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1996/10/4■金曜勉強会

愛は相手を成長させるエネルギー

@挨拶

それでは今日の分を始めたいと思います。皆さん、ようこそいらっしゃいました。私たちは今日から、また少し、別のやり方でこの会をやってみようと思っております。皆さん方の一番のテーマである、自分の本質を知るということ、これを深く追及するためのいろんな準備を兼ねながら、皆さん方の役割、そして人を愛するということ、これらをうまく組み合わせて皆さん方が成長できるような仕組みを少し考えてみようと思っています。

今まで何度か話しているように、私たちはいろんな工夫を毎回考えながら、皆さん方がいかに成長できるかをいつもいつも練習しながら、新しいことをやっております。皆さん方がそれに応えて確実に成長していただけるのか、それとも興味半分だけで終わるのか。私たちにもそれはまったく分かりません。皆さん方の実行力がすべてを決めるからです。

ただ、今までは確かに皆さん方のここの説明をしたときには非常に良いエネルギーを発し、かなりやる気が出てくるのですが、愛についてはほとんど変わってこないということにいつも何かしらのエネルギーをこちらでも感じておりました。これをどのようにしたら、本当に愛に結びつくのか。これからはその観点を常に保ちながら、情報とエネルギーを与えるようにしようと思っております。したがって皆さん方も必ず愛ということを結びつけながら、いろんなことを受け取るようにしていただきたいと願っております。

今日は皆さん方の関係しているいろんな存在たちからいくつか、ポイントになることだけをピックアップして、お話をしていただきたいと願っております。これまでも似たようなことが何度かありました。また、その時とはかなり意識やエネルギーがかなり変わっている人も実際に存在しており、またその時には出席してしていなかった人もいるので、今日は今日で改めて今の時点における皆さん方の情報を確認しながら、いろいろとアドバイスを差し上げたいと思っております。

A愛のエネルギーの特質

あなた方が私から一番初めのモトを創られたときに、私はそれぞれのモトに自分たちだけで確実に成長していけるすべてのエネルギーのモトを入れておいた。あなた方は私からモトを創られ、宇宙に放り出されたときに、もうすでに自分で活動できるように創られていた。宇宙にこのモトが放り出されたときに、そのモト自身はまだ自分が何なのかはまったく気づいていない。

そのモトが宇宙の中で永い時間を漂っているうちに、だんだん自分というものが分かってくる。そして、何かしら行動を起こしたいという気持ちがそこに沸いてくる。あるものはただひたすら光を追い求めて先へ先へ進もうと思う。あるものは自分の仲間を造り出そうという気持ちを思い起こすようになってくる。あるものは自分と似たようなものを探す旅に出ようと考える。いろんな思いを持ったモトが無数に宇宙空間に漂っている。

そして行動を始める。行動を始めるうちに、次第に自分というものの特質が分かってくる。自分と同じような別のモトと自分はまったく違う性質を持ち、動き方も違い、光も違う。すべてが違うということに気づいてくる。そして自分は何であるかということに興味が沸いてくる。そして自分はどういう能力を持ち、何ができるのかということをいろいろとトライしながら、冒険を始めようとし始める。

あるものは自分のエネルギーをどんどん変えていって、自分以外のいろんなものを造り出そうとしたり、あるいは別のものとの関係を深めていって、別のもののエネルギーを自分が使えるように仕組みを変えたり、いろんなことをし始める。

このモトというのは、あなた方の言葉でいえば、意識といっても間違いではない。ただ、あなた方が意識という言葉を使うときはどうしても今、あなた方が自分の持っている意識のようなものを前提に考えてしまう。残念ながら、私はそういう意味では使っていない。もし、集合意識という言葉を使うのであれば、今、私が使ったモトというのが集合意識のモトである。あなた方の意識は集合意識の中の一つの意識を形作っているに過ぎない。それは本当の意識ではない。単なる一つの側面にしか過ぎないからだ。

このモトによっていろんな意識が造り出され、成長していく。ある段階までこのモトが成長し、活動を始めていくと、ほかのモトとのエネルギーをやり取りしたり、あるいは宇宙におけるいろんなエネルギーを自分でいろいろと取り扱ったり、変えたり、新しく造り出したり、そういうことができるようになることが分かってくる。この宇宙の中に、とても信じられないぐらいのエネルギーが存在しており、それらを組み合わせることによってまた新しいエネルギーを造り出せることが分かってくる。

まったく素晴らしいエネルギーがたくさん宇宙に存在している。意識のモトはこれらのエネルギーを次々と取り入れようと、活動を始めていく。しかし、エネルギーはただ単純に入れようと思っても、中々そのままでは入ってこない。何らかの行いをしなければ、自分の中に入ってこないようになっている。

経験のエネルギーは実際に体験することによってのみ、得られる。自分を成長させるエネルギーは他人を成長させることによってのみ入ってくる。自分を癒すエネルギーは他人を癒すことによってのみ入ってくる。自分を美しく輝かせるエネルギーはほかの者を美しく輝かせることによってのみ、入ってくる。すべてがこのような仕組みになっている。エネルギーはただ黙っていても、入ってはこない。

意識のモトたちはこの基本原則に気がついた時点で、いろんな体験をし始める。宇宙空間である程度、エネルギーを取り入れていくと、創造のエネルギーも自分の中に取り入れることが可能になってくる。この創造のエネルギーというのは宇宙を創り出したときに使われたエネルギーである。それぞれの意識のモトたちはこの創造のエネルギーを自分の意識の中に取り込み、自分のできる範囲内で宇宙を創造できることに気がついてくる。そしてそれを体験しようとして、実際に自分で、自分の範囲内の宇宙を創り出そうとする。

意識のモトは自分の意識のエネルギーを使って、自分で宇宙のような一つの世界を造り上げる。自分が創造主のように振る舞い、そして自分の造り上げた宇宙次元の中にさらにいろんな意識を造り出し、成長させていくような仕組みを造り出していく。この、それぞれの意識の宇宙で造られた中で、いろんな新しい意識が芽生え、成長していく。

この意識のモトが造り出した宇宙のような一つの大きなシステム、これをあなた方は今まで魂と呼んでいた。この魂と呼ばれる一つの大きな世界はその意識のモトが根本的に造り出した一つの世界である。そしてそこにいろんな意識が新しく造り出されている。この意識のモトが作り出した宇宙はその意識が造り出したものであり、真実の宇宙とはかなり違っている。なぜならば、意識のモトが作り出した宇宙は自分の持っている創造のエネルギーだけを使って魂を造っているからだ。

その意識が創造の意識をどの程度、完璧に備えているかどうかはその意識のモトの能力に左右される。すべてが同じわけではない。そして真の宇宙の創造のエネルギーとまったく同じ創造のエネルギーを手にした意識のモトというのはまだこの宇宙には存在していない。ほとんどの意識のモトはまだ途中の学びの段階であり、すべての創造のエネルギーを手にしているわけではない。しかし、いずれはこの創造のエネルギーをすべて手にすることができるだろう。そうすれば立派に成長して、創造主と同じぐらいの能力を身につけたことになる。

あなた方の言葉でいうアセンデッドマスターというのはそれぐらいに匹敵するものであり、創造のエネルギーの完成を目標に活動している意識である。この創造のモトは自分の創り出した世界の中で、いろんな体験を重ねていく。あなた方がこれまで、宗教の神と呼んでいたものはすべてこの意識のモトの学びの途中でこの惑星にやってきた一つの存在である。創造のエネルギーをフルに活用し、自分の宇宙を完成させるためにいろいろと学びを続けている。しかし、どの宗教の神もあなた方に愛を根づかせることはできなかった。それが今の宗教の神の限界である。

愛はまた極めて特殊なエネルギーとして創られている。あなた方は単純に愛するとか愛してくれないという表現を口にする。しかし愛のエネルギーはそういう単純な言葉では表現できない、非常に巧妙なエネルギーとなっている。仮に、自分がほかの人を愛するという現象を考えてみよう。自分はほかの人のことを本当に大切に思い、いたわりを持って接したとする。その気持ちがある限り、その本人から相手に向かって優しい気持ちは流れていく。しかし、相手がまったくそれに興味を示さない場合がある。そうすると、相手にはその思いはまったく通じていかない。

相手には思いやりや優しいエネルギーが響くことなく、そこにはせっかく放たれた愛のエネルギーがまったく相手には伝わらない。となれば、実際には初めに思いやりや優しいと思って出したエネルギーでも、愛ではない。宇宙においてはこれは愛とは言っていない。なぜならば、相手が受け取っていないから。相手が受け取っていないものは宇宙では愛とは呼んでいない。宇宙では相手の体の中に入っていくエネルギーをまず愛の性質の一つとして捉えている。

相手の体の中に確実に入り込む。そして相手の生命を光の方向に確実にもっていく働きをするエネルギー。これを愛と呼んでいる。自分が勝手に優しいとか、相手のためとか思って流したつもりでも、相手が受け取らなければ、それは愛にはならない。自分が、思いやりとか、相手のためとかいう考え方を一切なくして、ただ単にアドバイスを与えたとしよう。相手はそれを非常に喜び、自分も成長のためにそれを活用したとする場合に、これは宇宙では立派な愛のエネルギーとなって認識される。

あなた方は今まで、愛を出した本人の勝手で愛か愛でないかを議論していた。私は愛をあげている。私はこれだけ愛している。愛は愛を流す方の論理で測られるものではない。では、受け取る側が決めるものであろうか。また別の意見がしょっちゅう、人間の言葉から出てくる。あの人は私を愛してくれていない。私は誰からも愛されていない。私を愛している人がいない。愛される側から見た場合の言葉はこういう言葉ばかりとなっている。これもまた宇宙ではまったく違う見解となっている。

その人が愛という風に感じようが、感じまいが、その人のために役に立ち、確実に光の方向へ導くエネルギーがその人の体の中に流された場合、それは愛である。本人が愛とは感じていなくても、それによって目覚め、気づき、確実に光に向かって進むことが分かった場合、それは愛のエネルギーがそこに送り込まれている。したがって、愛というのはエネルギーを出す方の論理でも、受け取る方の論理でもない。むしろ、客観的に見ているものがそれをよく分析できる。

今の地球人の認識レベルにおいて、これを正しく評価できるものはほとんど存在していない。自分というものが愛の当事者のどちらかに存在している限り、どうしても自分を中心にした見方になってしまう。愛をあげるとか、愛をもらうという表現になってしまう。宇宙から見た場合には、実はこういう用語は存在しない。愛はあげるものでももらうものでもない。先ほど言ったように、片方から流され、片方へ入ってしまう。そして片方のために、成長のために、確実に役立つエネルギーとなって残っている。こういう状況を愛と呼んでいる。

愛はお互いにそれを受け入れる心の準備が必要となっている。愛という言葉で議論するよりも、本当にその人のためになっているかどうか。その人の成長のために役立っているかどうか。その人が光り輝くために役に立ったかどうか。愛のエネルギーはこのようにして、ある意識体から別の意識体に確実に流れ、そして相手の中にとどまって、そこで根づいていく。この相手の中に留まり、そして相手の成長のために根づいていくエネルギー、これを総称して私たちは愛と呼んでいる。

この愛のエネルギーというものは、その意識体から放たれたエネルギーであると同時に、この宇宙のある特別の領域にも存在している。愛のエネルギーを造り出し、それを管理しているグループがある。しかし、これは人間には中々理解できない仕組みとなっている。愛のエネルギーといっても、基本的にはある意識体からある意識体へ、流れていくという性質をしっかりと創り出したものと思って良い。

その性質の中で、意識体から実際に出される愛の波動の種類は、その意識ごとに微妙に違っている。ある意識は本当に成長のためを考えるものがいる。ある意識は相手が光り輝くことをひたすら考えている。ある意識は自分で動くことができるようになるエネルギーを一生懸命出している。したがって愛といっても、その意識によってそれぞれ特性が微妙に違っている。でも、すべて愛である。それは違うものでなければ、また同一のものでもない。でも、愛という一つの、宇宙で創られたエネルギーの波動の中で共通性を保っている。

あなた方の一人ひとりが何らかの愛を身につけている。自分だけの愛の波動をっている。それをどんどん拡大させ、より多くの人々に、人種を超え、そして惑星を超えて、生命を超えて愛することのできるエネルギーに変えていく。これは成長を意味する。そのようにして、愛のエネルギーをどんどん素晴らしいものに成長させていく。これはあなた方の役割の一つでもある。

初め、地球に降り立ったときには、愛はほとんど発揮されないような仕組みに造られていた。何も愛がないところからスタートするように造られていた。何もないところから造り上げるのがあなた方の役割であった。でも、ほとんどの者が愛を身につけるよりも先に憎しみを身につけ、呪いを身につけ、敵対心を身につけた。

しかし、愛と憎しみはある意味では同じ波動を持っている。憎しみは確実に相手に伝わり、相手の進化を妨げる。愛は確実に相手に送られ、相手を進化させる。愛と憎しみは同じエネルギーで、極性が違うものとして造られている。多くの憎しみを身につけたものはそれと同じ量の愛を手に入れることができる。ほとんど憎しみや争う心を身につけていないものは愛もごくわずかな愛に留まってしまう。

本当に、相手を思う気持ちが根本に芽生えていないからだ。憎しみはそれなりに相手のことをかなり考えの中に入れて行動している。愛は本当に相手のことを考えた上で、エネルギーを流す必要がある。あなた方の多くはアトランティスにおいて、多くの争う心を身につけている。愛を身につけるよりも先に、争う心を身につけている。そして何度も何度も転生を重ねて、少しずつ愛を育んできて、今に至っている。しかし、まだまだ否定的なエネルギーの方が圧倒的に多い。愛の方がそれを凌ぐという者はまだこの地球上には存在していない。

これから、地球人類が本当に新しい時代に入っていこうとするならば、まずは自分自身の愛を確実に造る必要がある。愛を造るというのは、自分がそれまでつくってきた争いや憎しみの波動を愛に変えていくことを意味する。人を憎む気持ちがある者は人を許す気持ちに変える必要がある。一人ひとりがそれを行なう必要がある。

このような愛のエネルギーの働きにおいて、あなた方が日常どのように愛を心がけ、生活を送っていくか。ほとんどの者が人間関係において疲れている。人間関係がとても苦痛になっている。人と議論をするのが面倒になっている。でも、人間同士の交流を無視して、愛の成長はあり得ない。あなた方は人間関係の辛さだけを強調し、相手を認めることや許すことをまったく頭に入れていない。自分の言いたいことを何とか言おうと必死になっている。自分を認めてもらうことを表現しようと躍起になっている。だから愛がないと私たちは何度も繰り返して言ってきた。でも、同じことを繰り返している。

もし、人間関係において、不快の念や辛さ、嫌気が差した場合、それは自分にまだ愛がないという証である。愛がないと言われて、ムカッときている者は愛がない証拠である。愛がないというのはもう何度も聞いて、厭になってきたかもしれない。では、どうするのか。どうしたら愛が身につくのか。そこでまた一番初めに戻る。愛はあくまでも相手のところに流れ、相手の成長のために活用できるエネルギーのことを呼んでいる。こういうエネルギーは必ずしも、一般的なものではない。

エネルギーによってそれぞれ特質が違っている。ヒーリングのエネルギーはブロックを取り除いたり、不要なエネルギーを取り消したりすることはできる。でも、必ずしも相手を成長させるとは限らない。慈悲のエネルギーも相手を包み込み、相手がいかに辛いかを理解してあげることはできる。でも、相手が前に進むかどうかは分からない。

エネルギーごとにそれぞれ特質が違う。愛は相手を成長させることが前提となっている。そして相手に確実に流れていなければ愛ではない。愛がないというのは、結局、自分が相手にエネルギーを流しても、相手の成長に繋がるエネルギーがないということを意味する。相手の成長のことを考えて、あなた方は行動しているかどうか。相手が今、何を必要としているか。あの人は今、何を学び、どういう経験を重ね、そこで何を理解しようとしているのか。そのために自分はどういう奉仕を行なえるのか。こういったことをあなた方は日常の中で考えて、エネルギーを出しているかどうか。

もし、そういった考えを一言も発していない者がいたら、今まで愛がないと言われても当然であったことである。にもかかわらず、愛がないと言われて、ムカッときている。自分は愛があると思っている。でも、人の成長のことは考えていない。愛は確実に相手を成長させることを前提にしている。相手が光に向かっていく強さを身につける。

イエス・キリストの愛は厳しい愛と誰もが話していた。宇宙においては厳しい愛という用語は存在していない。愛は先ほど言ったように、ただ単に相手のところに入っていって、相手を成長させるために使われるエネルギーをいっている。厳しいとか、優しいというものは存在していない。ただ、その特質として、イエスは常に正義を前提にしたエネルギーを送っていた。確実に光に向かうことを前提にしていた。確実に光を求める者は愛そのものである。厳しいとか厳しくないとかいう問題ではなく、愛そのものである。

もし、光の方向を示していないエネルギーが与えられたとしたら、それは愛ではない。いくら気持ちよく、いくら優しく、相手が喜び、目に涙したところで、それは愛ではない。あなた方はそれを優しい愛と呼んでいるが、宇宙ではそんな用語は存在しない。光を目指していない者は愛ではない。なぜならば、進化の方向に向かっていないからだ。成長していないからだ。

あなた方が愛ということに対して、ここ2〜3カ月でどれだけ学び、考え、成長したかを少し話し合ってみて欲しい。あなた方にまず、自分の愛のエネルギーを確認させるためのエネルギーを送るので、自分がどう感ずるかを、よくハートで感じて見て欲しい。一人ひとりの愛の部分のエネルギーを強く流してみる。

それでは一度、ここで休憩にして、皆さん方で議論してみてください。ありがとうございました。

B愛について

それでは続きを始めます。まず、私たちの見解を先に述べさせていただきます。確かに皆さん方は他を生かすとか成長させるという表現を聞いた場合に、何かしら傲慢なような感じを受けるかもしれません。でも、生かすというのはあなた方が考えているエネルギーとは別の種類のエネルギーです。少なくとも、他を生かすという場合にはエゴは一切、入っておりません。私たちが他を生かすという表現をとっている場合には、エゴは一切、入っておりません。まずはそこのところから説明をしていきましょう。

他を生かすというのは、その人の価値観を本当に認め、その人の才能を伸ばしていく方向性を自分なりで理解した上で、もっともっと相手がそれを伸ばした方が良いと思うようなところを自分なりで感じとって、そこのところが成長していけるように、共に学んでいく。そしてお互いに議論しあいながら、やり取りしていく。

あなた方の今までのお話を聞いていると、愛のエネルギーというものをただ単に相手に投げて渡す。それを愛と思っている人が多いように受け取ってしまいました。私たちはそう意味で愛とは使っていません。共に学び合い、共に話し合い、共に触れ合い、共に喜びを分かち合う。これが愛のエネルギーを伝える3次元的現象のやり方です。これを抜きにして、ただ単に愛のエネルギーを相手に投げたイメージをしても、愛のエネルギーは相手には伝わっていきません。

他を生かすというのは、こういう共に分かち合い、喜びをお互いに感じとって話をし、成長していくことを表現しております。したがってエゴはそこには入ってきようがありません。相手が必要となっている話題をお互いで議論し合う。相手が必要と思われるようなエネルギーを取り入れるために、一緒に海外に出掛けていく。相手が興味を持っているものを手に入ることができるように、一緒に買い物に出掛けていく。これは立派な愛の表現です。

皆さん方はこの愛の3次元的な行動のところがまだまだ認識が私たちとずれているような感じがしました。そして愛を議論していても、何か3次元の現象とも一体化が感じられないような表情が伝わってきました。

もう一つの見解として、もしあなた方が自分がまだまだ愛を身につけていないという風に評価をした場合に、その時に愛というものがどういう現象として実際に行なわれる必要があるのか。あなた方の日常の行動基準を見た場合に、その行動の動機が何から出ているのか。例えば、本を買うでも、物を買うでも、根本的な理由はどこからきているのか。自分が楽しいから。それを持っていると、自分が嬉しい。おそらく、ほとんどの場合はそこに行き着くことでしょう。

でも、さらにそれを深く追及した場合に、それを身につけることに何を期待するのか。自分がほかの人よりも美しくなれる。美しい、と評価してもらえる。自分がほかの人よりも多くのものを身につけている。少しでもほかの人よりも自分の方が知識を持っている。そういったことを願ったものであれば、それはすべて自分のエゴから出る行動である、ということができます。

あなた方が愛という行動をとる場合、例えば、相手と話をしてあげる、相手に何かをしてあげる、相手に何かを渡してあげる、その時に何を期待して行動するか。私は愛がないから、あの人に少しでも愛を与えてあげてみたい。私の愛を受け取って欲しい。私の愛が感じられればよい。もし、こういう思いを発して行動をとったのであれば、それはすでにエゴのエネルギーとなって残ってしまいます。

普通、愛というのは、それを行なっている段階においては、必ずしもこれが愛という風には意識的に認識していないことが多いものです。ただ単に、相手が困っているときに何とかしてあげよう。相手が悲惨な状況に陥っている。何とかして助けてあげよう。相手が本当に混乱に陥っている。何とかして救ってあげよう。その時に、いちいち私は愛を流してあげよう、という気持ちをもつ人がいますか。でも、それが愛なのです。

あなた方が愛がないという言葉を何度も聞きすぎたがために、愛を行動しようという、その言葉に取り憑かれてしまっている。そうではなく、相手が必要としているものを自分が手助けをしてあげる。この原点に戻ってください。でも、それが愛なのです。相手が本当にそこで喜びを感じる。あなたのおかげで人生が楽しくなった。あなたの一言で生きる喜びが見えてきた。あなたのおかげで生きていて良かった。あぁ、生きる方向性が見えてきた。こう感じたものであれば、これは立派な愛です。

こう感じてもらうような、自分の行動の取り方。いちいち、私の愛はこうですよと、それを自分で意識する必要はありません。でも、その人のやりやすい行動のパターンがあるでしょう。つまり、知識をたくさん持っている者、友達をたくさん持っている者、言葉遣いの丁寧な者、優しく優しく話してあげることができる者、すぐ相手を抱擁してあげることができる人、いろんなタイプの人がいます。それによって相手の心を常になごやかにし、生きている喜びを感じさせることができます。

これを一人ひとりで発見して、育んでいって欲しいというのが先ほど、一人ひとりに流したエネルギーの意味でもあります。皆さん方がそういう観点から、自分なりの愛というのをまた考えていただけるのを願っております。


さて、別の話をここでして、今日は終わりにしたいと思います。皆さん方が少しずつ、エネルギー的に高まり、そして新しい世界や次元と繋がりやすくなってきております。皆さん方は、まだ自分はそんなに高まっていないと思っているかもしれませんが、実際には私たちの世界から見たら皆さん方の波動はもう普通の人間とは根本的に変わってきております。

かなり高い次元の存在とでも、あなた方はコミュニケーションがとれるぐらいになってきております。ただ、宇宙でのいろいろの仕組みや許可が必要なために、まだしばらくは皆さん方にいろいろな存在が直接、話しかけるということはないでしょう。それはしばらくは、今のままで我慢しておいてください。ただ、許しが出れば、いつでも皆さん方に高い存在が直接、話をすることは可能になっております。

今、何人かの非常に優れた存在の方がここにやってきて、それぞれコネクションを造ろうとしております。ここにいる方々のそれぞれのところに、それぞれコミュニケーションをとろうとしている存在が仕組みを造っていきますので、皆さん方はそのまま静かにしてエネルギーを感じるようにしておいてください。


今晩は。まず私の方から先に挨拶をさせていただきます。私はこの宇宙のかなり初期の頃から、すでに宇宙全体でいろいろと活動を行っていた仲間の1人と思っておいてください。ここのうちの何人下の方々が、私たちとの繋がりを深く保つことができるように、今、調整をとっております。これはそれぞれの魂が希望して、私たちに許可をお願いしにやってきたために、私たちもそれを引き受けることにしました。

ここの中の約6人ぐらいがわたしのこの波動と密接な関係を保とうとしております。この波動はあなた方にはいずれ、とても大きな力を与えることができるようになるでしょう。いずれあなた方が広く活動を始めるときに、いろんなトラブルや対立などが起こるかもしれません。でも、それらの現象が起こった場合に、少しでも相手の不快感を軽くし、適切な言葉を与えることによって、何の問題もなく、無事に物事が過ぎていくことができるように、いろんな仲間たちや協力者があなた方の周りでサポートしてくれるでしょう。

これからはそういうトラブルが起こりそうなときでも、このエネルギーがあなた方をしっかりと守ってくれているというのを信じて、行動していってください。感情的にならずに、冷静に言葉を選んでいけば、適切に対応がとれるように、私たちも進めていきます。皆さん方も常に冷静に対処していくことを頭に入れておいてください。

このエネルギーに繋がっている者は、、、(Sさん、Kさんなどの6人に触れる)。今の6人がこのエネルギーを私たちと密接に繋げております。これからの活動の中で、もしトラブルが起こりそうなときにはこのエネルギーを呼んで、冷静に対処していけるように、一緒に行動を進めていってください。


今、流した4人の方は、これは自分たちの今後の方向性を明確に理解することができるように、常にその方向性を示してくれる仲間たちが援助してくれるように、仕組みを造っております。この4人の方々(Tさんなど)はこれからの自分の方向性を見失ったときにはこのエネルギーを確実に呼んで、自分たちの行き先をチェックしておいてください。


大いなる光の仲間たちが皆さん方全員とコネクションをとっております。皆さん方が大いなる光の仲間として宇宙で活動していけることを私たちは望んでおります。


それでは私たちからのいろいろの調整はここまでにいたします。これからも皆さん方が学びを続けながら、自分の心の中に喜びを見い出し、光を拡大させていくことを望んでおります。それでは今日はありがとうございました。

(c)1997 CentralSun

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