロングなエネルギーの違いは何でしょうか。

あまり難しくはないかもしれませんが、強いという言葉は「芯が強い」とか「心が強い」といういい方に現されるように、内面的なもので、周囲には左右されないことをいいます。それに対しパワフルというのは外部に対しての能力を表しており、身につけたもの、備わっているもの、持っているものなどの強さでもあります。

今まで何度もエネルギーワークを受け、いろんなエネルギーを身につけてきた人はパワフルになっていることでしょう。でも、他人の一言ですぐに落ち込んだり、迷ってしまう人、周りを気にしている人は弱い人です。ローリーたちによると、パワフルな人は多いけどストロングな人は少ないようです。アルコールやタバコはオーラを弱くするため、これらをたしなんでいる人はエネルギーが弱いそうです。

ツールを自慢したがる日本人

グッドニーのところでいろいろと話している最中、時々、小型コンピュータ(WindowsCE)を使っていたら、グッドニーが非常に興味をもってとりあげ、ソリティア(トランプゲーム、はまると時間を忘れてしまうほど面白い)をやり始めてしまい、しばらく夢中になって遊んでいました。WindowsCEの信頼性が非常に悪く(1985年ごろのMacintosh以上に爆弾が多発する)、ハラハラしながら見ていました。

これらのやりとりで気がついたのですが、コンピュータの話となると、ほとんどの日本人はツールなどの話題に話が向いていき、自分が最新のものをもっている場合は自慢話に花が咲き、得意になって延々と話を続けます。また初心者の人を見つけると、勝ち誇ったかのように教えようとします。実は私はこのエネルギーがいやなので、勉強会でも極力、コンピュータの話にならないように、わざと話を避けてきました。グッドニーと一緒にいてコンピュータの話になっても何も違和感がなく、むしろ面白く話が展開したのは、純粋に使うことを楽しんでいたからであり、知識や経験などを自慢するわけではないからです。

これはコンピュータに限らず、日常でも同じです。勉強会のとき、ときどき初めての人がくると、名刺を渡したりする人がいますが、私は職業や身分にはいっさい興味がなく、名前ですらどうでもよいと思っているので、いちいち名前すらも確認しない場合があります。そういう三次元的なレッテルやみせかけにこだわるのではなく、純粋に楽しむこと、使うことの喜びになぜもっと関心を示さないのか、と思っています。


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