昨年はその直後から大きな変化が相次いだのですが、今年は比較的穏やかに変化しているようです。このワーク以降、心の壁を取り払うワークは一段落し、これを終えた人は「自分をなくす」という新たなテーマに向かうことになりました。自分をなくす、といってもピンとこない人がいるかもしれません。私にとっては、映画「セブンイヤーズ・イン・チベット」で、主人公がチベットの女性に向かってやたらと一番になることの素晴らしさを訴えているのに、女性はピンとせず、「この国では一番になることは尊いことでも何でもなく、いかに自分をなくしているかがその人の価値を決めるのよ」と言ったことを思い出させます。
「一番」という考えはすでに自分と他人を分離させる考え方であり、宇宙の教えとはまったく違います。おそらく今年から来年にかけては自分をいかになくすか、自分と他人を分離させる気持ちをいかになくすか、が大きなテーマになっていることと思われます。
心の壁を取り除いたり、自分をなくすというワークは自分のためだけではなく、日本人全体の意識的な変化にも影響を与えます。というよりも、宇宙によると、日本人の意識の早急な変化のために、気づいた人からどんどん心の壁を取り払って自分をなくしていってほしいとのこと。自分をなくすというのは日本人にとって簡単なようでいて難しいテーマです。日本人は連帯感や一体感が強いとよく言われますが、これは一概には言えないと思います。例えば、誰かがいじめられていたり暴力を受けているときは見知らぬ振りをする人が圧倒的に多いという状況です。中には加害者側に立って光とは程遠い一体感を造る人もいるほどです。隣の人がイヤな役を演じているとき、必死になって自分の友人ではないという素振りをとるのも同じです。これに関しては欧米の方が正義感があるといえます。
つまり日本人が造ってきた連帯感や一体感は都合の良い連帯感や一体感であり、多い方に付く、強い方に付く、というものです。皆から責められている人がいても、自分は表立っては参加しないで、できれば傍観者として眺めるだけ、直接的な関わりをできるだけ持たないようにしておく。欧米諸国から見ればこれは許されない行為であり、宇宙から見ても情けないものです。日本人の持つ本当の良さを発揮するためにはあと何が必要なのか、いろいろと考えてみたいと思います。
自分の直観を信じてあちこちに行ってエネルギーワークを行なう人はそれで問題はありませんが、それを感じていない人や何も分からない人を巻き込んで強制的に参加させたり、コントロールしようとしている人がいるのは考えものです。また宇宙も手放しで喜んでいるわけではありません。今、私たちが一番、学ぶべきことは愛であり、一にも二にも愛です。愛を身に着けていないでエネルギーワークをたくさんやっても、だしを入れないで味噌汁をつくるようなものであり、見た目だけ真似して満足していることが多いものです。人によって役割が違い、一概にはいえませんが、あちこちに行ってエネルギーワークを行なう人は全体のごく一部で、多くの人はまず愛を身に着け、人間関係を豊かなものにし、その温かさを地球に降ろして地球を明るい星に導くことです。単にエネルギーに敏感だからといって、愛を疎かにしてエネルギーワークだけやっていればよいというものではありません。
この愛を身に着けるにはどうしたら良いのか。理屈や知識ではなく、心で愛の大切さを理解するにはどういうやり方が良いのか。さらに愛を身に着けるときの必須条件として、真の光と光でないものを見抜く力が必要とされますが、どうやって養っていくのか。エネルギーワークを行なっていても、これらに対してずさんであれば何の意味もありません。私もそんなに偉そうなことを言えるほど愛を身に着けているわけではなく、皆さんと同じように勘違いしたり、傷つけ合って学んでいます。来年はその中で私なりに見つけた愛の感じ方をいろんな方法で試してみたいと思います。
元々、私の場合はエネルギーワークがメインであり、私と参加者との間におけるエネルギー的なつながりが重要になります。何回かセッションに来られ、魂との繋がりが強くなった人は本当にうまくいきます。ほとんどセッションを受けたことのない人や、自分の意思ではなく他人の誘いで来た人、私のことについて正しい理解をしていない人(要するに、ただの人間だとは思っていない人)、内容について特に希望も要望も持っていない人、こういう人たちは難しい場合がありました。自分は何を望んでいるのか、どうしたいのか、を明確にしている人ほど、うまくいきました。
時々、単に来たいから来た、魂が来させた、という人もいます。これはこれで良い場合もありますが、できれば何回か来ている人を前提にしたいと思います。というのも、セミナーのたぐいはそれなりの料金をいただくために、私としても安易に行なうことができず、初めに何をやろうかといろいろと考えます。「何回か」というのは、基本的に私がその人の顔と名前が一致していること、エネルギー的調整をある程度、受けたことのある人という意味です。これまではその時々で内容や時間、料金を決めてきましたが、そろそろ枠組みを造ろうと思い、大筋を決めました。ワークの内容と人数によって違います。一人、二人だと若干、高めになりますが、三人以上だと普通のセミナーよりちょっとだけ高め、という感じです。希望者は別途ご相談ください。