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1997/4/20■4月セミナー「パターンを克服する」から

感情と同時に思考のエネルギーも克服する

@自分でつくったパターンをしっかりと見ること(サナンダ)

私はサナンダ。今日は私が中心に話をしていきます。皆さん方が日常の活動の中で、どうしてこういうことが起こるのだろう。自分は願ってもいないもにまたこういうことが繰り返されてしまう。こんなことはもう経験したくない、と何度も宇宙にお願いしたのに、またやってくる。サナンダは嘘つきだ。そう思う人も多いでしょう。でも、私は嘘つきではありません。

皆さん方が自分で引き寄せているのです。自分では、招いているという意識がないかもしれませんが、皆さん方の体がそれを招いているのです。皆さん方の体からはいろんなエネルギーが流れてきます。一人ひとり、まったく違う波動のエネルギーが流されております。今、この場においても、本当に自分は今、生まれ変わりたいというぐらいに、切実に思ってやってきた人、何か変化すればよいなぁという気持ちでやってきた人、本当かどうか分からないけれどとりあえず勉強してみよう、いろんな波動が流されております。

こういう皆さん方の波動が、いずれは必ず自分に戻ってきます。心で考えたり、思っていることがそのまま外に出て、そして感情や思考のエネルギーがそれぞれの現実化のエネルギーと一緒に新しい形となって戻ってきます。そして自分に戻ってきて、現実化を進めていきます。例えば、もうこんなつらいことは経験したくない、と願った場合には、その人の体から、イヤだというエネルギーが放出されていきます。

イヤだというエネルギーが体から放出され、そしてイヤだという現象が起こるように造り変えられて戻ってきます。自分の経験すべき選択肢の中に、そのときの価値観でイヤだという風に思う現象が造られて戻ってくるのです。したがってそれが戻ってきたときに、意識がもうすでに進化していて、イヤだという気持ちが沸かなくなっていれば、そのエネルギーは受け取る必要がなく、自分に影響することはもうなくなってしまいます。

したがって自分の波動を高めて成長していると、戻ってくるエネルギーは必ずしも自分で選択する必要はないということもあるのです。ただほとんどのひとは、そんなに急に成長するということはあり得ないために、結局はそのエネルギーをもう一度経験します。そしてイヤだという思いが沸くような現実を体験します。

その時に、またイヤだというエネルギーを発すると、それがまた放出され、イヤだという思いが沸くような現実をつくり出して戻ってきます。いつまでもイヤだという思いを発し続けていると、これが何度も何度も繰り返されます。そのイヤだという思いが、人によってはだんだん強くなっていく場合があります。現実的には、前回と同じような現実にもかかわらず、前よりも大きなエネルギーとなってイヤだという思いを発する場合があります。

もう、本当にたくさんだ。そうすると、とても強いエネルギーが体から放出され、そして大きな現実を造り出して、自分に戻ってきます。自分は多くの人から、もう本当にイヤだ、と思わされる経験をすることになります。そこでまたそれ以上のエネルギーを発してしまうと... あとは言わなくとも、分かるでしょう。

したがってこのようにしてつくられていく感情のパターン、これをどのようにして自分は解決していくのか。今、それぞれ自分の心に素直に聞いてみて、自分の行動の中で、このように繰り返されているパターンがいくつあるか、探してみてください。人によっては、家庭においていくつもあり、兄弟においてもあり、そして職場においてもいくつかある人がいます。でも、たくさんあるようにみえても、その根本は一つであることがあります。もし、複数、そこで何かに心当たりがある場合に、その根本を自分なりに分析してみてください。

そもそも、人間が好きでないから、一番はじめに否定的な言葉を言ってしまった。それがあとから何度も戻ってきて、人に出会うだけで、不快感が口から出るようになってしまった。初めての人、気に入らない人、自分を一度でも否定したから口をきかなくなった、初めから相手にされなかったのでこっちも初めから無視することになった。いろんなことがあります。

一人ひとりの心の中で、いろんな葛藤が起こっております。特に、親のことについては、皆さんの意識にはない小さいころの影響がけっこうあります。まだ、考え方がしっかりする以前に、両親から言われたこと、両親から何かされたこと、これが無意識のうちにパターンをつくり出してしまっている人がいます。あなたはもう... どうしてこういう子なの。言うことを聞かない。いつも反抗する。こういう風に言われて育った人がいます。

大人を見ると、無意識のうちに避けてしまう。兄弟でも、いつも喧嘩ばかりしていた人がいます。いつも自分が否定される言葉を相手から言われ、それが自分にとってとてもつらかった。だから、職場においても、自分よりも目上の人に無意識のうちに反感を持ってしまう。一番初めの種は、そういう家庭の中でつくられ、そしてどんどん膨らんでしまった人がいます。

自分なりにこれを解決しようとして、一生懸命、努力している人がいます。いろんな過去世のヒーリングやほかの種類のヒーリングを何回か行ない、本当にこのパターンから抜け出そうと必死になっている人もいます。さぁ、自分のパターンの一番初めの出発点が何であったのか、自分なりに分析したあと、それを自分のハートのところに聞いてみてください。このパターンは私の家族からできたものでしょうか。

ある人の場合は確かに過去世から持ってきております。ですから、必ずしもすべてが家庭とは限りませんが、皆さん方の日常の活動の中で、いちいち過去世とかの所為にするのも止めてください。さぁ、自分なりに見つけて、何とか意識に持ってこようとしている感情のパターンのエネルギー。これを、自分は本当にもう経験しないように、愛の波動に変えていきたいというエネルギーを客観的に見る練習をしてみてください。

今までは自分の観点から相手を考え、あの人がこうだから、向こうが先にこうやったから... そういう思いではなく、外側から客観的に見て、お互いにこのエネルギーをテーマにして何かを学ぼうとしている。お互いに何かを学ぼうとしている。それは何であるのか。お互いにいたわりの気持ちがあったのだろうか。相手の言うことをちゃんと理解してあげるという気持ちがどれだけあったのだろうか。

お互いに、ただ自分の言うことを言い張って、認めさせようとしなかったか。客観的にその状況を考えてみてください。その時は自分自身も感情の中に入り込んでしまい、ただひたすら自分の思い通りに運ぼうとしていなかったかどうか。初めから相手の言うことに聞く耳持たず、拒否していなかったか。ほとんどの人は、その一番初めの段階で相手を否定し、聞こうともせず、自分を正当化させようとしてその泥沼の中に入っております。

何故、相手の言うことをまず、認めようとしなかったのか。頭では何とか相手の言っていることを認めようと思っていながらも、ついつい体が反抗してしまう。口から出る言葉がついつい否定的な言葉になってしまう。今度はちゃんとやろうと思っても、顔を見ると、どうしてもムカムカしてしまう。出発点がこうなっております。

あなたがたの言葉では、雰囲気とか第一印象とかで表現されますが、そういうエネルギーは自分の心でつくり出されております。相手の雰囲気ではなく、実際には自分の心から発せられております。雰囲気で相手をイヤになったり、避けてしまうエネルギー。まずはこれが自分の心の中にあるというのを認める必要があります。第一印象ですぐ人を評価してしまう。嫌ってしまう。相手の中身を本当に理解しようとしないで、瞬間的に相手を評価してしまう。

皆さん方の生活の中で、確かに第一印象とか雰囲気が大きな影響を与えることがあります。自分が何かをしようと思っても、中々うまくいかない。何かこれをやってもうまくいかない気がする。こういうときは確かに実際にそれを選択すべきではないという仲間からのメッセージであることがあります。でも、一般に人間関係において、その人が良いとか悪いとかいう情報を私たちが与えることは一切ありません。これをよく理解しておいてください。

何かを選択したり、何かを進めるときに、雰囲気やインスピレーションを与えることがあります。でも、人間関係の中であの人は良い人とか、あの人は合わない人とかいうエネルギーを私たちはいっさい流すことはあり得ません。まずはそれをしっかり理解しておいてください。人間関係において、雰囲気的に感じとったエネルギーは自分のエネルギーです。したがって瞬間的に避けてしまうのは自分の思いであり、自分自身の判断です。

したがってそれに従うのではなく、それは自分で改善すべきエネルギーであるというのをまず認める必要があります。第一印象で相手を切り捨てるのではなく、第一印象でもう切り捨ててしまう自分がここにいる、そうかこれを第一印象で許してあげる波動に変える必要がある、と。合わないと思う人でも、それは自分が勝手につくりあげた妄想のため、本当の真実ではない。

心から、目の前の人にまずハートを開いて、まず聞いてあげよう。まず、相手を認めてあげよう。まず、お父さん、お母さんの言おうとしていることは何であるのか、素直に聞いてみる。確かに、親の価値観からすれば、それは当然かもしれない。親の育った世代、時代背景を考えたら、そういう風に表現するのは当然かもしれない。だから、両親が言うこと自身は尊重してあげよう。ただ、私が生まれ育った世代は両親とは違う時代背景。私は私の人生を歩んでいる。したがって私は私の判断で行動している。これを自分なりにしっかりと認め、許してあげる必要があります。

さて、では現実に親や職場において、どのような対応をとったらよいのか。特に、親は子供に対して常にコントロールしようとするエネルギーで言葉を与え、日常を暮らしております。自分はもうそのコントロールから逃れたい。自分にコントロールのエネルギーを流してくるということは、自分にもどこかにコントロールしたいというエネルギーがあるということをまず認めてください。

誰かを自分の管理下にしたいと思っていないか。誰かを自分の思う通りにさせようとしていないかどうか。これが親からのコントロールのエネルギーとなって、あるいは職場でのコントロールのエネルギーとなって、自分に戻ってきます。つまり、自分の方からもうコントロールするのを手放す必要があります。誰かを自分の言うとおりにさせるのではなく、もう認めてあげる。相手の選択をすべて認めてあげる。自分は自分で、自分の道を歩いていく。ほかの人がどういう選択をしようとも、それはその人の責任。自分は自分にとって必要な経験を重ねている。それを本当に理解することが必要です。

ほとんどの人が相手のすべての選択を認める段階で、もし、それを許したら、自分が危ない。自分が不利益を被る。自分が脅かされる。こういう思いを持って、ついつい行動をとってしまいます。実はこういう思いそのものが、また一つの別のパターンをつくっていきます。自分が何か被害を被る。非難される。否定される。こういう恐れのパターンを持っております。常に、ほかの人から否定されることへの恐怖感が体にまとわりついております。

したがって先ほどの自分のつくり出したパターンと恐れのパターン、これは別個に存在しているというのをまず理解しておいてください。恐れは恐れで、また別に対応していく必要があります。自分はどんなに否定されても、実際には絶対に否定されるような状況にはなっていかないというのを信ずる必要があります。なぜならば、自分の人生は自分がつくるようになっているからです。ほかの人から否定されたからといって、自分が消えることはありません。ほかの人から無視されたからといって、自分が独りぼっちになることはあり得ません。

自分が心を開き、ほかの人に良いエネルギーを出している限りは、自分が一人になることはあり得ないのです。ほとんどの人は、ほかの人から少しでも非難されると、自分でハートを閉じてしまいます。自分でハートを閉じているために、自分から愛のエネルギーが流れていかなくなり、そして独りぼっちになっていきます。自分で独りぼっちになっているのです。ですから、いかにほかの人から非難され、否定されようとも、自分のハートは絶対に閉じないようにしておいてください。

常にハートをオープンにして、愛を流し続けていくように。そうすれば、一人になることは絶対にないのです。皆さん方の魂自身はいろんな人間を通して、学びを続けようと願っているからです。一人になる経験を学ぼうとしているのは、そうやってほかの人から非難されたときに、自分で殻を閉じてしまい、独りぼっちになって苦しんでいる、という体験を自らつくり出しているからです。自分の心を閉じてしまうこの原因。孤独への恐怖。否定されることへの恐怖。これも多くの人が身に付けております。一人ひとり自分の行動の仕方が見えてきたでしょうか。

私たちは皆さん方のエネルギーの状況を見ることができます。ただそれを皆さん方がどのようにしてそれに取り組み、手放していくのか。これは一人ひとり、まったく違います。皆さん方には今、ガイドと呼ばれている存在たちが何らかの工夫をして、少しでもエネルギーが楽になるように、不要なエネルギーを手放していけるように、考えております。自分なりにまず、何度も何度も繰り返してしまうパターン、反射的にとってしまうパターン、常に日常持ち続けている恐れ、こういったものをしっかりと自分で見つけてください。


それではまずここで少し、休憩をとって、休憩時間に少し、隣の人たちと自分の感じたことや克服したいテーマを口に出してください。それではいったん、休憩にいたします。ありがとうございました。


A金銭への執着をどう克服するか

それでは続きを始めます。今の皆さん方のやり方(パターンを克服するエネルギーワーク)を見ていて、とても面白いことが起こりました。皆さん方の仲間やガイドと呼ばれている存在たちが本当に相手のエネルギーをここに持ってきました。そして自分が相手に話しているときに、本当に相手が自分の言葉からエネルギーを受けて、癒すべきところがお互いに癒されるように、本当にエネルギー的に演じられておりました。

そして皆さん方に与えられたアドバイス、これも本当に仲間やガイドたちからあなたがたに与えられたアドバイスです。かなりのひとが完璧に受け取っておりました。自分では納得できないとか、信じられないという人がいるかもしれませんが、あくまでも耳に入った言葉は全部聞くべき必要性があった言葉であるというのを信じておいてください。

さて、その中で、まだいくつか残っているものがあります。多くの人が、先ほどの話にあったように、お金のことに関しての執着的なものを引きずり込んで、いろんな現象をつくっていることがあります。お金というものが確かに皆さんの生活の中で完全に支配権を握り、皆さん方をコントロールしているかのように振る舞っております。

もう何でもかんでもお金が根本にあり、お金がないときには毎日が不安の中に入ってしまっている。お金があるときには余裕があり、すべてが自分の自由となって心も大きくなっていく。お金という価値観のものが皆さん方の毎日の行動を完全に牛耳っているのです。この金銭に対する執着のエネルギーを皆さん方の日常の中で切り離せといっても、きわめて難しいかもしれません。

ただ、私たちの観点から見て、明らかにいえるのは必要なお金だけが確実に入ってくるということ。皆さん方は必要以上のお金を常に期待し、心配し、そして不安を感じております。どこまでが必要で、どこからは必要でないのか。この見極めが難しいために、中には10億円もらってもまだ足りないと感じていたりする人がいます。必要なお金というのは何であろうか。皆さん方の意識はあまりにも先へ先へと発展しすぎます。まだ起こってもいない現象のことを考え、そしてそこに幸せを見い出そうとして金銭というものでそれを解決しようとします。まだ起こってもいない現象のことについて、いろいろと思案を巡らすのです。

必要なお金というのは、今現在の自分の行動において、その人の成長のためにどうしても必要なもの、それを得るのに最低限必要なものが送られてきます。自分の成長に結びつかないもの。単なる、願望や見栄、比較、満足感、それだけのために金銭を求めている人は残念ながらそれは実現されません。その人の成長に結びつくかどうか。皆さん方は、今、暮らせるかどうか、という価値観で必要なお金というものを考えていきます。まずは生活できること、まずはちゃんと生きていかれること。これを考え、これを維持するための金銭を手に入れようとします。

私たちからすれば、生活ではなく、今必要な経験をするために費やすものが与えられます。この見極めが多くの人に混乱を与えております。三次元的に生きているから、まず生きるための保証が欲しい。確固たる財源が欲しいと、ほとんどの人が訴えてきます。でも、私たちの観点からすれば、そういう風なお金の流れにはなっておりません。自分の生活基盤をしっかりと支えていくのは、金銭ではなく、他をもっと生かしているかどうか。生きようという意思があるかどうか。これに強く左右されます。

ほかの人が生活している。それを本当に認めてあげる。つまり、そこに嫉妬や見栄、比較が入ってしまうと、もう相手の生活を認めていることにはなっておりません。自分の生活そのものを否定していることにもなります。自分がまず生活していることの喜びを感じる。そのためには相手が生活していることに喜びを感じる。これを常に維持していれば、最低限、生活するのに必要な状況は自然と与えられてくるのです。お金の問題ではないということをまず理解しておいてください。本当に、他人が生活しているのを認めているかどうか。

このお金への執着は、だんだん皆さん方から離れていくことになります。今のような感覚で、最低限、生きるということに意識を向け、ほかの人の生きていることを喜んであげ、認めてあげる。そうすると、自分も自然に生きていることにお金には問題のない状況が与えられてくる。すべてがこういう価値観で、金銭感覚に対し、自分の意思によって生活を変えていくことが可能となってきます。

いろんな考え方によって、金銭ではなく、相手を認めたり、尊重してあげたりするだけで、必要なものが自分に与えられてくるということに気がついてきます。自分にとって必要なものがどこまでであり、どれ以上は余分な期待だったのか。少なくとも、単なる見栄や単なる満足感、手に入れたいという願望、それだけのためであるならば、必ずしも正常な方法で手に入れるのは難しいと思っておいてください。

自分が成長するため。相手を成長させるため。これによって正常なエネルギーが流れていくということ。皆さん方の毎日の行動の中で、この金銭的な執着のエネルギーがかなり強く影響しております。何を話すにしても、すぐ金銭的なことから考える人が意外と多くいます。休みはどうするか。皆でどこに行こうか。これからどういうプランを造るか。お金というものを基準に、すぐ考える人がたくさんいます。

でも、まだ入ってもいないお金というものを先に前提にして考えたところで、宇宙的には正しいエネルギーはつくられてきません。まずは自分が体験したいということをしっかりと自分で造り、プランを明確にし、そしてその予定を現実のものとして信じ込む。そうすると、許しがある場合にはそれが現実化する方向へとエネルギーが造られていきます。そうすると、それに見合った分だけの状況が与えられ、人によっては金銭という手段ではなく、別の方法によってそれが現実化することがあります。そういう方法によって、現実を造り出すというやり方を学んでいってください。


B感情と同時に思考のエネルギーも高めるように

さて、 皆さん方の感情のエネルギーの波動の高まりと同時に、思考のエネルギーの波動も一緒に高めていく必要があります。皆さん方の思考も、ある意味では概念にかなり執着をつくっており、こうしなくてはいけない、こういうときはこうするもの。こういった概念がかなりその人に影響を与えております。感情の波動を高めると同時に、思考におけるこういう考え方も同時に高めていく必要があります。

感情が高いレベルで、自分の手の内に客観的に扱えるようになってくる。では、思考はどのようにして波動を高めていくか。皆さん方の考え方というのがどのようにして演じられているか。何か、ある問題を解決するときに、ほとんどの人はごく普通の今までのやり方で対応しようとします。今までのやり方で対応できないときに、別の工夫をそこで考えていきます。

しかし、その考え方としては今までのやり方を基本にしながら、少し別の角度から考えてみて、できるだけ自分にとって都合のよう方向へと流れていくように、考え方をつくっていきます。まずはこういうやり方そのものを根本から変えていく必要があります。何か問題が与えられたときに、それを今までの考え方で克服しようとするのではなく、そもそも、その問題はもう解決されていて、なくなっている。もう、全部、解決してしまっている。まずはそういう意識をつくることから始まります。

ある問題が目の前にやってきた。普通の人はその中に入ってしまって、あぁしよう、こぅしようといろいろ工夫をしていきます。しかし、そうではなく、これは単に考えさせるためのエネルギーがやってきただけであって、実際にはこんな問題ははじめから存在していなかった。もう私はこれに対しての考えにとらわれる必要はなくなってしまった。この問題はもう必要ない。すべてはうまくいっている。こういう感覚で解決していくことが可能となります。

例えば、ある人との関係において、自分の考え方が相手に納得されずに、相手がいろんなことを言ってきたとしましょう。自分は相手からいろいろと反論され、中々納得してくれない。相手は一生懸命、自分の考えていることを押し通そうとして言ってくる。普通は相手に何とか納得させようとして、いろんな話し方や別の論理の進め方、別のテーマを出して、自分の正当性を主張しようとします。

でも、これは基本的に単に正当化のエネルギーがお互いにやり取りされているだけであり、考え方そのものには何の意味もなかったということ。魂レベルでは正当化するということのエネルギーをただ経験させていただけなのです。そこで現れてきたいろんな現象、一見、争いの元になっているテーマ、実はこれ自身には何の意味もなかったということです。単に正当化しているよ、という現象をお互いに見せているだけなのです。

それに気づいた段階で、いくらここで手を尽くし表現を変えたところで、相手を正当化しようと思っている限りは解決しないということに気がつき、あぁもう分かった、私は正当化しない、相手の言うことはすべて認めてあげる、それは相手の意見として尊重してあげる。ただ、自分は自分の意見がある。でも、これを押し付ける気はしない。でも、私は自分の信念に従って行動していく。私は自分の生き方をする。でも、相手に自分の生き方を押し付ける気はしない。

したがって意見の食い違いがあろうとなかろうと、それは本質的な問題ではない。したがって意見の食い違いに問題があったわけではなかった。意見が食い違っているという事実は一切なかった。お互いが自分の生き方をただ表現しているに過ぎなかった。このようにして考え方そのものを変えていくことが必要となります。思考のエネルギーの波動を高めていくというのはこういうやり方であり、あくまでも思考の中に入ってしまって、そこで解決の糸口を探そうとしても、実際には感情の波に流されてしまってそこから抜け出そうとしているのと同じだということが分かってくるでしょう。

したがって感情の波に流されずにそこからクリアになっていくということと、思考のいろんな概念の中にはまり込んでしまってその論争を繰り返していることから離れていくということが同じであるということが分かってくるものと思われます。したがって感情をコントロールするだけではなく、思考についても同じようにコントロールできるように練習をすることがこれから必要となってくるでしょう。

思考についても感情についても、このようにして自分がコントロールできるようになり、より高いレベルで相手と話をしたり、付き合うことができるようになってくる。相手のやることは認めてあげ、相手の生き方も認めてあげる。でも、自分は自分の信念に従う。自分について嘘をつくようなことはしない。自分がおかしいと思ったことはしっかりと表現する。

しかし、相手を傷つけるわけではない。自分のやりたいことを言ったからといって、相手を傷つけるわけではない。相手を認めながら、自分も認める。お互いを認める。相手を認めることが自分を否定することではない。自分を認めることが相手を否定することでもない。お互いを認めるというやり方。これを感情のレベルと思考のレベルで実現していく。これがこれからの皆さん方のテーマとなってきます。

今日、いろいろ皆さん方の心の中から出されてきた感情のエネルギー、もうこのエネルギーに皆さん方はとらわれないように、しっかりと自分の魂にも宣言をしておいてください。もう、同じパターンが繰り返されてきたとしても、それを高いレベルで見ることができる。意味があって、この体験をしていた。教えるためにこの現象化させてくれた。もう、私は意味が分かった。あとは高いレベルで、私はこれを見つめることにします。しっかりとそれを宣言しておいてください。


C傷つけられることへの恐れ

一人ひとり感情的なトラブルを経験したことがあります。どうしても気にくわない相手というものが存在し、まるで自分に危害を加えるかのような言動を受けたことがあります。そのときの恐怖や恐れが自分の周りに覆いかぶっており、その人のことを思い出したり、似たような人がいるだけで、そのエネルギーが瞬間的に反応してしまいます。何故、ここまで自分は傷つけられなければならないのか。そう思う人がいるでしょう。でも、やはりそれなりに意味があるのです。

人から傷つけられる。これは愛に飢えている人にとても多い傾向です。誰かから愛されることを望んでいる。あまり自分は根本から本当に他人に尽くしたり、その人に全力を出して守ってあげたりしたことがない人。自分があまり、本当に愛してもらったという経験もないために、もっと愛して欲しいというエネルギーがだんだん強くなってきます。愛されたい。もっともっと愛して欲しい。でも、自分はその分、他人に愛したことはない。でも、愛されたいというエネルギーがつても強くなっている。

結局、こういうエネルギーは相手からいかにも愛を奪い取るような感じで、愛とは反対のエネルギーを相手にぶつけてしまいます。これを相手は傷つけられたように受け取ってしまいます。結局、それが自分に戻ってきて、自分がとても傷つけられたかのように感じてしまいます。

自分が本当に常に他人に愛を流している人はだんだん傷つけられることが減ってきます。というよりも、傷つけられたという感覚がだんだん薄れてきます。自分が傷つけられた、と感じている人は、とにかく人を愛するということをもっともっとやる必要があります。相手を責めたりは絶対にしないようにしてください。あくまでも、自分の心が出発点であるということ。


皆さんに癒しのエネルギーが流れていきますので、しっかりと受け取ってください。


D焦らないように

感情をコントロールするというのは多くの人間にとってまだまだ難しいテーマかもしれません。でも、少しずつ少しずつ自分が変わってきて相手を本当に許すことができ、自分を許せるようになり、本来の自分が輝いてくると同時に、相手も本来の輝きを出してくる。それに気づいたときに、どんどんこれから光が増えていく方向に自分がいるということに気がついてきます。自分の輝きを増せば増すほど、相手も輝いてくる。どんどんこれから光が広がって、強くなっていきます。

その光を曇らせていたのが、単なる自分の執着であり、概念であったということ。これを少しずつ手放し、自分と切り離すことによって輝きが戻ってきます。一瞬にしてそれを実現しようとか、短期間でやろうとか、あまり急がないでください。ゆっくりゆっくり自然の流れに任せて、変えていくように。急にやろうと思うと、かえって焦った気持ちで別の現象を引き起こしてしまいます。

つまり、人よりも早くとか、ほかの人よりも上にという気持ちによってプライドや慢心の気持ちが別の現象をつくり出されるからです。したがって一瞬にして実現してしまおうとか、他人より早く実現しようということも考えないようにしておいてください。その時その時に与えられる現実、それを素直に受け入れていってください。すべてを許すこと。現象化もすべてを許してあげる。自分の身の回りにやってくる人々との一瞬一瞬の交わりを楽しんでいってください。


E素晴らしい自分に出会える楽しみ(創造主)

私はあなたがたのすべてを創り出した大元である。一人ひとり、自分というものに関心を向け、目覚めつつある。だが、早く知ろうとか、もっと詳しく知りたいとかいう気持ちは持たないで、自分のペースで自分を知る努力をしていって欲しい。自分というものがとても面白い。あなた方が考えている以上に、自分は面白い。不思議な仕組みがいっぱい、入っている。自分にこんなことができたのか。自分の宇宙がこうだったのか。自分の仲間たち、素晴らしい仲間がいっぱいいる。自分というものがこんなにも複雑で、面白く、価値のあるものだった。それが少しずつ、分かってくるだろう。

自分に目覚めつつある者たちよ、もっともっと素晴らしい自分にこれから出会えるぞ。楽しみにして待っているように。あなた方にとても素晴らしい自分を私は用意している。私と同じぐらいの大いなる可能性を秘めた自分がそれぞれの心の中にある。自分。素晴らしい自分にもっともっと目を向け、これからそれを自分の友達として、また目標として、そして自分として付き合っていって欲しい。


私から最後に特別のエネルギーを皆に流して、終わりにしよう。


それでは私からのエネルギーはここまでにしよう。それぞれこれからの現実というものを楽しみながら、成長していって欲しい。私はいつでも、あなた方のすべての中に入り込んでいる。あなたがた方ホンのわずかでもほかの者に否定のエネルギーを流しても、私を否定することになってしまう。そしてあなたがた自身のエネルギーを否定してしまう。私はしかしすべての大元として永遠に生き続ける。

私を否定することはできない。あなた方も何者にも否定されることはない。すべて、生きるために与えられている。そしてすべてを生かすために与えられている。さぁ、永遠に私と生存する者たちよ、私からの祝福のエネルギーを与えて、終わりにしよう。

それではここで終わりにいたします。ありがとうございました。



おまけ:1997/4/21 ある人の個人セッションから

@ あなたがたに私の方から話をします。私たちは今、とても大きな変更を始めています。今までのやり方では新しい地球が完全には機能しないということが明らかとなり、大幅の変更を加えております。今までの計画だと、人類が目覚めるためにはまだまだ多くの時間がかかり、とうてい本来の流れには間に合わないということが分かってきました。今、私たちは本来の流れを変えようとして、いろんなことを試みております。

人類が目覚めるのに、どれだけの時間がかかるか。私たちはもう、これを考えることはしないようにしました。およそ人類の意識が目覚めるのを待っていたところで、時間がただ過ぎていくだけであり、辿り着く人類がほとんど増えないということが明らかになりました。私たちが考えていた計画では、今ではほとんどの人間がこういうことに関心を抱き、そして興味を持ち始め、多くの人が何らかの意識を身に付けている、という状況を想定していました。

今、ほとんどの人間が、まだ、信じる・信じない、嘘か本当か、現実か空想か、この二つの間で揺れ動いており、確信を持って前に進むということができなくなっております。こういう状況がまだまだずっと続くということが予想されるために、もうこれ以上、待ってはいられないという決断を下しました。これからの流れがどうなっていくか、私たちなりにいろんなプランを造っております。私たちが考えたプランの中では、人類が目覚めるのにまだまだ時間がかかるという状況のもとで、プランを造っております。

こういう状況では、たった一人の人間を目覚めさせるだけでも多くの努力が必要とされ、またそこに協力する存在たちの数もかなり大規模なものになってしまいます。もう、そういう状況をあまりつくることができなくなってきているために、私たちは別の状況を想定せざるを得なくなっております。今まではエネルギー的にとても敏感な人を中心にして、そこから興味をどんどん広げていくという方針でやってきました。

初めはこれがとても良いように動いていたために、私たちもこれをベースにしていろいろとつくっておりました。ところが、ある段階までたつと、本人が本来の趣旨を忘れてしまい、単に競争意識の中でエネルギーの感受性を高めるという方向に動いてしまい、本来の役割を完全に見失ってしまいました。そして地球人類が繰り返してきた争いや比較といったエネルギーが急に蘇り、お互いの中でいろいろとやり合うという状況がつくられてきました。

こういうエネルギーではいつまでたっても自分自身の本来を見ることができないために、私たちは根本からやり直すことにしました。今、私たちがやろうとしているのは、本来の自分に目覚めようとしている人間たちだけを集め、あと少しの協力をここで行なうことにより、自分が目覚めるという人間だけを集めることにしました。それによって目覚めるという体感を自分で味わうことができ、その喜びを伝えることができるのではないかと、私たちは今、考えています。

ただ、現実に目覚める寸前の者を集めるということと、そしてそこで本当に目覚めるという状況が可能かどうか。そのための仕組みをいろいろとつくっております。人間が目覚めるというのは予想以上に厳しいものがあり、完璧な状況をつくってあげても、なお目覚めない者が後を絶ちません。何から何まですべてつくってあげないと、自分の力では目覚めることができないという人間が多いのです。せめて最後の一押しぐらいは自分の力でやっていただきたいのですが、その最後の一押しも誰かにやってもらうという人間が圧倒的に多いのです。

ここでそういう人間を目覚めさせてしまった場合に、常に他力本願の気持ちがまた身についてしまわないか、というのを今、心配しています。最後の一つは自分の力で行なう。これをいかに人間の力で行なってもらうか。それを今、いろいろと工夫しているのです。

自分自身に目覚め、そして喜びを自分で造り出していく、という人間が次々と増えてくるというのを私たちは望んでいるのですが、いまだにこういう状況にうまくいったことはありませんでした。人間はどうしても、自分を甘やかす心が奥に潜んでおり、誰かにやってもらう。誰かが導いてくれる、という依存する気持ちが常に残っております。

こういう気持ちを出さないまま自分の力で目覚めるという人間を私たちはたくさん造りたいのですが、今のところ、圧倒的に依存する人間の方が多いという状況です。これがいつ、どの時点で大多数に変わっていくか。これによって未来がかなり変わってきます。急速にこういう人間が増えてくるのであれば、また本来の流れに戻ることができるでしょう。しかし、結局、目覚めない人間の方が圧倒的に多いという事態になったときには、残念ながらとても苦しい事態になってしまうかもしれません。私たちはそういう状況をつくらないように、何とかして多くの人間に目覚めていただきたいと願っております。

私達なりの見解では、この地球人はまだまだ自分というものを理解しておらず、自分の本心というものも認めようとせず、まるで暗がりの中でただ一人でわめいているという状況に見えます。こういう人間に、暗がりから外に出て、太陽の素晴らしさを感じてもらうにはどうしたらよいのか。自分の力で表に出る必要があります。今の人間は誰かに手を引っ張ってもらって表に出ることを望んでいるのです。

こういう意識をまず変えるために、どのようなことをしてあげたらよいのか。口で言っても、ほとんどの人は分かりませんでした。エネルギーを感じさせても分かりませんでした。光を与えても、見ることができない。どうやったら外の光を自分で体験することができるのか。完全に暗がりに慣れてしまい、表に出ることを怖がっている。歩くこと自体を恐れている。ただ悶々と座り続け、誰かから抱いてもらうことだけを考えている。

何と可愛そうな地球人でしょう。ほとんどの人間がこういう状況であり、こういう状況の中で私たちは新しい時代を造ろうとしているのです。一人ひとりがどうしたら目覚めるのか。私たちなりにインスピレーションを送り、イメージを送り、優れたものを近くに寄せても、自分で歩こうとしない。自分で歩くということを恐れており、歩き方すらも忘れてしまった。

もう、こういう状況では見えるものがただ手を引っ張って表に連れ出しても、歩きはしないでしょう。まず、歩くことを思い出してもらう必要がある。どうしたら思い出すのか。完全に足が弱っており、歩くということすらも恐れている。一、二歩あるいて転んで、やっぱり歩けないなど、コワイだの、自分がつらいだのとまた正当化を始めてしまう。

でも、私たちは諦めるわけにはいかないのです。こういう地球人を私たちが創りあげたという責任もあります。たった一人でも良いから、歩くことの喜びを感じた者、あぁこれが喜びなのか、これが生きるということなのか、生きるということはこんなに楽しかったのか。こういう実感を感じてもらいたいと思っているのです。

私たちはまだまだこれからいろんな計画をつくり、人間にいろいろ導きを与えるでしょう。でも、一瞬にして全員が目覚めるということはあり得ないということ。一人ひとりが自分で歩こうという気持ちをまず持ってもらうという必要があること。やたらに手を引っ張っていけば、甘やかすだけであり、歩かないまま、ただ誰かについていくという感覚が身についてしまう。でも、放っておいたら、ただ泣き叫んでしまう。恐れてしまう。でも、諦めるわけにはいかない。

これが今の地球の状況です。さぁ、一緒に頑張りましょう。


A 私の方から説明をいたします。今の話にもあったように、私たちはいろいろ計画をつくり、そして修正を加えております。地球人類の目覚めがすべての鍵を握っているために、ただ計画を変えたからといってうまくいくわけではないということをまず理解してください。計画は何度も何度も変わっていながらも、目覚めは何も変わっていないからです。でも、諦めるわけにはいかない。

私たちはまだまだこれからいろんなことを行なうでしょう。一人ひとりが本当に目覚めるために、何が必要なのか。これを探し求めているのです。単に愛を注いでも目覚めない。導いても目覚めない。快楽を与えても、目覚めない。奇跡を見せても目覚めない。何を与えたら、目覚めるのか。自分が目覚めるには何が必要なのか。これを皆で考えているのです。どうしたら、目覚めるのか。

私たちはこれを最後の最後まで、探し求めていきます。


(c)1997 CentralSun
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