前へ戻る
1997/7/2■水曜瞑想会から

特殊な名前の人の魂は本来に目覚めている

@目の意味

質問
−瞑想で現れた目や口の意味
−名前のもつ宇宙的な意味(ある人の個人セッションにおいて、名前の持つ宇宙的な意味・魂の役割が教えられたことに関連しての質問)
−いろんな存在を身近に感じるが、そういう存在たちとの接し方について

それでは私たちの方から話をしていきます。今の質問の中で、先に答えておきたいものから回答していきます。まず、今の瞑想についてですが、人間の感覚器官のいくつかをテーマにして、そこで体験をするというのはとても面白い瞑想でした。皆さん方が訪れた領域はそれぞれ自分の感覚器官の中で一番テーマとなっているところに行っていただきました。目をテーマにした人が確かに多い状況でしたが、ほとんどの人にとって目というのはとても大きな役割を持っております。耳や鼻よりは、目で見たものから先に判断を下し、理解するという認識の仕方が多くなっております。必然的に、目に依存する割合が高くなり、自分の判断能力が目から得られた情報をかなり中心に持っていく傾向があります。

この目という働きですが、実際には皆さん方が見ている状況はそれぞれ自分だけの世界であり、ほかの人とは必ずしも同じではないというのを理解しておいてください。自分が見ている光景というのは自分のエネルギーによって創られたものであり、ほかの人はほかの人の概念の中で創られております。でも、まったく別というわけではなく、そこには何らかの共通点も存在しております。

そういう状況の中で、皆さん方が今日、テーマにしたこと。目は外界のエネルギーを自分で確認し、そして自分の意識を成長させるために使われていきます。外界のエネルギーを正しく感知することができない場合、自分の世界もかなり不完全なものとなって創られていきます。正しく見る、これによって自分の世界が正しく創られていきます。色眼鏡で見たり、はじめから判断を入れて見ていると、自分の世界も不完全なものになっていきます。

正しく見るということがどのようにして身についていくか。普通、ほかの人からいろいろと見られたり、判断されたりした場合に、自分がどういう思いを持つか。私はそういう人間ではない。私はそういう考え方をしていない。こういう風に、自分の思いとは違うように相手が感じている場合、実際には相手が見ているものも自分の現れであるということをまず理解する必要があります。相手が相手の概念で自分を見ているために、自分の本来の姿を見てくれているとは思えないでしょう。

でも、実際には相手がそういう価値観で見て、自分自身を別の概念で創り上げ、そしてそれを口に出した場合に、実際にはそれは自分が聞く必要があったということを理解する必要があります。もし、本来の自分とは違うように相手が理解していたということに気がついたときには、自分もほかの人を正しくは見ていなかったという意味が入っております。相手が自分を正しく評価していない場合、自分自身が周りの人を正しく評価していないということを意味します。

そういう意味で、周りの人が自分に対してどのような見方をもって見ているか。それを確認することにより、自分がどの程度、周りを正しく見ているのかが分かってきます。見るということは見られるということと同じであるというのがここに現れています。

目のほかに歯も現れていました。歯はその人にとって必要なエネルギーを入れる場合の入口となっております。自分の成長のために必要なものを取り入れる。その入口のところで、そのエネルギーを歯で噛みしめ、内容を理解し、必要なものだけが入っていくように進めていく。歯が丈夫な人は自分にとって必要なものを確実に理解し、必要でないものはあえて取り入れないという働きが十分に行なわれているということを意味します。

これも今の人間においては、かなり問題の多い状況となっております。必要か必要でないかではなく、ただおいしいとか、甘いとか、そういうエネルギーだけを取り入れているために、本来の体が要求しているエネルギーと自分が実際に取り入れているエネルギーが一致していないときに、歯に異常が現れてきます。今の人間の多くが歯に障害を持っているということは、本当に自分の成長のために何が必要なのかをまだ理解していないという証でもあります。

今日はまだ出てきませんでしたが、耳や鼻にもそれぞれ問題が起こっております。いずれ、皆さん方もそういう世界で癒しを行なっていくことはとても良いことと思われます。またいつかの機会に試してみてください。


A口の意味

私たちの方から次に説明をいたします。今の瞑想の中で、体験されたことのいくつかの説明をしていきます。まず瞑想中にいろいろ体験することができず、ほとんど感じられなかった、分からなかったという場合は、必ずしも何も経験できなかったのではなく、自分自身がまだその意識レベルに馴染んでいなかったということ、まだそれを知覚できるまでに意識を成長させていないということ。単にそれだけの状況です。つまり、意識そのものは経験をしてきております。

Kさんの場合は、やはり同じように、目の領域に行ってきております。あなたの場合も本質的な物事を見抜く力にまだ問題があるために、その本質的な領域を少し、修復してきております。それと同時に、地球へ行くために持ってきたお土産があります。それはあなたにとっても必要なものでしたが、この人類にとって本質を見抜くために必要なものが渡されております。そしてそれを確実に地球に持ってきております。自分で経験できなかったからといって、何もしなかったというわけではないというのを覚えておいてください。

シャボン玉が出てきました。特にHさんの場合はユニークな存在たちがいろいろと関与してきており、常に楽しくなるように物事が進んでいっております。多くの人に喜びを広げていくいろんな仕組みが確実につくられていっております。シャボン玉を吹くのは自分一人でも、周りの多くの人がそれを見て喜びを分かち合うことができます。でも、一時だけの喜びである場合には、それが永い間、空に舞いながら、遠くへ遠くへ流れていくのを皆で楽しむという喜びもあります。いろんな喜びの玉が自分から創り出せるというシンボルとなって現れております。

さて、質問の中で、いろんな存在たちとの付き合い方、やり取りの仕方についての質問がありました。今、皆さん方は宇宙のいろんなエネルギーと交流し、お互いに分かち合うやり方がだんだん身についてきております。そしてエネルギーを自分のものとしたり、何人かで体験をするというやり方がだんだん身についてきております。ただ、そのエネルギーにもいろんな種類があり、自分の成長のために確実に役に立つエネルギーがあれば、反対に成長を遅らせる役割をもったエネルギーもあります。

したがって、エネルギーといっても必ずしもすべてを経験する必要はありません。自分の成長のために必要なものを経験するというのが原則です。わざわざ成長を遅らせるエネルギーを選択しても、意味のないことがあります。今まで、地球人類がいろんな混乱の中にあり、まだそこから抜け出せないのも、成長のために必要でないものをあまりにも多く選択しすぎたために、自分の真の成長が行なわれていないという状況から起こされております。

まず、自分にとって必要なエネルギーかどうか。これをしっかりと区別していく必要があります。自分にとって必要なのか、必要でないのか。これが先ほどの歯のシンボルで現れてきます。もし、歯に異常がある人は、まだ何が必要で何が必要でないのかの区別が付いていないということ。自分にとって必要なものを確実に選ぶという意識をもっとつくりあげていってください。

そしてそれを自分にとって必要なエネルギーがやってきた場合には、そのエネルギーの特性をよく調べ、自分のどういう成長を一番与えてくれるのか。自分にとって何に役に立つのか。それをなるべく知るように、意識を向けていってください。ただ単にエネルギーを感じるというだけではなく、それを自分が活用することによってより多くの喜びが沸いてくるのか。より真理に目覚めていくのか。ほかの生命に対して思いが沸いてくるのか。自分の心の癒しに繋がるのか。そういったことがなるべく分かるように練習をしていってください。その上で、自分を少しずつ成長させていくという意識を強くもっていってください。

今までの話で、少し、補足をしておきます。目という働きで、多くの人が何らかの問題を抱えております。正しく見ることをせずに、先入観で見てしまったり、はじめから自分の思いを前提にしてほかの人を判断してしまったり、自分の価値観で見ているケースがたくさんあります。これを本来の目の働きに戻すためには、相手の真の姿をなるべく見ようとする努力、外見ではなく、相手の心の中にある本当の輝きを少しでも見い出そうとする気持ち、こういう思いを強く持っていただく必要があります。ただ単に、ちゃんと見ようとか、正しく見ようと思うだけでは中々変わりません。本当に相手の真の心を確実に見るという強い意志を確立させてください。


B名前の意味

それでは、最後に名前について、簡単に説明をしておきます。日本人の名前の付け方は西洋における名前の付け方とはかなり変わっております。日本人という特殊性からして、名前の付け方もほかの民族とはかなり違った特徴を持っております。日本人は、本来は必ずしも名前というものを使ってはおりませんでした。一人ひとりの区別が必要になるころから、それなりの呼び方が使われるようになってきました。

しかし、あくまでもその人の役割や位置付けのようなものが初めは普通に使われていました。日本人の代表的な名前として、一郎、次郎、三郎という風に、番号で単純で付ける場合や、あるいは女性の場合は「〜子」という名前を付ける、男性は「〜男」とかほかのシンボル的なもので表す。こういう傾向がとても強く残っております。これによって大まかな特性が名前に現れてくるようになっております。そのころの名前は必ずしも個性を表すわけではなく、その家族における役割や全体的な状況における位置づけを表しているにすぎませんでした。

ところがここに来て、その名前の付け方がかなり変化してきております。そういう家族の中での位置づけではなく、一人ひとり個性を持った名前を付けるようになってきております。こういう名前の持ち主は一般に魂そのものもかなり特殊な波動を持っていることが多いといえます。魂自身が本来の役割に目覚め、動き出している場合に、名前自身がかなり特殊な名前に変わっていきます。

先ほどの例でいいますと、「○○」さんというような特殊な名前は明らかにその魂の波動からきております。でも、一般に日本人として使われている「けいこ」「きょうこ」というような名前は必ずしもそこに大きな意味があるわけではなく、全体的な雰囲気や状況をただ示していると思っておいてください。

ただ、その呼び方が一般的ではあっても、漢字の使い方にかなり特殊な当て字を付ける場合があります。これは魂が今までの普通のカルマ的な流れから真の自分の波動に、まさに切り替わろうとしている準備段階、変化の最中と思っておいてください。一見、ごく普通の名前であるようにみえながらも、かなり個性を表している。魂がそういう状況であるというのを名前で表しております。したがって呼び方はごく普通の呼び方でも、極めて特殊な当て字を使っている場合には魂がだんだん、本来に目覚めつつある状況であるという認識をしておいてください。

しかし、日本人は漢字というものに対してのイメージがとても強いために、はじめは単なる当て字でつくった名前がその漢字によって後天的に変わってくるというケースがあります。例えば、「れいこ」という場合でもいろんな漢字がある中で、特に意味を持ってその漢字を当てた場合に、親の思いがそこに入り込んできます。親のつくった思いがそのまま子供に伝わっていき、子供の周りにその思いのエネルギーがだんだんまとわりついてきます。これがどのようにその人に影響を与えていくか。

親が真剣に礼儀を正しく身に着けていただきたいという思いで「礼子」と付けた場合、その親の思いが子供にそのまま影響することがあります。しかし、親が思いだけで終わってしまう場合と、実際に礼儀正しく親が教えて、そういうしつけや育て方をしていた場合にはかなり強い影響を与えますが、実際にはそれほど深い意味を親はあまり持っておらず、名前を付けるときだけ真剣に考えていながら、そのあとはほとんど忘れてしまって、名前の由来も思い出せないこともあります。そういうときには、漢字はそれほど意味はありません。単に呼び方だけに意味があるものと持っておいてください。

「きょうこ」という名前も日本の女性にはとても多い名前です。でも、いろんな漢字の当て方があります。この場合は漢字によって必ずしも意味や人格が変わるというものではなく、「きょうこ」という名前そのもので一つの親しみや言いやすさ、人間的な明るさが現れてきます。ただし、同じように親が特別な思いを込めて、しつけもその思いにしたがって育てていくと、その子供はやはり親のエネルギーをかなり受けながら育っていくことになります。

いずれはこういうごく普通の代表的な名前は少しずつ減っていって、かなり特殊な名前が増えてくるでしょう。それは魂自身が目覚めてきている割合が高くなっているということを意味します。皆さん方も自分の本来に目覚めてきた場合にはそれなりに自分に見合った名前を自分で造って、それを公にしても何の問題もありません。法律的には別ですが、仲間家の中で、自分の波動に合った名前を多くの人に使ってもらうということ自体はとても良いことです。

したがってある段階にまで達したときに、自分に見合った波動や名前が浮かんできた場合にはそれを使うというのはとても面白いことです。自分なりに工夫しながら、楽しく、学びを続けていってください。それではここまでにいたします。ありがとうございました。



(c)1997 CentralSun
前へ戻る