お兄さんという言葉は、皆と一緒に学んでいる仲間であり、ほんのちょっとだけ普通の人より知っているところがあるけれども間違いも多い、というニュアンスがあり、先生という言葉よりもかなり的確に表現しています。ちなみに「大きな」というのは単にbigという意味であり、「偉大」とかいう意味ではありません。でもブッダ自身はとても偉大であると同時にとてもビッグです。私の事務所に来るときも、かなり小さくしてきているのでしょうが、それでも部屋には頭しか入らず、ブッダの鼻が人間ひとりぐらいの大きさです。言葉一つひとつ大きな意味があります。 (Yuji)
セミナーの三日目、聖ジャーメイン(サンジェルマン)が話をしました。その内容はちまたに流れているニューエイジ情報の訂正でしたが、私にとってはセントラルサンでのメッセージの正しさを裏づけるものとなり、こんなに嬉しいことはありませんでした。これまでセントラルサンには「地球が変われば宇宙が変わる。それもすべての宇宙を含んだ大いなる宇宙が変わる」と伝えられていましたが、聖ジャーメインも「あらゆる銀河系や星団を含むすべての宇宙の中心に地球が位置付けられ、地球が新しくなると宇宙も新しくなる」と明確に述べたのです。
この情報は今までセントラルサンだけのものだったため、疑問に思っていた方も多かったのです。それが明確に支持され、とても安心しました。さらに、「地球が宇宙の中心に位置付けられたのはこの100年で決められたこと」と言ったのです。これもセントラルサンのために言ったようなものです。というのも、セントラルサンでのメッセージでは、「この地球にやってきた魂や存在たちは地球の本来の役割を何も知らないままやってきた。神の計画が本格的に動き出したことにより、彼らが造った役割などは今となってはすべて破棄されている」と何度も伝えていたからです。
ところが多くの人はこれを信じることなく、「地球に来た自分の役割を教えてほしい」と執拗に聞きに来ていました。魂は「この100年で地球が宇宙の中心になる」なんてことは何も知らないまま地球にやってきて自分で役割をつくったのですが、今はすべて撤回され、神の計画に合わせることが急務とされているのです。本当にまるでセントラルサンでの勉強会の内容をそのまま復習している感じでした。
また聖ジャーメインは、「多くの人ができるだけ楽をし、近道を見つけ出し、簡単に天に入ることばかりを考えている」と注意し、さらにブッダは鮭が川を上って産卵し、一生を終えるのを例にとって、苦しいことやつらいことを避けて生きることが必ずしも神の思いではないことを述べていました。
聖ジャーメインはいわゆるニューエイジで伝えられていることは必ずしもアセンデッドマスターの情報そのものではなく、かなりのエゴがそこに含まれていることも伝え、すべてをそのまま鵜呑みにしないように注意していました。いわゆる「思ったことはすべて魂の思いだから、何をやっても良い」など、都合の良いように解釈されているものです。
情報の確認だけでも大助かりでしたが、それにもまして救われたのがエネルギーの確認でした。ルイさんもアセンデッドマスターを直接呼んでチャネリングしているために、本当にエネルギーがやってきます。ブッダのエネルギーはこれまでセントラルサンにやってきたブッダと本当にそっくりで、私自身が安心しました。ゆっくりと、丁寧に、たんたんと語る口調も本当に同じでした。
昨年はグッドニーさんが来てホワイトブラザーフッドとの繋がりを強くしてくれたお蔭で、富士五湖でのワークでは全面的にブラザーフッドの協力を得ることができました。今年はルイさんのお蔭で新しいアセンデッドマスターたちと関係をつくることができ、今年の富士五湖ワークもチョー期待できます!!
ここで一度、セオソフィの知識を借ります。セオソフィでは大いなる絶対主から分かたれて粗い次元に現れたものをロゴスと表現し、そのロゴスがさらにいくつかの波動を使って粗い次元に現れ出たものをモナドと表現し、そのモナドがさらに粗い次元に現れ出たものを高我(個性我、魂と思っても良い)、その高我から現象界に現れ出たものを低我(パーソナリティ、人格我)と呼んでいます。[注:これはあくまでもセオソフィの説明ですが、世の中のものの中では比較的まともな感じがします。ただ、本当はロゴスは創造の世界における創造主の現れをいい、モナドは神霊界(非創造の世界)における高度な意識(オーバーソウル以降)をいうようです]
さて、人間としての進化過程に入り、はじめのうちは動物的な行動を通して成長を重ねます。次第に感情や知性を発達させていき、そのうちに人間としての生き方に目覚め、地球のため、人間のために生きることを望む時期がやってきます。そして光と共に歩む生き方を望んだ段階が「準備段階」となります。
準備段階に入った者が「自分」について学び始め、我欲や感情をよく理解し、低我を高我がある程度コントロールできるようになってくると、資格を持ったアデプトから「第1イニシエーション」を受けることになります。第1イニシエーションを受けると光のハイアラーキの仲間入りをすることになり、ガイドやオーラが一変します。そしてコーザル体(魂と思っても良い)が再編成され、カルマなどのエネルギーが新しくなります。
第1イニシエーションを終えると感情をかなりコントロールし、三次元現象に左右されず、その裏の世界を理解するようになります。そして高我と低我のつながりがかなり強くなると、「第2イニシエーション」を受けることになります。この段階に入ると、日常生活でも精神的に安定した生き方ができ、睡眠中や瞑想中においては高我の世界で生きることになります。エネルギー的に敏感になり、いろんなものが見えるようになったり、直観が育つようになってきます。
高我の世界で十分にエネルギーを取得し、時期が来ると、ハイアラーキが「第3イニシエーション」を授けます。この段階では低我よりも高我の現れが普通になっており、いわゆる「魂と一体」という状況になります。日常生活では現象界の裏の意味がよく理解できており、睡眠中や瞑想中においてはモナドとのつながりを築き上げていきます。高我が一段と輝き出し、愛の人生を送ります。
さらに時期が来ると、「第4イニシエーション」を受けることになります。この段階では日常生活において愛の人生を送っており、睡眠中や瞑想中においてはモナドの世界に入り始めます。苦痛からカルマを払拭することを実践し、完全性や美を求めること、傲慢さなどの最後の我欲を完全に手放す試練が続きます。スピリチュアルな能力もかなり高まってきて、魂がどんどん変わっていきます。
第4イニシエーションから長い長い試練の期間を経て「第5イニシエーション」を受けます。この段階が「アデプト(大師)」と呼ばれるもので、日常生活においてもロゴスと繋がっており、エネルギーが明確に分かります。この段階の人はブラザーフッドオブライトのマスターたちとも日常、自由に会話でき、瞑想や体外離脱によって高次元の世界に自由に出入りすることができます。光の存在や宇宙人たちとも直接交流できるため、真偽を自分で見分けることができます。それゆえに師であり、宇宙から見ればやっと1人前になった段階です。つまり第4イニシエーション以下はまだ弟子の部類になります。
第5イニシエーション以降も成長は続き、我々の地球においては第6イニシエーションまで、我々の宇宙においては第12イニシエーションまでいって卒業となります。私が言っている「神との一体化」はこの第5イニシエーションの段階ともいえますが、一概には対応できません(ロゴスではなくGODHEADとつながることを神との一体化というため)。
いうまでもなく大師と呼ばれる人は数少なく、グッドニーさんがその数少ない一人です。グッドニーさんが昨年行なったアデプトプログラムはこのアデプトになるためのプログラムであり、そこで行なったアデプトのイニシエーションは第1のイニシエーション、ティーチャーのイニシエーションは第2のイニシエーションと同じと思われます(私の憶測)。
ところで、今の地球人類はほとんどが準備段階以前の段階であり、光の道を歩んでいる人でも正式な第1イニシエーションを受けた人はそんなにいません。私がやっている「アデプトプログラム#0」というのはグッドニーさんのアデプトのイニシエーションを受けるための準備を行なうもので、グッドニーさんから正式な許可を得ています。
なお、11月に来日するというグッドニーさんの予定はまた変更になり、来年、6月になりました。期待して待っていた人、どうも済みません。(私が頑張れば何とかなるのだが)
そこには時々知性が必要であったり、経験も必要とされていたり、お互いの感情の行き来で変化していきます。感情をうまく使いこなすのは、その時々の相手や場のエネルギー、全体的な流れをうまく理解した上で、喜びが一番感じられるように感情をもっていくことで、これをコントロールするといいます。
では実際に、瞬時に湧き起こる感情、反射的に起こってしまう感情、これについてはどのように理解をしていくか。まず瞬間的に感情が湧き起こってくる場合。こういう感情は自分の心の中では常に表現するように待っており、他人の言葉や動作を見てその感情が表に出てくるように動かされていきます。その時に相手を見たときや言葉を聞いたときに、自分が何らかの思いを抱き、それによって感情を引き出していきます。したがって感情そのもののエネルギーを理解するよりも、何を使ってその感情を持ってきたのか。どういう働きでその感情を呼び起こしたのか。そこをよく見ていく必要があります。
一般に相手の言葉を聞いたり、動作を見たときに、自分のやり方とは違う、自分が理解していることとは違う、自分が信じているものとは違う、という思いを持ったときに、それに相応しい感情が心から選ばれていきます。そこで怒りや不信、不安、いろんなものが引き起こされていきます。つまり感情は自分がどういう思いを持ったのかを知らせるために流れてきているエネルギーと理解することができます。
したがって感情をコントロールする場合に、怒りそのものや悲しみやつらさそのものの感情をただなくそうとか手放そうとしても、それは消えることはありません。それは地球人類が皆で造り上げたものであり、自分だけがそこから切り離れることはあり得ないのです。したがってそういう感情をなくすのではなく、一番の原因は相手を見たり、言葉を聞いたり、思ったときに瞬間的に湧き出てくる思いであるため、これをコントロールすることが感情のエネルギーをコントロールするということになってきます。
それでは瞬時に湧き起こってくる不信感や違和感、こういったものはどのようにして手放していくのか。まず一般に好き嫌いの基準を持っている人、反射的に好き嫌いでいろんな思いが湧き起こってきます。それによっていろんな感情が引き起こされてきます。好きな人が気持ちの良い言葉を発する、良い思いがそこで湧き起こってくる、それに見合った感情が引き出されていきます。そうすると相手が好きになるような感情、相手を許し認めるような感情が流されていきます。
一方、好きではない雰囲気をつくったときに、その思いによって相手を嫌ったり、否定する感情が流されていきます。これをコントロールするというのは好き嫌いの基準を少しずつ変えていくことになります。全員を好きになるというのではなく、好き嫌いの感情そのものを変えていく必要があります。好き嫌いで見るのではなく、より高いレベルでそれが必要であるのか必要でないのか、どういう意味があるのか、を見ていく。これをある意味では好き嫌いの感情をなくせと理解されているのかもしれません。
実際には好き嫌いの感情をなくすのではなく、そのレベルを高めていくことをいいます。好きとか嫌いとかいう思いそのものを超越してしまう。好き嫌いを超越するためには、好き嫌いで生きてきた生き方を変えていく必要があります。これまで自分の喜びは好きな人、好きなものから得られていた。そう思っている人はいつまでも好きなものに固執してしまいます。好きな人とか嫌いな人とかには関係なしに喜びはやってきて、自分は成長していく。それが理解されると、好きな人、嫌いな人の区別がなくなってきます。嫌いな人という思いを持っている限り、そのエネルギーは常に心の中に用意され、相手の言葉によって表に出てくるときを待っています。
この嫌いな人という感情を持っているにもかかわらず、これが表に出ないように制限し、抑圧していくと、心には好き嫌いの思いがあるために、嫌いという感情が消えることはありません。好き嫌いの思いそのものを本質的なところから変えていくのは嫌いという感情をなくすことではなく、好きという感情をなくすことでもありません。このやり方については言葉では中々表現できず、それぞれの日常の中で実践的に学んでいく必要があります。
今までは好き嫌いが人間の判断に大きな影響を与え、それによって行動する人がたくさんいました。でも、もう好き嫌いで動くのではなく、自分の成長のために役立つもの、それだけを考えて行動していくことになります。それは好き嫌いではなく、まったく別の価値観から引き起こされるものです。今までの自分の判断がどういう判断であったのか。どういう価値観で好き嫌いを決めていたか。そこにもっと意識を向け、自分なりの感情をうまくコントロールできるように練習をしてみてください。
(月曜交流会から)