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1997/5/19■月曜勉強会

概念にとらわれない本来の自分を表に出すように

@思考でつくられた自分と本来の自分

私たちはアシュタールコマンドの仲間から来ております。今日は皆さん方の一人ひとりの特徴について、少し説明をしてみます。皆さん方は自分というものについて、もっともっと知りたいという気持ちがあるでしょう。でも、自分を知ろうと思っても、それを的確につかむことが中々できません。自分のことにもかかわらず、自分が何であるのか、これがつかめないのです。自分は今、何のためにここに存在しているのか。自分は何のためにここにやってきたのか。中々、分かりません。

自分というものの存在は自分でしかつかむことはできません。皆さん方はよくほかの人からの話を聞いて、それで自分をつくり上げていきます。あなたは優しい人だとか、あなたは正直な人だとか、あなたはまだまだ未熟だとか、そういう他人から言われた言葉の一つひとつで自分をつくっていきます。ほとんどの人は自分が分かったつもりになっていても、そういう他人から言われた言葉や概念の集合体で自分をつくっているのです。

それが本当の自分と同じであるのかどうか。ほとんどの人は同じと思っているのです。皆が自分のことを良い人だという。自分でも、悪くはないと思う。ほとんど嘘はつかないし、あまり危害を加えてもいない。皆は、あなたは真面目な人だ、とよく言う。私も真面目だと思っている。こうやって自分という概念がどんどんつくられていきます。

さて、これによってつくられた自分。本当の自分とどれだけ合っているでしょう。自分という存在が自分でつくられた概念で現れている。本当の自分。本当の自分って何であるのか。今、それぞれ自分の意識があります。何かを考え、思い、行動を指示している自分があります。この自分という意識。このいろいろ考えている自分。でも、この考え方はいつ、どのようにしてつくられてきたか。

親に、こういう風に考えなさいとか、こうしてはいけないとか、こういうときはこうするものだとか、そう言われて身に付けた考え方があります。自分なりにいろいろやってみて、経験的に、こういうときはこうする、そういうときはそうする、という風にして獲得してきた考え方もあります。でも、その奥底にそれ以前に人間として最低活動するための根本の自分を動かしているものがあります。物事を考えるときに、どう考えようか、その根本を命令している自分があります。それによって自分はいろんな考え方をしたりします。

何か、感情的に悲しいとかつらいとか判断したときに、その判断をさせるに至った大元の自分が存在しています。判断したり考えたり、結論を出したりする以前に動いている自分。この自分。一人ひとり、必ずその本質的な自分があります。この自分というのは、ある意味では生まれたときにすでに存在しております。日本語をしっかり覚える前から存在しております。

赤ちゃんが意識があり、それなりに考え、動いていることは分かるでしょう。でも、言葉はずっと後に覚えます。言葉を覚えていないとき、赤ちゃんはどうやって判断し、行動しているのでしょう。言葉をいちいち使ってはいません。これが本質的な自分に近いものです。やがて、だんだん大脳が活動しだし、怒られたり注意されたりして、思考が動き出していきます。こういうときはこうするという概念が次第につくられていきます。

そして親からいろいろと言われ、言葉を覚え始めていきます。そのころから本質的な自分がどんどん隠されていきます。いつの間にか、大脳を使った思考パターンが表に出てきて、それが普通の自分であるかのように、いつの間にか入れ換わってしまいます。皆さん方は、もう物心ついたときから、大脳を使った考え方が当たり前のようになってしまいます。でも、これは後でつくられた別の自分です。本質的な自分とは違います。

それでは本質的な自分。これはどういう自分なのでしょう。瞑想などしているとき、思考をまったく使わないで、ただただ自分が存在している状況に保っているときに、特別な雰囲気になることがあります。言葉やいろんな概念に束縛されない、とても不思議な感覚に陥ることがあります。これはある意味では大脳の束縛から一歩、大きく踏み出たということもできます。ただ、この時間を長く保つのには難しいものがあります。

でも、練習次第によってこれを長く保つことが可能になっていきます。大脳をなるべく使わずに、本来の自分の思考パターンに近づけていく。この本来の思考パターン、今まではこれがホンのわずかしか表に出てきておりません。皆さん方は目で見て、耳で聞いたり、肌で感じたものを大脳を通して組み立てていくという作業にあまりにも熱中しすぎているために、これが当たり前のようになっております。

あぁうるさいなぁとか、あぁ気持ちよいとか、常に大脳を通して反応していきます。いつの間にか、大脳を使った反応の仕方が当たり前であり、それこそが自分であるかのように思い込んでしまいます。でも、これは自分ではないのです。その裏にある本質的な自分。忘れ去られてしまった本質的な自分。これを呼び戻す必要があります。

どのようにして呼び戻していくのでしょう。一人ひとり、そのやり方はかなり違います。なぜならば、一人ひとり自分という概念をまったく別につくりあげているからです。自分というものが何であるのか。これがそもそも一人ひとり、まったく違っております。考え方が一人ひとり違えば、感情の出し方、ほかの人から言われたとときの反応、自分の意思の表し方、魂との繋がり方、これらが一人ひとり違います。

したがって自分という意識、これに対する思いも一人ひとり違います。皆、自分という言葉だけは知っているでしょう。自分。自分で考えた。自分で判断した。本当にそうでしょうか。皆さん方の考えは、魂やガイド、兄弟たち、周りに存在しているその他の諸々のエネルギーの集合体として皆さん方に現れてきます。自分固有の思いから発せられたものではありません。先ほどの説明のように、本来の自分はホンのわずかしか影響しておりません。

自分は真面目にやろうと思っていても、周りでもうそろそろやめようとか、その辺で適当に切り替えよう、というエネルギーが充満していると、何となく途中でやめてしまったり、イイカゲンにやって終えてしまったり、という行動をとっていきます。多くの人が集まれば集まるほどその影響が大きくなってきて、皆で何かをやったり、皆で合わせたりしていく傾向が強くなっていきます。

自分という意識を明確に感じて、それで行動するという人はまだそんなに多くはいません。ほとんど忘れ去られてしまったこの自分。この自分をもっともっとしっかりと認識する必要があります。自分というものが何であるのか。今、それぞれ皆さん方が頭の中で考えております。自分で聞いて、考えていると思っているでしょう。でも、実際にはいろんなエネルギーが関与しております。

ほとんどの人はこれまでの概念によってつくられたエネルギーがいろいろ作用しております。言葉を解釈するときに、概念からいろんな言葉の解釈が現れてきて、それによって意味を組み立てていきます。これは必ずしも、本来の自分の働きではありません。やはり大脳を通し、いろんなエネルギーが介在して行なわれております。本当の自分は言葉をいちいち解釈したり、言葉によって決定するということはありません。もっと本質的なところから感じとったり、認識していきます。したがって言葉にいろいろと入り込んでしまう場合には、必ずしも自分には繋がらないことがあります。

でも、そうすると、自分の経験の意味がどんどん分からなくなってしまうでしょう。言葉を解釈するというのは大脳の働きですが、それによって得られたもの、相手がどう考えるかを理解したり、相手が何をしようとしているのかを理解する。理解した後、それが本当かどうかを確認するところが本当の自分となります。

頭で考えたこと、これが本当に自分の本質が望んでいることかどうか。そこで本当の自分と照らし合わせてみます。本当の自分からみて、それが納得いく場合に、その行動をとったりするでしょう。本当の自分が納得していない場合に、また別のいろんな現象を起こしたり、それを判断させたりして体験をつくり出していきます。本当の自分と頭でつくられた三次元的な自分。この関係をしっかりと理解しておくことが必要となります。

自分という言葉ほど、曖昧でとらえがたいものはありません。一見、当たり前で誰でも分かるような表現ですが、どこまでが本当に自分なんであろうか。考えや思いの一つひとつ、本当に内なる自分から現れてきたものかどうか。ほかの人がいつもこう言っているから、私もそう思う。社会一般にそう認識されているから、私もそう認識する。誰もがそれを常識だと思っているから、自分もそれを常識と思う。ほとんどの場合はそういう風にして自分という価値観をつくりあげていきます。本当の自分がそう考えているかどうかは分かりません。本当の自分は何を考えているのか。


A言葉をつくり出したことから言葉を前提にするようになった

私はNの魂から今、話をしております。今、おもしろい話が伝えられております。今、試しに私のエネルギーを皆さんに流してみましょう。私というこの存在のエネルギーを皆に感じていただく。

私自身は人間ではなく、いろんな進化の過程を経て地球にやってきております。地球ではいろんな役割を演じてきました。必ずしも皆さん方の価値観から見て素晴らしく良いという人生ばかりではありません。だからといって否定的な人生ばかりでもありません。すべて経験のために選択してきました。その時に、地球上でのいろんな考え方を身に付けてきました。人間が考える。これはとても面白いことです。考える。

皆さん方からみたら、当たり前のように思うでしょう。でも、初めて地球に来たときには、今のような考え方にはなっていませんでした。私たちは私たちなりの考えるやり方がありました。それはまったく別の認識の仕方からつくられたものです。皆さん方の考えというのは、日本語というのを基準にして、そしていかにも弁証法的に、何かがこうなっていれば次はこうなるとか、この場合はこうなるとかいう手法によって考えを進めていきます。

では、ほかの民族や言葉を持たない民族はどのようにして考えるのか、考えたことがありますか。考えすらも出てこないでしょう。ましてや、普通の動物、皆さん方からみたらただ啼いている、叫んでいるとしか思えない動物、どのような考え方をしているのか。皆さん方が今、身に付けている思考方法は、この地球上で言語というものが発達してからつくられた思考パターンです。そしてそれが当たり前の考え方という風に思い込まれております。こういう考え方しかできなくなっております。

言語を介さずに、即真理がつかめる考え方。私たちはそういう考え方をしております。しかし、皆さん方に話すためにわざわざ言語というものを介して、限定された言葉というものを使い、真実ではない文章をわざわざつくって、皆さん方にこうやって会話という経験をつくっております。考える。これは素晴らしい作用です。それによって人間は相手を理解することができるようになりました。お互いの考えというものを学ぶことができるようになりました。

でも、言葉というものが創られる前から、いろんな生命同士は交流を重ね、愛を分かち合うことはできました。言葉がなくても、コミュニケーションは可能なのです。人間は何のためにこういう思考方法をわざわざつくったのか。アトランティスのときにいろんな事が起こりました。すでにアトランティスをつくりあげた人間たちは言葉というものをつくりあげ、それによって文明というものをつくりあげていきました。その言葉を介して、お互いにコミュニケーションをとり、科学を発達させ、そして文明を成長させていきました。

したがってその当時、すでに今の地球人類の考え方のかなりの部分がつくられたといっても過言ではないでしょう。もし、そのときに、アトランティス人が言葉を使わずに、直接テレパシーや別の方法でコミュニケーションをとれるようになっていたら、もっともっと時代は変わっていたかもしれません。言葉をつくり出したために、思考方法がかなり限定されてしまい、言葉を解して考えるという極めて不自然な思考方法が確立してしまったのです。

もし、言葉をつくり出さなければ、本質的なレベルでのコミュニケーションが可能であり、またそれによるいろんな文明もつくられていったでしょう。言葉というものをつくり出したときから、地球人類の進化が急速に制限されてしまうことになったのです。言葉、これは何のためにつくられたのか。本来、言葉を使わなくても、コミュニケーションは可能でありました。

実際、かなりのものがテレパシーと近いレベルで、想念によるコミュニケーションをとることはできました。でも、当時、いろんなレベルの人間が同時に存在しており、必ずしもすべての人間がそういうコミュニケーションが可能というレベルにはなっておりませんでした。まだ未発達の人間にいろんなことを伝えたり確認させるために、ある種の信号のようなものをつくり出し、それをベースにして文字や言葉という表現手法が確立されていきました。

元々はそういう、まだ未発達の人間に伝えるための信号としてつくられた言葉だったのです。でも、いつの間にか、それがかなり進化した人間にまで影響を与えるようになり、いつのまにか地球人類のすべてが言葉を使わないと表現できないという状況になってしまいました。そして言葉がかなり前提となり、考えたり、工夫したり、想像したりするのがすべて言葉によって行なわれる、という状況になってしまいました。

もし、皆さん方が新しい時代に向けて、本当に人間がお互いに分かち合い、素直に交流を続けるということが必要であると思っているのであれば、言葉というものによる制限を少しずつなくしていくことが必要となります。本質的な自分にもっと繋がり、そこで相手を感じ、自分が行動をとっていく。この練習が必要となります。

今は相手というものを思った瞬間に、もう大脳によって相手という概念が引き出され、どういう人か、自分にとって敵か味方か、良い人か悪い人か、という判断が次々とつくられ、そして結果的にまた頭で考えて行動をつくりあげていきます。すべてが言葉によって造られた概念により、進行していくのです。こういう思考方法を根本から変えていく必要があります。

言葉ではなく、本質的な思いを基準にしてつくりあげていく。これが必要になってくるでしょう。人間、一人ひとり概念をつくりあげております。言葉を使った概念。それを当たり前のように信じ込んでおります。この言葉による思考方法、言葉を前提とした概念。これを一つひとつ手放していく。是非とも必要なワークとなってくるでしょう。


B考え方に良い・悪いはない

私はHの魂のところからきております。私たちは別の観点から今の状況を見ておりました。この女性の思考パターンはほかの男性とはかなり違っております。一つの傾向として、必ずしも言葉で聞いたり感じたものをそのまま完全にすぐ受け入れるというのではなく、どこかで別のところからのエネルギーが関与し、それによってある程度調整されてから自分の思考の方に移っていきます。したがって思考という作業を行なうときには、入力されたデータがもうすでに何らかの作用で変換されております。そして自分に見合った考え方で思考が進んでいきます。

自分に見合った思考のやり方、これはほとんどの女性が身に着けております。できるだけ自分に適合するように考えていく。自分に合うように進めていく。こういうやり方が多くの女性で行なわれております。それによって自分に適した結論が得られない場合に、今までの考え方そのものが初めから造り直されることがあります。自分にとって好ましくないということはどこか間違っている。そういう思考が自動的に働き、条件を変えて、また考えを初めからやり直していきます。そして何度かやってみて、自分に好ましい結果が得られると、これが正しい考えとして採用されていきます。

こういう思考のやりう方は多くの女性にとって当たり前のことであり、それを当然のことのように考えております。同じ日本人の中でも、男性と女性で、これだけ考え方の違いがあります。女性同士で会話をする場合に、お互いにこういう考え方で論理が進められていきます。お互いに自分に都合の良いように論理を進めていきます。そこに男性が入ってくると、根本から価値観が合わなくなってしまいます。

男性の場合は与えられた条件をそのまま、なるべく変えないで、そこから思考を進めていきます。結果として自分に不利な結論が得られた場合に、それはそれでいったん認めながらも、その論理をどのようにしたら自分に良いように変わっていくか。その方法論をいろいろと考えていきます。初めに与えられた条件そのものを変えることはほとんどありません。しかし、男性のこういう考え方が良いとか正しいとかを言うつもりは一切ありません。今の男性というレベルの考え方がそういう状況に過ぎないという事実を言っているだけです。

私たちが今、ここで何を説明しようとしているのか。考え方そのものに良い考え方とか、正しい考え方というのはありません。多くの場合、いかに自分を正当化させ、自分が認められるやり方としてどういう方法があるのか、それを見つけ出そうとする考え方が身についているのです。ほとんどの地球人がこういう考え方をベースにしていろんなことを考えていきます。

そしてそれによって得られた結論、これが人によってまったく変わってきます。それぞれは自分なりに正しい考え方をし、誰にでも通用できる考え方として発言していきます。でも、実際には自分にしか当てはまりません。こういう今の地球人類の思考のパターンがこれからどこまで変わっていくか。自分を正当化させるための考え方ではなく、本来の自分がそのままイキイキするための考え方、本来の自分が素直に表現していくという考え方、こういう考え方をいつどの時点で身に付けていくか。これがとても大切な鍵を握っております。

本来の自分をそのまま素直に表現する考え方、これを教えているところがそれほどありません。そのために何度も何度もここでは概念を崩しなさいとか、執着を手放しなさいとか言ってきました。確かに三次元的な概念や執着を手放していくと、本質的な自分に近づくことが可能になります。でも、ここしばらくやってみて、理解されてきたことに、概念を崩しなさいといっても、どこまでが概念で、どこまでが本質的なものかをそもそも理解することができない。概念という言葉すらも、ある種の概念によってつくられている。ほとんどそれによって変化することができないという状況が分かってきたのです。

したがって概念を崩壊させて本質的な自分に目覚めるという方法がそんなに簡単ではないということを改めて認識している状況です。それで今、考えられているのが、皆さん方にやってもらっているように、思考の奥に潜んでいる本質的な自分、これにいかに近づけていくか、いかに気づくか、というやり方でしばらくやってみようということなのです。思考の奥底に潜んでいる本質的な自分。そこと結びついてなるべく言葉にとらわれずにそのまま感じ、表現するということをやってみる。これがこれからしばらくのテーマとなるでしょう。

皆さん方も、しばらくはそういう観点で自分というものを改めて見つめ直してみてlください。いちいち言葉を使うことなしに、本質的な自分が表に出てくる考え方、行動の仕方、これを工夫してみてください。今までの自分とは違う自分、これを見つけることができるかどうか。自分でつくりあげた概念とはまったく別の自分が見つかるかどうか。これをしばらく皆さん方にやっていただきたいと思っているのです。


C挨拶

さて、少し、時間が永くなりましたので、一度ここで休憩にして、また続きをしたいと思います。それではありがとうございました。


D無意識レベルの概念も崩壊させるように

それでは続きを始めます。皆さん方は概念を手放すということを努力されておりました。概念というのは皆さん方の思っている以上に奥の深いものがあります。これまで何十回もの転生を重ねて上でつくられた概念がかなりあります。呼吸をしなければ生きていけない。右足と左足を交互に出さないと歩けない。人に危害を加えると怒られる

いろんな概念がもう完全に体に染み通っているのです。そのためにほとんどの概念は無意識のレベルで動いてしまいます。先ほどは思考のレベルでつくられた別の自分、この別の自分をなるべくクリアなものにして本来の自分に近づけていくためのテクニックを教えてきました。でも、それで完全に自分が自由になれるかというと、そういうわけではなく、さらに自分の思考で認識できない無意識レベルの概念を手放していくことも必要とされてきます。

自分で意識することのできない概念、これをどのように表に出し、手放していくか。この作業がいずれ必要となるでしょう。誰でも男性として生活している場合、無意識のうちでとっている行動のパターンがあります。女性として生きているだけで、無意識のうちでとっている行動のパターンがあります。これらも概念として体の中に完全につくられております。

女性も男性も、異性の目の前に来ると、自動的に話し方が変わったり、口調が変わったり、よく見られたいという気持ちが表に出てきたりしてしまいます。こういういろんな概念、自分でどのように分析して手放していくか。せっかく人間として体験を重ね、つくりあげてきた概念を手放すということにどういう意味があるのか。これに疑問を持つ人がいるでしょう。これについて少し、説明をしていきましょう。

人間として体験を重ねてくる。いろんな文明を通し、いろんな環境で体験を重ねることにより、人間としてのいろんな魅力を理解してきた。地球人として活動するために、いろんな遺伝子を開発してきた。その中で、自分というものを一番表現するためには、どういうやり方が適当なのか。自分の本来のエネルギーを引き出すためには、どのような遺伝子をどう使い分けたらよいのか。魂はそういうレベルで経験をつくっていきます。

でも、皆さん方の多くはそれとは別のレベルで三次元を経験していきます。楽しいこと、面白いことを求めて、体験を重ねていきます。魂自身は必ずしも三次元的な快楽を前提にしているわけではなく、魂の本来のやりたいことに従って体験を造っていきます。今、概念を崩壊させるというテーマをつくっておりますが、この場合の概念は三次元的な快楽を得るためにつくられてしまった人間の概念といえるでしょう。

つまり、無意識のレベルでも、異性に好かれたい、よりよく自分を見せたい、人よりも上になりたい、多くのお金を手にしたい、こういう無意識のレベルの思いからつくられてくる一つの行動の仕方、考え方といったものがあります。これを私たちは手放すべき概念という風に言っているのです。これは意外と皆さん方に強く影響しております。人から変に思われたくない、少しでもよく思われたい、できるだけ多くの人に認めてもらいたい、こういったのがすべてその原因になっております。

そしてこれらを満たすために、いろんな行動のパターンや思考のパターンがつくられていきます。それらがすべて概念となって体の中に残っております。概念のほとんどはそういう意味で、自分を制限するものとしてつくられてきました。こういうときはこうする。こういう人が来たときにはこういう行動をとる。そういう風にしてつくられてきた一つのやり方です。こういう行動や考え方の概念、皆さん方はそれに従って、日常、行動しております。

こういう多くの概念が、実際には皆さん方に平安をもたらすことはありませんでした。ほとんどの人はその概念で行動しても、心から喜びを感ずることはできませんでした。常に、何か満たされず、さらに良いものがどこかに隠れており、そこに到達する方法をさらに見つけ出そうとして、また勉強をしたり、いろんな練習をして、少しでも確実に楽しいことを身に付けようとして学びを続けていきます。

勉強したら、それが自分に役に立ち、そしていずれは自分が楽しくなる。これ自体が概念となっております。勉強しなければ成長しない、これも概念です。頭が悪いから、勉強しても役に立たない、これも概念です。いろんな概念で皆さん方は活動しております。でも、ほとんどが自分を制限する概念。この概念を本当に心から追い出していただきたいのです。

一人ひとりそういう概念をすべて手放していくと、何が残るでしょう。制限が一切、ない。ほとんどの人は、生まれたときには本当に純粋に自分のすべてが現れております。でも、日々、体験を重ねるごとに概念が少しずつ造られ、本来の自分が隠されていきます。子供のころは無邪気で、自由に考えておりました。でも、ほとんどがどんどん制限によって自分が隠されていきました。それを本来に戻すと、どういう自分になるのか。何もとらわれるものがなく、制限するものがなく、ただ楽しいことをやってみる。

子供のころの楽しさは何でしょう。心から沸き起こる楽しさ。面白いものを見つけた。不思議なものに出会った。新しいものを発見した。意外とこういうことが純粋な子供の楽しさになっております。でも、ほとんどの場合、親がそれを否定していきます。危ないからダメとか、恐ろしいからダメとか、それはやっちゃいけないとか、こういうことによって、せっかくの楽しみが恐怖に変わっていきます。いつの間にか、いろんな制限が頭の中につくられていきます。

そういった制限を取り外し、本来の楽しみを思い出していく。虫の一つひとつは、一番初めは単に興味深いものとして認識されます。母親の言葉によって、気持ち悪いモノとかイヤなものという風に判断されていきます。本来の自分に目覚めるということ。何の価値観も持たず、ただ面白く、興味深く見つめる。いろいろやってみる。こういうことにより、本来の自分を思い出していきます。

自分の概念。ほとんどの人が理解できないかもしれませんが、子供のころ以降につくられた考え方、これをすべて概念と思っても間違いではありません。もう、皆さん方は十分に経験を重ね、愛を発揮できる状況になってきております。概念によって活動するということが、 もう必要ではなくなってきております。これからは概念を使って行動するのではなく、本来の自分をそのまま表に出していく。思ったことを素直に表現していく。いずれはこれが本当に表に出てきます。

さて、こういう概念と本当の自分の共存の中で、自分というものをどのようにして維持し、毎日を過ごしていくか。自分は自分でしっかりと毎日を送る必要があります。何も無責任に毎日を行動せよと言っているのではありません。いかに三次元を楽しくもっていくか、いかにいろんな人と交わうか、これはこれで必要なのです。それを概念をそれほど使わずに毎日を送る。このやり方をそれぞれが獲得していく必要があります。

素直に人と喜びを分かち合う。素直に自分を表現し、相手の表現も認める。ここにおいて、概念ではなく、心から沸き起こるままに行動していく。これが必要となってきます。相手から変に思われるとか、バカにされるとか、恥ずかしいとか、そういう概念を手放すことが必要とされます。これからの皆さん方のやるべきことは、そちらの方向になっていきます。人々との接触の中で、いかに概念を使わずに、純粋な思いだけで活動していくか。こういうやり方の方が実際にははるかにスムーズに進み、何も問題が起こらないということにいずれ気がついてくるでしょう。

あれこれ考えているときの方が問題が多く含まれているということ。素直に表現していくと何も問題が起こらずに、自分も楽しく、周りもスムーズに進んでいくということ。いつかはこれに気がついてきます。それが本当に理解できると、あとはそれを本当に自分のものとして素直に素直に行動していく。それによって全体がうまく進む。こういう生き方が確立されていきます。自分自身を成長させる。これも楽しみながら、スムーズに展開されていきます。自分なりに自分に見合った生き方、自分の満足するやり方を考えてみてください。


E理屈をつくることはもうしないように

さて、それでは最後に私たちの方から話をして終わりにいたします。今日はそれぞれの概念をいかに本来の自分に沿ったものに変えていくか、ということをやってみようとしました。多くの人がやはり自分の概念が前提になっており、考えるときにその概念に従って考えております。ここで与えられた言葉の一つひとつを解釈する段階において、概念によって把握されております。

ある意味では当たり前かもしれません。でも、さらにさらに本来の自分に近づけるためには、こういう言葉の解釈も概念ではなく、本来の自分で考えるというやり方、これをいつかの時点で確立する必要があります。

いちいち言葉の解釈を頭でやるのではなく、そのまま自分で受け入れてしまう。納得しないものはそのまま流してしまう。必要なものをどんどん取り入れていく。こういうやり方がこれから必要になってきます。したがって、考えるということもかなりやり方が変わってくるでしょう。

考えるということを捨ててしまうのではなく、これはこれで大切な働きです。でも、多くの人は考えるということをかなり一定の定まった固定的な考え方で進めております。いかにも何か結論を出すために考えるというやり方が身についているからです。結論とか、答えとかいうものではなく、ただ自分に納得するものを受け入れる。納得しないものはそのまま保留にしておく。まずはこの練習が必要となります。

皆さん方は納得しない場合に、納得しない理由をわざわざつくり出します。納得する場合に、納得する理由をわざわざつくり出します。納得する理由と納得しない理由をわざわざ比較して、どちらが正しいかを見つけようとします。でも、これにはほとんど意味がありません。納得する理由をわざわざつくり出した段階で、もう本来から離れております。ただただ、本来の自分で受け入れてしまう。納得するかしないかは本来の自分に任せる。

それをわざわざ思考を使って、正当化する理由をつくり出す意味はどこにもありません。そういう手段を使わずに、ただ受け入れる。納得しないものは、そのまま保留にしてしまう。こういうやり方を確立させてください。自分たちがどのような思考のやり方をとっているか。これを自分なりに考えてみる必要があるでしょう。自分はどういう考え方をしていたか。

とにかく答が出ないと満足しないという人。自分が良くなるために、何かを導き出さないと満足しない人。相手を説得させるための理由を見つけないと、満足しない人。相手から認められることを見つけ出して、それが見つかるまでずっと思考を続けていく人。いろんな人がいます。その中で、本当に自分に満足するやり方、それを見い出してください。


F挨拶

さて、今日はこの概念、本当の自分、これらのいろんな関連についてお話をしてきました。自分が何者であるのか、これを見つけるためにもこの作業はかなり必要な経験となります。自分を見つけ出すためにも、概念をなるべく手放し本来の自分に近づけていく練習を少し試してみてください。私たちはここまでにします。ありがとうございました。


(c)1997 CentralSun
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