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1998/1/19■月曜交流会


素直に人生を送れば何一つ問題は起こらない


@決まった人生はなく、いくらでも修正が可能

私たちは今日の皆さん方の進行をする役割としてやってきました。今日は皆さん方の人生ということについて、別の角度から説明をしてみたいと思います。今まで、多くの人が人生というものについていろんな見解をしてきました。自分の役割を造り、それを成し遂げるために毎日を生活している。過去世のカルマの解消のために人生をつくった。魂の成長のためにこの人生を造り出した。いろんなことがいろんな人によって言われてきました。でも、私たちの本質的な観点から見た場合には、どれも正しくはありません。

皆さん方の人生というものはそういう決められた枠の中で動いているわけではなく、もっとかなり自由度があります。いくらでも変えることができ、また新しく造り出すこともできます。今まで、何故、固定化された人生のように一人ひとりが感じていたのか。これは人間の愚かさを悪用したいろんな存在たち、宗教の指導者たちが造り上げた妄想とでも思っておいてください。

一人ひとりの人生を固定化された、決まりきったものかのように植え付け、それによって皆の人生をコントロールしようとしたのです。罪を自分で贖わねばならない。前世のカルマを今回、解消せねばならない。今回の人生を良い奉仕の人生にしないと、来世で苦しむ。こういう宗教的な見解を多くの人はいつの間にか当たり前のように思い込んでしまい、人生を少しでも正しい方向へと思い、評価される良い人生を送ることを目指して、毎日、過ごそうとしております。

したがって少しでも相手に不快感を与えたり、混乱を招くような生活をすれば、その人は悪いことをしている。あとで神に怒られる。罰せられる。そういう感覚を植え付け、その人を束縛する働きをしてきました。まるで自分の人生のすべてが克明に決められているかのように思い込んでいる人もおり、何をして良いのか分からない、使命を教えてほしい、自分の未来を教えてほしい、そういう人が数限りなく、ここにやってきております。

でも、私たちは何一つ、教えることはありませんでした。なぜならば、それはその人の人生であり、私たちがアドバイスすることはできないのです。自分の人生をどのように過ごしていくかは本人の問題であり、神の問題ではありません。そう、何度もいってきたのにもかかわらず、いまだに何をして良いのか分からない、未来を教えてほしい、やるべきことを教えてほしい、そういう人が後を絶ちません。

私たちはまずそういう人間がいつの時点でいなくなり、自分の人生を自分で創っていくという考え方に変わっていけるかどうか。今それを本当に考えております。こういう状態がこれからもずっと続くのであれば、人間の意識の変化は極めて遅いものになってしまうかもしれません。皆さん方の三次元のこの世界を素晴らしい世界に変えるためには、そういう人生というものに対する意識、これを根本から変える必要があるのです。

人生は何から何まで、決まっているわけではありません。いくらでも変えることができます。造り出すこともできます。どうしてそれを行なおうとしないのか。決まっていることばかりを盛んに聞き出そうとします。どうしてそういう考えが身に着いてしまったのか。もし、仮に何から何まで決まっていたとして、そこに何の意味があるでしょう。

私たちは皆さん方の一瞬一瞬の現象をすべてみることができます。でも、どれを選択するのかは私たちにも分かりません。それは一人ひとりの自由意志として神から与えられた特権となっております。本当にどの現象を選択してもまったく構いません。何一つ問題はありません。私たちは罰することをしなければ、後始末を自分でするとかを必ずしも前提にはしておりません。

皆さん方は自分という意識をあまりにも前提に考えすぎております。仮に皆さん方がここで極めて大きな過ちとも思われる現象を選択したとしても、必ずしもそれを自分でそのまま受け取るとは限りません。皆さん方の魂がそれをどこかで処理するということはあるでしょう。でも、皆さん方がそれを経験するかどうかはまったく決まっていないのです。

魂はいろんなレベルで、全体的な調和を保ちながら、最適な現象を造り出し、経験をしていきます。今のこの地球において、不幸な現象がどんどん消えていくことを実現させるために、皆さん方の償いをこの地球上で行なうということはもう考えてはおりません。さらに不幸な状況に入っていくからです。この地球を少しでも光ある状態にもっていくためには、これ以上、つらく悲しい経験をこの地球上に残すということはあまりしないように考えております。

ただそれぞれが何らかの、神の思いと反する行ないをしたときには、それを自分なりの観点でもう一度、学ぶ必要はあるでしょう。でも、それはどの惑星で、いつどの時点で、どういうメンバーで経験するかはまったく決まっておりません。一人ひとりの成長の度合いに応じて変わってきます。こういう観点で、一人ひとりの人生というものを見てみましょう。

Sさんが自分の今の状況について、混乱をしているという説明がありました。自分の人生において、混乱をきたしたり、迷いや不安が押し寄せるというのは、そういった現象がない人生を夢見ております。スムーズに事が進み、自分の願い通りにうまく進行し、周りの人とも仲良く、皆で楽しく、常に毎日を過ごしていく。こういう理想的な生活は確かにほかの高次元の世界では存在しております。でも、今のこの地球という惑星の、西暦1998年という時空の流れにおいてはそういう生活をしている人はほとんどおりません。

地球は今、そういう波動から一生懸命、切り替わろうとしております。そのためにはこういうエネルギーを地球が自ら経験し、そして手放し、新しい波動に切り替わっていくということが必要となってきます。皆さん方の人間も、一人ひとりはこの地球が変わっていく手助けをしております。地球自身の波動が粗いものから精妙なものへと変わろうとしている。そのために皆さん方が人間という生命体をこの地球上に造り出し、人間という生命体と地球との間でエネルギー的な処理を行ない、地球のエネルギーを浄化していく。そのために人間としていろいろと活動しております。

したがって今のこの時点において、人間は必ず、地球が持っている粗い波動を経験してそして精妙な波動に切り替えていく役割があるのです。もし、こういう時点において地球の持っている粗い波動を何一つ、経験したくない、地球のもっている粗い波動を一切、受け付けたくない、という人がいたときに、地球はどうなるでしょう。何一つ、精妙な波動には変わりません。

そうすると、人間として地球にやってきた意味がまったくないのです。人間は地球の波動を精妙な波動に切り替えるのを目的としてこの地球にやってきました。にもかかわらず、自分はその粗い波動を受けたくはない。経験したくない。そういう人間ばかりが多いと、地球はどのようにして波動を精妙にしていったらよいのでしょう。

皆さん方の一人ひとりの人生はそういう地球の波動の変化に合わせて造られております。地球の流れの中において、いつどの時点でどの波動を精妙にし、どの時点で新たな波動を造り出すか。まずこういう地球の流れの基本的な仕組みが造られていきます。それに応じてその波動を精妙なものに変えるのに相応しい人類が集められ、その役割を演じていきます。そしてそこに魂がいろいろと協力しにやってきて、人間の体を使って波動を変えていきます。

皆さん方の一人ひとりの人生はそういう流れの中で、巧妙に仕組まれ、造られております。ただ、皆さん方はほとんどそのエネルギーを見ることも読むことも理解することもできません。今はまだそういう認識が必要ではなく、まずは一人ひとりが三次元の人間として立派に生きるということを学ぶ必要があるのです。人間として生きる。動物とは違う。考えて、工夫して、お互いに協力し合い、そして自分の魂を研磨しながら、切磋琢磨して成長していく。こういう人間としての生き方をまず確立する必要あるのです。

こういう学びが必要なときに、エネルギー的な能力を高めてしまうと、必ずしも好ましくない現象がつくられてしまいます。ほとんどの人はまだ欲望をコントロールできていないために、もしエネルギーを見ることができたら、安易なエネルギーばかり選んでしまうでしょう。自分の一番、楽なエネルギーばかりを手にして、できるだけごまかして生きようとするでしょう。したがって今の地球人類はまだエネルギー的なものを視る能力やコントロールする能力を与えられてはおりません。

まずはその前に人間としてしっかり生きるということ。自分の足で歩く。頭で考え、手で工夫し、お互いに話し合い、喜びをお互いにつくりだして、毎日を過ごしていく。これが本当に必要なのです。一人ひとりがどこまで人間として今、うまくできているか。動物的に、ただ雰囲気だけで、相手をけなしたり、非難したり、遠ざけたりしていないかどうか。まずはそういう意味で人間として確立するということをやっていただきたいと思っております。

先程のKさんの話で、開発関係のいろんな話がありました。先程、少し話がありましたが、物事を造り出したり、編み出したりする。これは創造のエネルギーがかなり入っている証拠です。ただその場合の創造というのにもいろんな種類があり、あなたの場合にはその中の6番目の波動と思っておいてください。この6番目の創造の波動というのは、人々に対して何らかの工夫的なものを自分から与えることができ、人々がそれによって何らかの恩恵にあずかることができる。自分の工夫や思いによってほかの人々に何らかの恩恵にあずかれるようなことができる。そういう創造的な力があると思っておいてください。

ただこれを今の仕事とどのように組み合わせていくか。これは少し、方向性が違うかもしれません。というのは、今、学んでいる開発関係のエネルギーと、あなた自身の持っている粉の創造のエネルギーは、今、別の方向でエネルギーの活性化を行なっております。今、開発の方で学ぼうとしているのは、創造のエネルギーそのものではなく、それにまつわるいろんな準備ややり方、考え方、工夫の仕方、導き方、そういったところを今、学んでいると思っておいてください。

これはいつかの時点で、とてもよい働きをするようになるでしょう。いろいろやってみる。工夫してみる。とりあえず、いろいろと試してみる。こういう活動が大きな意味を持ってきます。そしてこういうエネルギーと本来の創造のエネルギーを組み合わせることにより、あなた自身の本質的なエネルギーがまたさらに輝いていくくることになるでしょう。

Tさんの先程の話で、また同じように自分の繰り返してしまうパターンのようなものを演じてしまう。これはできれば今年中に、完全にこのパターンを取り除いていただければと思っております。そのために今年は忘れたころに何度でもこういうことが起こるでしょう。でもこれはあなたにとって一番必要なテーマであり、ついついやってしまういつもの癖でもあります。それに本当に意識を向け、自分なりに一生懸命改善し、少しでも自分は自分のペースで生き、ほかの人はほかの人の生き方を尊重してあげる。自分とは手放していく。そういう生き方を身に着けていただきたいと思います。

ただ、Nさんはあまり自分のことを表には出すことなく、ここで常に学びを続けてきました。私たちの方から見た場合に、自分の成長ということが自分でも分からなくなっているかもしれません。それはほかの人から見ても判断しにくいように思えるでしょう。Nさん自身が何度もここに来るのは、Nさんの背後で活動している存在がここに常に連れてくるように思いを送っております。それは何のために行なっているか。

実は今までのところ、Nさん自身の学びではなく、その背後やあるいは関連している存在たち。今までNさんと関係していた多くの存在たち、いわゆる前世で縁のあったもの、こういった者たちの学びが中心になっていました。Nさんの意識を通じて、ここの教えがそういう存在たちに伝わっていき、そして今まで縁のあった者たちが学びを重ね、少しずつ意識が開けていく。そういう状況が今まで演じられていました。

したがってNさん自身がどう変わるとか、成長するとか、そういうことよりも今まで関連していた意識たち、そういう者たちを次から次と救おうとしている。少しでも本来の光の方向に変わる手助けをしようとしている。そういう役割を無意識のうちでやっていたのです。今まで、Nさんはいつも、自分はまだ見えないとか、能力がないとか、何をして良いのか分からないということを口に出してきました。そのたびに私たちはそのままで、ただ学んでいればよい、と伝えてきました。でも、自分では実感が得られず、何らかの確認をとろうとしていつも頑張っております。

でも、先ほど言ったように、基本的にはNさんはただここに来て、一生懸命、話を聞くだけでその思いが自分と関連した存在たちに伝わる。そしてその存在たちが理解を為して、光の世界へと導かれていきます。そういう役割も大切な役割なのです。自分に価値がないとか、まだできないとか、能力がないとかいう意識は本当に捨て去るように、はっきりと意識しておいてください。

さて、Kさんも最近、何度もここで学びを重ね、少しずつ意識を変えることができるようになってきました。ただ、私たちの方から少し、いくつかの注文をしたいと思います。まだ過去に関与したエネルギー(宗教)の影響がとても強く、完全にここの世界に入り込むのが難しい状況になっております。自分ではもう縁を切ったと思っているかもしれませんが、エネルギーはそんなに単純なものではありません。

一度でもそういったところに関与した人間には、一生どころか、魂までをも奪おうとして必死になってエネルギーを強力に繋いできます。今回の人生どころか、次の次の次の人生までもすべて自分の配下にしようとして強力なエネルギー的な繋がりを造り上げていきます。あなた自身がそれを徹底的に切り離し、本当に光に進むという強い決意があったかどうか。よく自分で考えてみてください。あまりにも安易にここに足を運んでいなかったかどうか。ただここにいれば安心できるという感覚を持っていなかったかどうか。

本当に自分が光のところに行きたければ、本当に今までのエネルギーをすべて断ち切り、今までの自分のすべてを神に差し出すぐらいの決心が必要となります。そして今のところ、そういう決意はまだほとんど見られません。まだまだいろんな学びが残されております。そういう本当に真剣な決意も必要であり、行動力も必要であり、宣言も必要であり、いろんな意味においてまだまだやることが残っているということを理解しておいてください。


A普通に素直に生きていれば困ることはない

さて、今、一人ひとりの人生について、いろんなポイントが話されました。生きるということは何と難しいことか。本当はこんなに簡単なことはないのに、余計に難しく考えてしまった人がいます。考えても見てください。自由に変えることができ、造り出すこともできる。結局、好きに生きて構わない。こう言っているのに、余計に難しく考えていってしまっています。

じゃぁ、どうしたらよいのだろう。どうも皆さん方は難しく、難しく、考えてしまう傾向があるようです。人生というものは明確に決まっていて、間違ったら困るとか、怒られたら困るとか、罰せられたら困るとか、そういう認識をホンのわずかでもあったら、人生に対しての考え方の根本がまだどこかズレているという風に理解しておいてください。私たちが皆さん方に与えた人生は本来は何一つ、混乱がなければ迷いもなく、自然に楽に生きていけるはずなのです。

ねばならないとか、使命とかそういうものはほとんどありません。本当に人間として満足する人生を自分で造り、それをそのまま歩いていって欲しいのです。人間として、ただ満足した人生を送る。これだけで十分なのです。どうしてそんなに難しいのでしょう。お金がないから。パートナーが理解してくれないから。お金がないという人の方が圧倒的に多いようですね。

お金はまっとうな人生を普通に過ごしていけば、それに必要なだけのお金は常に入ってきます。普通に、自然に生活していれば、それに見合うだけのものは必ず入ってきます。ただそれ以上のものを得ようとすると、それ以上のものが失われます。皆さん方はあまりにも都合のよいように考え、エネルギー的な流れというものに対して、まだまだ理解が深まっておりません。

自分以外のものから何かをもらったり、入ってくるという感覚を得るときには、必ず、それがどこかに出ていくという風に常に意識をしておいてください。溜めておくとか、自分だけのものにしようとする思いを持った途端に、エネルギーの流れが乱され、そこで何らかの学びの場がつくられてしまいます。

本来、何の問題もなく、ごく普通に過ごしていけば、人生で混乱するということはほとんどありません。もしそれで困った現象が起こされているという人は、金銭に対しての考え方を根本から考え直してください。


B安心を求めて不安な生活を送る人たち

さて、少し、話をして休憩にしましょう。今までの話の中で、どうしても金銭と自分の毎日の生活といったところでの安心感、安定感をとにかく確保したいという思いがヒシヒシと伝わってきます。どうしてもそういう安心できる場を先に確保し、そして自分のやりたいことをやっていきたい。こういう考え方が行なわれるようです。

私たちはそういう風には皆さん方のエネルギーを造ってはおりません。何らかの安心を得てから、やっと自分の人生を行なう。こういうことを造ってはいないのです。常にすべてが一つの有機体として関連しており、安心してそれで次のステップに向かうということはないのです。そういう固定した考え方、保証を得ようとする気持ち、安心しようとする気持ち、これは宇宙には存在しません。

唯一の皆さん方の安心はすべてを神に預けること、これだからです。これを本心から理解できるまで、安心できるというものが得られないのです。本当にすべてを神に任せたら、何ともないんだ、この境地が得られるまでは安心できるものは得られません。したがって神以外に、まず安心したいというものを得ようとするならば、それなりの学びがずっと続くでしょう。今、自分は何を求めていたか。何で安心をしようとしていたか。それを自分なりに分析してみてください。

私たちはここで少し、休憩をとります。ありがとうございました。


C幸福を求めて不幸な状態に染まっている人たち

一人ひとりが幸福な人生を手に入れ、そうすることによって自分が満足した人生をものにし、自分の人生がこれで納得できた、そういう証を得ようとしているでしょう。多くの人々がそうやって自分が一番幸福で、幸せを手に入れ、何一つ不自由のない人生を求めてきました。でも、今、皆さん方が理解すべきことは幸福とか、混乱するとかいう状況自体が自分たちの概念から造られたものであり、本来はいろんなことがこの人生の中に用意されており、それを一人ひとりがいつ、どの時点で選んでいくか。ただ、そういうことだけが一人ひとりの自由意志に任されております。

いろんな経験を次々とやってみる。これを不幸と思う人もいれば、幸福と思う人もいます。いろんな人と出会って、とことん話し合ってみる。それを面倒臭いという人がいれば、本当の喜びと感ずる人もいます。一人でいろんなことをやってみる。それに喜びを見い出す人がいれば、寂しさを思い出す人もおります。

では自分にとってどこまでが幸福という領域であり、どこからが寂しく、つらく孤独という境目なのか。それを一人ひとりで分析してみることが必要でしょう。そうすると、全体で用意された状況のうちの大半が孤独で、つらく、寂しいという分類に当てはめられてしまいます。つまりその人の求めている幸福感は本当の最高のものだけを幸福と感じ、それ以外をすべてつらく、悲しく、孤独な状況と判断しております。

ほとんどの人がそういう風な感覚で、幸福を求めているために、ホンのわずかな幸福を目指して、毎日を過ごしているという状況になっております。幸福と不幸をどこで区分けするか。それは一人ひとりの価値観によります。ただホンのわずかな最高のものだけを幸福として、それ以外を不幸に認識してしまって、人生が本当に楽しいかどうか。ホンのわずかな幸福はそれを手に入れても、永くは続きません。それ以外の状態に常に移り変わっていきます。そしてまた幸福を求めて、努力を続けることになるでしょう。

それを皆さん方は当たり前と思い、それこそが人生の目標であるとして幸福を目指してきました。でも、幸福を手にするために不幸な現象を常に選択しているということに気がついてはおりません。幸福を手に入れようとしていること自体がもう幸福ではない状況を造り出しているのです。したがってもし、本来の幸福を手に入れたいと思うのであれば、今、現在が幸福であるという感覚をまず身に着けることが必要となります。

今、自分の置かれている状況そのものがもう幸福である。常に自分は幸福に満たされている。そしてそれは実際、そうです。なぜなら、今、神の許しの下で、人間という肉体をまとって生活しているからです。これは私たちからみて幸福以外の何者でもありません。今のこの地球という惑星において、この素晴らしい時代を生きている人間は幸福の絶頂期にあります。

今、この時代に肉体を持ちたいと志願している宇宙の生命たちが無数にあります。是非とも、どんな未熟児でも良いから生まれたいと願っている魂がたくさんあるのです。ですから、赤ん坊ですぐに死んでしまったり、殺されたりするという生き方もあるでしょう。魂はそれでもよいと願って生まれてきたのです。この大切な時期に、とにかく地球のエネルギーを経験したい。この地球という素晴らしい惑星で、ホンのわずかでも良いから生きてみたい。人間という生命をホンのわずかでも良いから体験してみたい。そういう魂たちがホンのわずかな人生でもわざわざ肉体を造り、生まれてきたのです。

皆さん方はこんな小さな子供がすぐに死ぬなんて可愛そう、と思うかもしれません。でも、魂はホンのわずかな時間を与えてくれた神に感謝をして生まれ、そして去っていったのです。皆さん方はそういう魂の気持ちをも理解してあげることが必要です。つらさを経験しようとして生まれてきたのではありません。本当に望んで、自分から生まれてきたのです。

皆さん方は今、立派な手足を持ち、見ることができ、話すことができる肉体を今、ここに持って生活しているではありませんか。なのに、何故、つらさや悲しみを身にまとうのでしょう。それは宇宙にいるいろんな魂たちから見たら、本当に残念でなりません。せっかく肉体をまとって人間として地球に生きている者が、何故、そんなに自分を責めるのか。何故、争いを起こすのか。とても残念でなりません。

今、生きているということだけで、宇宙と神が皆さん方に許しを与え、エネルギーを与え、生命を与えているのです。それを少しでも地球のために使っていただければ、地球もまた大いなる喜びを感ずることができるでしょう。人生とは何なのか。難しく考える必要はありません。単に人間として確立し、多くの人間と交わり、この地球上で生きているという喜びを身に着けて帰っていく。それで十分なのです。

人間にはまだまだいろんな秘密が隠されています。皆さん方にもまだまだいろんな秘密が隠されております。それを自分たちで探し求め、見つけ出し、話し合うってとても楽しいことではありませんか。人間はまだこういったことができる。人間の思いでこれだけ時代が変わっていく。子供を育てるってこんなに楽しいことだ。社会を変えることもできる。人間の不思議さと能力にもっともっと思いを向け、実践していっていただきたいと思います。


D自分の生き方をいろいろ工夫しながらつくる

私たちはまた別の観点から話をしてみます。人生というものがそれぞれ自分なりに造られた運命のようなものがあり、一緒になるべきパートナーと出会い、そして楽しい家庭を築き上げて、ここを終えていく。そういう認識を持っていた感覚が少しずつ、崩れ去っていきます。一人ひとり、まったく違う人生というものがこれから造り上げられていくでしょう。もう今までの観念やしきたりに従った人生ではなく、一人ひとりまったく違う生き方をするような人が増えてくるでしょう。

あぁ、こんな生き方がある。こういう生き方もある。こういう家庭がある。そのようにして価値観がどんどん広がっていきます。今まで、同じように過ごすことを目標としてきた日本人にとって、そういう価値観は本当に驚きの連続になるでしょう。そしていつの間にか、それが普通になってくると、自分を型にはめていた生き方、そのエネルギー、それが自分にとっても不快なものに変わっていきます。もう必要がないということに気がついてきます。そしてやはり自分は自分の生き方をしよう。自分だけ納得できる生き方をしよう。そういう方向に次第に変わっていくでしょう。

当然、家族とパートナーが新たな問題になってきます。子供は早めにそういう意識を確立できるために、親からどんどん離れていって、自分の生き方を完成させるでしょう。しかし、今までの生き方にしっかりと根づいてしまった大人たち。こういう人々が一番のテーマとなってきます。子供たちからは古い人間として扱われたり、無視されたりするでしょう。

でも、大人たちにとって自分の生き方を変えるというのはとても、困難です。一人では何もできない。考えるということをしたことがない。造り出すということは苦手である。そういう人々にとって、自分の生き方をするということはとても難しくなってきます。

そういう人々はパートナーとの間で本当に考えて、強力し合い、その中での満足した生き方を造り出す必要があるでしょう。若い人たちの真似をして一人でやろうとしてもうまく進まないことがあります。やはりパートナーとの間で協力し合いながら、よい関係を造り上げていく。これも一つのやり方として常に意識をしておいてください。

しかし中にはどうしてもパートナーとの仲がうまくいかず、別の道を行きたいという人もいるでしょう。それはそれで新しい人生を造り上げていってください。自分なりの生き方というものがどういうものであるのか。自分の心が納得する生き方というのがどういうものであるのか。そういったところにこれから意識がどんどん向いていくでしょう。それは魂の本来の光を輝かせるためにも必要なことでもあります。

ですから、ただ単に自分がやってみたいことを考えてやるのではなく、自分の魂と一緒になって造り上げていく。魂の思いが少しでも身体で現せるような、そういう生き方を工夫して見る、そういう意識の持ち方も必要となります。つまり、一人でもうまくできず、パートナーともうまくできず、でも自分で何か見つけ出したいという人は、魂との交流をまずやってみてください。そして魂の思いをできるだけ引き出せるように努力し、体で表していく。そういう満足感も自分なりに工夫してみてください。

また、そういう人ほど魂との結び付きが強くなる可能性があります。いろんな生き方があります。自分なりの生き方を自分のペースで、無理のない範囲内で、工夫しながら、焦らず、そして確実に歩んでいってください。皆さん方の人生が少しでも自分に満足できた人生となれるのを私たちも願っております。今日はここまでにいたします。ありがとうございました。


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