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1998/2/9■月曜交流会


相手の価値観を認めるということの大切さ


@テストを避けたり逃げようとしないように

今日は私たちの方からお話をいたします。先程の話の中で、自分の本質的なものとのテーマで、まだ意味が分からないという人が何人かいました。少し、それについて説明してから、先に進みましょう。

創造をいろいろとやってみて、自分なりにやり方が掴めてきたというKさんの話ですが、もう少し、私たちの方から補足をしておきましょう。あなた自身の創造のエネルギーはほかの人のもっている創造のエネルギーとはかなり質的な違いがあります。多くの人は物事を創造する場合に、自分の経験的なものや今までやってきた概念から新たなものを創り出し、そしてさらにそれに修正を加えたり、自分の好みなどを加えていってより優れたものに変えていくという能力があります。

それに対し、あなたの場合の創造力は今までの経験とはまったく関係なしに自分自身のまったく独自のもの、まだ経験したことがなければ考えたこともないようなものを創り出すことができるエネルギーを持っております。このエネルギーは宇宙の中においてはかなり新しいエネルギーであり、今までの経験則や流れに左右されず、自分自身の本来的な思いや最終的なものだけに向けていろんなものを創り出していく、まったく新しいものを創り出すという能力があります。

このエネルギーをこの三次元の世界で使いこなすには、いろんな練習や経験がある程度、必要かもしれません。新しいことを創り出す経験が必要という意味です。これは今までやってきたことをベースにして何かをやるというのではなく、いろんなことをいろいろとやってみた中で、自分自身の本来的なものを引き出せる方法をたまたま見つけ、それを使いこなすことによって自分自身の本来のものをさらに発揮していく。こういう能力のことを言います。

自分自身のまだ現れていない本質的な能力、これを自分で見つけ出し、探し出すにはいろんな練習が必要でしょう。ただその場合に今までのやり方とか考え方、今までの経験をベースにしていると、あなたの場合はまったく見つけることができないかもしれません。したがって本当に独自にいろんなことをやってみて、その中で自分に一番ピッタリしたものを見つけていく。そういう開発の仕方をやっていってください。


先程のTさんの話で、いつものパターンがまた自分のところにやってくる、こういう話がありました。そこから抜け出そうとすると、それはかなり自分にとって難しい問題となるでしょう。というのはある意味では、それをずっと経験する状況にあるからです。何度も押し寄せてくる同じような現象を避けたり逃げたりするのではなく、それをうまくやりこなす、それを克服するというのが今年のテーマです。

したがってそういう現象が起こらないようにするとか、やってこないようにするという発想ではなく、そういう現象がやってきたときにいかにうまく切り抜けていくか、いかにうまく対処していくか、これが今年のテーマであるというのを理解しておいてください。


Kさんの先程の話で、自分自身の失ってしまった緑の波動、これが分からないという質問がありました。これを三次元的な言葉や概念といったもので認識しようとすると、まったく解が得られなくなってしまいます。緑はそういう何か特定のもののシンボルではなく、あなた自身の本来の波動をただ意味しただけです。それを自分で見失ってしまい、使わなくなっている。そういう意味として私たちはアドバイスを差し上げました。

したがって緑を見つけるというのは、単に自分自身の本来の波動を表に出していく。それを表現して行動していくということを意味します。その緑を自分で表現する。これを自分では、何をして良いのか分からないという風に理解しているのかもしれません。ある意味ではそういう状況そのものがいかにも緑を見失っている状況ともいえます。常に何か答があるのではないか。常に何か意味があるのではないか。やるべきことがある。そしてその通りにやりたい。こういった波動が緑を見失った波動です。

自分自身の本来。そういった制限やルール、概念に束縛されないで、自分の本来の生き方をする。これが緑を復活させるという意味です。あなた自身の本来のもの。ほとんどと言ってよいぐらい、表には出てきていません。ほとんどが宗教の概念によって完全に封じ込められてしまい、あなた自身の三次元的な生き方が根本から牛耳られております。

人と接したとき、多くの人の中に入ったとき、自分一人で勉強するとき、いろんなところで別のエネルギーが関与してきてあなたの本質から離れさせようとしています。それをいかに自分で復活させていくか。それがあなた自身のテーマです。自分の本来のもの、それを言葉で理解するのではなく、生き方の中で理解していく。そういう認識の仕方を早く身に着けてください。


A一人ひとりの価値観を認めながらまとまりのある生き方

さて、私たちから説明いたします。今、多くの人が三次元の生き方について悩みを抱え、迷いを抱き、本来なるものを探し求めて生きております。本来のものを探そうとするときに、ほとんどの人が、正解があり、最終的なゴールがあり、すべて決まっている大元があるという風に理解してしまいます。こういう考え自体が人間の造り上げた概念です。

たくさん勉強して多くの正解を得ることができれば良い点数をとり、自分は良い人間として評価される。これも単なる概念であり、それによって本当に真理を手にした者がこれまでどれだけいたでしょうか。自分の真理を学校教育的なやり方の中で身に着けた人がどれだけいるでしょうか。皆さん方は毎日、自分のテーマを造り、体験すべき課題を造り、そして経験を積んでいきます。そこで何が得られるか。これは一人ひとりまったく違います。

今日、ここに来た人でも、ここで学ぶべきテーマは一人ひとりまったく違っています。ある人の場合は、自分自身の本来的なものをいかに活性化させ、宇宙に繋げていくか。そういう気持ちでやってきた人がいます。しかしある人の場合は、単に興味や魂からの雰囲気でやってきた人がいます。しかし、多くの人の場合は、何かが必ず得られる、真理の側面を何か手にできる、そういう感じで来ています。

しかし、私たちはここで、これが真理であるとか、真理はこうですよとかを言うことは一切ありません。それは一人ひとりが自分で考えるべき問題であり、私たちが与えるべき情報ではないからです。

さて、こういう場の中で、今日、皆さん方に話をするのは、一人ひとりの認識の仕方、判断の仕方、これについて説明をしていきたいと思います。皆、自分が正しい人であり、常に良い判断をし、そして人のために役に立つ、という思いを持って毎日を過ごしております。そしてそれ自体は自分からすれば真理であり、間違ってはいません。

にもかかわらず、そういう人間同士が集まると、争いが起こり、不快感が押し寄せ、理解できない人間として他人を判断してしまう。こういう状況が何千年も、何万年も繰り返されております。それぞれは自分が正しく、自分の言うとおりにやればうまくいく、と信じていながらも、どの人間とも話が合わない。自分が正しいと思っていること、自分が真理と思っていることは自分の頭の中にある価値観であり、ほかの人の頭の中で考えてみた場合にはそれは悪であったり、敵対するものであったりします。

例えば、皆を同じ考え方にさせてしまい、同じ価値観で生活をするようにさせれば、争いがなくなり、平和が訪れる。こういう認識を持って宗教というものが蔓延り、また地球の人間を支配してきました。でも、本当にそれで平和が得られたかどうか。常に争いが起こり、対立が起こり、他人と合わないというのは、いつでもどの時代でもどの国でも起こっております。それを無理矢理一つの考え方や概念で合わせてしまう。

もうそろそろ皆さん方も、一つに合わせたり、全員を一つの価値観にもっていくというのが正しいことではなく、自然なことでもなく、むしろ人間の進化にはマイナスになっているということに気がつく必要があります。一人ひとりまったく価値観が違い、認識が違い判断の仕方が違う。これを本当に認め合う時期に入ってきております。

にもかかわらず、ほとんどの大人は自分の子供をコントロールしようとする。パートナーを造ったものは相手をコントロールしようとする。組織を造ったものは、上の者が下の者をコントロールしようとする。常にコントロールを前提にしていろんなエネルギーを造り上げていきます。でも、それでいまだかつて平和がつくられたことはありません。

今の地球人の判断能力において、コントロールということをベースにして他人を幸せにすることはできません。他人を幸せにするためには、本当に他人の価値観を認め、生き方を認め、行動を認めていく必要があります。他人を認める。これは言葉では簡単に言えますが、実行しているのは本当にわずかしかいません。自分の子供をすべて認めている人がどれだけいるか。自分のパートナーをすべて認めている人がどれだけいるか。

価値観が違うと、相手がおかしいと思い、言うことを聞かないと始末に終えない人間だと判断してしまう。今のこういう一般的な流れの中において、自分がどういう行動をこれからとっていくか。一人ひとりの自主性や判断がこれからもっと強くなっていきます。自分の考え、自分の思い、こういったものがどんどん表に出てくるようになってきます。もはや一つの価値観で全員をまとめることが困難になり、一人ひとりがまったく違う価値観を持っているということが前提になってきます。

そういう時に、自分がどういう人生を造り上げていくか。他人に合わせてきた者、あるいは他人をコントロールして自分と合わせようとした者、こういった者たちはこれからの時代ではだんだんやりにくくなってくるでしょう。自分という者がだんだん分からなくなってきて、一人になったときに自分が何であったのか、自分の本来の生き方というのがどういうものであるのか、自分は何をすると満足するのだろう、自分に一番適した活動は何であるのか。自分がテーマになってきて、自分に思いを向けていくでしょう。

しかし、自分の正体はそう簡単には分かりません。今まで多くの人のエネルギーで自分が動かされていたために、今すぐに自分だけの世界に戻るということが難しいのです。いろんな人間のエネルギーが自分に影響を与えていきます。言葉の一つひとつ、行動の一つひとつが親やほかの人から言われた言葉といったものによって限定され、概念の中で進んでいきます。自分だけの行動、自分だけの考え、これについての認識がだんだん大切になっていくでしょう。

さて、こういう時代がどんどん進んでいくと、日本人の場合はかなり大きな変革が訪れてくるでしょう。家族は皆同じ、友達も皆同じ、という風にそれぞれが思っていた価値観がどんどん崩れてきて、一人ひとりが違う人間であり、違う行動様式をとり、違う認識を造り上げていく、という時代に入っていきます。家族といってもまったく価値観が違い、親の造り上げたやり方や制限をほとんど子供は無視していくでしょう。

それによって日本という民族性が少しずつ変化していき、もっと個人が表に出てくる生き方へと変化していくでしょう。しかし、ほかの国々ではもっと進み、今以上に個性化が進んでいきます。したがって日本人が西洋的になるのではなく、西洋はさらに先に進んでいくでしょう。したがって西洋から見れば、日本人は相変わらず皆で一つになろうとしている、価値観を合わせようとしているという風に写ってくるでしょう。

ただそういう状況においても、日本人は一人ひとりが今以上に成長していきます。そしてそういう社会が少しずつ中心になってくると、今までの価値観で生きていた人間たち、皆を一つに無理矢理合わせようとして仕組みを造り、習慣を造り、無理矢理いろんなルールを造り上げてきた人間たちがだんだん取り残されていきます。自分を表現することができず、自分の生き方を造り上げることができず、一人ひとりの自由な活動に翻弄され通しとなるでしょう。

今、ここに来ている人はちょうどその間にいるような人間たちです。今までの価値観にこだわっている人間とこれからを自由に生きていく人間のちょうど接点となっております。しかし今までの価値観のエネルギーが強い人は一つに合わせようとしたり、コントロールすることによって調和を造り出そうとするでしょう。また新しい人の生き方が理解できず、一人ひとりの個性を持った生き方に翻弄されるかもしれません。

でも、そういう人たちといかに皆さん方が接して、その人間性を認め、うまくやっていくか。これがこれからの鍵を握ってきます。皆さん方が今の若い人たちを否定すれば、皆さん方も若い人たちから否定され、またお互いに争いが造られていくでしょう。皆さん方はいかに今の若い人たちを受け入れ、認め合っていくか。それによってこれからの日本がかなり変化していきます。

自分自身の価値観、これを大幅に切り替えていく。いつまでも今の自分の考えにこだわったり、前提にするのではなく、思い切って新しい価値観に切り替えていく。これが必要となってきます。自分を守るために今までのやり方を通そうとする者、なるべく今までのやり方を継続させることによって楽な生き方をしようとしている者、こういう人たちは今の若い人たちからどんどん取り残されていくかもしれません。

ただ、今の若い人たちにもすべてが良いわけではなく、調和やまとまりといったところに必ずしも活性化されていないエネルギーがあります。皆さん方はそれを伝えていく必要があります。全体でのまとまり、調和を保つことの美しさ、そしてその強さ、それを若い世代に伝えていく必要があります。

一人ひとりの思いや考え方を尊重しながら、全体的なまとまりを持っている。これがこれからの日本の原動力になっていきます。したがってそういうエネルギーをいかに皆さん方が造り出し、伝えていくか。そして日本の中に広げていくか。これが大きなテーマとなっています。自分自身の生き方を良く考えてみた上で、若い人々との接し方、対応の仕方を自分なりに見つけ出していってください。


B人それぞれ自分の価値観において正しいと思うことをしている

私たちは別の話をしようと思います。一人ひとりの考え方や認識の仕方がまったく違う。これを中々理解できない人がいます。正しいものは皆が正しいと思い、悪いものは皆が悪いはず。こう思っている人がいます。でも、本当に何が正しく、何が間違っているか、これ自体も一人ひとりまったく価値観が違います。

一般に自分の都合が良ければ正しく、自分に都合が悪ければ正しくないという思いを持っている人がいます。これ自体が一人ひとりまったく価値観が違うという一番の例であり、自分を中心にして価値観が造られていきます。どの人間にでも共通に正しく、共通に正しくないものがあるとするならば、一つひとつの現象において、ある場合には自分自身の存在そのものが正しくなかったり、いろんな風に感じられてきます。でも自分を否定するわけにはいかないために、いろんな価値観の変更がそこで造られてしまいます。

さて、そういう一般論の中で、一人ひとりがどのような価値観で行動をとっていくべきか。実際には自分の価値観で自分が正しいと思うことをやっていく。これが唯一の生き方です。ただしその場合にほかの人が正しくないという行動をとったとしても、それについていろいろと口を挟むことはできません。それはその人の価値観において正しいものであり、自分の価値観で相手を裁くことは許されないからです。

自分の価値観は自分の行動にしか当てはまりません。そしてほかの人の価値観やほかの人の行動はその人の価値観でしか判断できません。そういう意味において、一人ひとりの行動は一人ひとりの価値観でしか認識できないのです。したがって自分の行動については自分の価値観で認識していく、それが唯一であり、それしか生き方がないのです。

ほかの人がどのような行動をしようとも、それはその人の価値観において正しいものであり、また自分が行動したわけではないため、自分には何の価値観も論ずることはできません。そういう風にして他人の言動をすべて認めていく。自分は自分の正しいという価値観に従って行動をとっていく。これが必要になってきます。自分の価値観において他人を裁くこと、これだけは絶対にしないように、注意しておいてください。


Cオリンピックのエネルギー

私たちは先ほどの話の中にあったオリンピックについて少し説明をして終わりにいたします。先程、ある角度から見た説明がありました。あまりそれだけを前提にすると、また皆さん方の方でおかしな価値観を造り上げてしまいますので、その調整をするためのアドバイスをしておきます。

確かに争うというエネルギーそのものは私たちからみれば必ずしも喜ばしいものではありません。しかし地球人が今、経験している現実のすべては自分たちが作り出したエネルギーをそのまま経験しているに過ぎないのです。地球人は自ら争うという波動を造り上げ、そしてそれに打ち克つということで喜びを見い出そうとしています。これは地球人の造り上げた喜びであり、価値観です。

その信念に従って地球人が行動をとっている限り、私たちはそこに介入することはできません。その流れの中で地球人がより多くの喜びが得られるような状況を造り出していく、それが私たちの役割となっています。したがって争う、競うということに喜びを見い出している人間が多いときには、私たちもそれに合わせていく必要があります。

ただ、私たち自身は、本来、そういうエネルギーを好ましいとは思っておりません。でも、多くの人間が喜びを見い出し、勇気や希望が湧いてくる人さえもおります。そういう意味において私たちはオリンピックという行為そのものを認めていく必要があります。ただ、これからの地球のエネルギーそのものがこういうエネルギーをあまり必要とはしておりません。

国同士が争う。人間同士が争う。悔しさを感じる。そこには何の喜びも入ってはおりません。地球自身もこういうエネルギーは早く手放したいと望んでおります。しかし地球人のほとんどの人間が喜びを感じ、それを求めております。今のこの時代においても喜びを発する人間の方が圧倒的に多い。したがって私たちはそれを手助けする必要があります。

地球そのものは早くこういうエネルギーを手放し、普段の毎日の現実の中に楽しみがあり、喜びがあり、その喜びを大きくするために人間同士が交わる、交流するというのが、望ましいものとして認識されております。したがって地球人類が早くそういう思いを心の中からつくり出し、自然なものとして現実をつくっていけるか。

もし、一人ひとりが本当に地球の思いに意識を向け、感じようとするならば、国同士が争うということに何の喜びも見い出していないことが感じられてくるでしょう。もし、そういう思いを感じた人がいるならば、自分だけはそういうエネルギーを手放して、早く地球が楽になれるように、地球が喜びで満たされていくように、そういう方向への手助けをしていく活動をしていかれるのを望んでおります。

それでは私たちはここで少し休憩をとります。ありがとうございました。


D好き・嫌いの感情で相手を見ないように

それでは私たちの方から少し説明をしたいと思います。今の皆さん方の言葉の中で、自分をいかにして見つけ、表現しながら癒し、自分を愛する方向へともっていくか、という話題が何度かありました。自分を愛する。他人を自分の心の鏡として他人を愛する。自分の世界が中心にありながらも、ほかの人は自分との経験のためにいろんな援助をしてくれている。こういう三次元の現実についての理解がさらに必要なものと思われます。

というのは、先程の話を聞いていくと、ほとんどの人は自分の心だけを確かに見つめ、心によって相手とのかかわりを見つけ出そうとしていました。でも、皆さん方の多くは実際の現実という場において他人との関係を造り、問題を感じたり、不快感を感じたりしております。この現実というものがどのようにして仕組まれ、進んでいくのか。こういうことにももう少し理解する必要があります。

現実の根本のエネルギーは一人ひとりの心の波動から造られてきます。そして自分の持っている心の波動と一番反応し合い、魂の許した人間だけが近くにやってきていろんな経験を造り上げていきます。したがって自分と直接、かかわりのある人間は必ず意味があり、そこにおいて学ぶべきテーマが入っております。

例えば、自分が常に不快感を抱き、相手からイヤなことを言われたり、価値観の合わない面でどういう態度をとって良いのか、分からない場合があります。これは確かに自分の行動をうまくもっていかせようとする人たちからみれば、相手はイヤな人間であり、自分の行動を阻害する良くない人間のように思われるかもしれません。

でも、一般に魂から見た場合には、良い・悪いではなく、その人に何らかの気づきを得てほしいという思いを持ってそういう現実を創り出しております。一般には自分の価値観と違う人の場合は自分だけの価値観にいつまでもしがみついていないで、ほかの人の価値観、別の価値観、別の認識の仕方、そういったものも感じ取れるような練習をしてみてください。そういう思いで人を引き寄せる場合があります。

したがって自分と違う価値観の人間が来たときには、合わないというところに意識を向けるのではなく、自分とは違う、また素晴らしい価値観をもっている人が近くにいる、常にこういう気持ちを持つことが必要となります。でも、多くの人は価値観の違う人間からは非難されたり、攻撃されたり、不快感を持っているために、価値観の違う人そのものを否定してしまう場合があります。

この、攻撃されたり、イヤなことを言われるというのは、先程の価値観の違う人をただ単に集めるのとはまったく別のエネルギーの作用でつくられていきます。つまり、魂から見た場合にはその人が不快感を抱くとか怒りを感ずるとかにはまったく感知していません。それはその人個人の問題だからです。魂の問題ではありません。その人がどういう感情を抱き、どういう思いを持つかはその人だけの固有の問題です。

したがって相手から同じようなことを言われても、頭にくる人がいれば、ありがたいと思って感謝する人がいるかもしれません。あるいは何も感ぜず、ただ、あぁ、そういうことなのか、と思う人もいるでしょう。どういう感情をもつかはその人個人の問題であり、魂とはまったく別のレベルで進んでいきます。

したがって自分の価値観と違う人がやってきて、いろんな不快感を感ずるという場合には、まずそういういろんな人が目の前にやってくるという客観的な現実そのものは魂の思いによってつくられ、不快感を感じたり怒りを感じるのは自分固有の問題であるということ。これを明確に区別するようにしておいてください。

そして必要なのは、魂が創り出した客観的な現実は意味があって創られたものであり、それを変えようとしてはいけません。現実を変えるのではなく、その意味を理解しようとすること。そこから何らかの学びを得るということ。そういう意味において与えられた現実はそれをただ体験するということが必要となります。そしてそれとは別に、いろんな不快感や思いが湧き出てくる場合、それはその人固有の問題となります。

常に感情的に反応してしまう。常に身体で不快感を感じてしまう。それはその人の固有の問題であり、その人が自分の努力によってそういった思いを解消していく必要があります。それではそういった思いをどのようにして手放していくか。自分自身の心の中に相手を嫌う思いや自分を嫌う思い、といった思いを持っている限りは常に嫌うという感情が他人を引き寄せ、それによって現象化がつくられていきます。

嫌うというエネルギーを心の中から取り外していく。つまり好き・嫌いをなくしていく。この学びが必要となります。好き・嫌いに意味があるのではなく、経験すること自体に意味があり、そこに学びがあるということ。意識を本当にそこに向けていく必要があります。仮に、不快感を取り除こうと考えていると、結果的に良いことばかりが起こるように考えてしまったり、不快感を避ける方向に進んでしまいます。それは物事の根本的な解決にはなりません。

そもそもが好き・嫌いの感情を持っているというところから出発しております。そういう感情を自然に手放していく。好き・嫌いで物事を見るのではなく、本質を自分の能力で探り出そうとする気持ち、そういう方向へと意識を向けていくことが必要となります。自分自身の価値観、それを好き・嫌いではなく、本質的なところに近づけていく。意味を理解するというところまで近づけていく。その学びをする必要があります。


E心は広大であり、探るのは大変

さて、それぞれは自分の心の中に、自分の課題を探り出し、それを解決しようとしています。しかし、自分の心は皆さん方の想像している以上に広大なものであり、奥深いものです。何かをすれば、一瞬にして心が楽になるとか、綺麗になるとか、浄化されるというわけではありません。心はある意味では宇宙と同じぐらいの広さをもっており、そしていろんな意味がそこに隠されております。

自分の心を一つひとつ見つけ出すというのは、この宇宙全体を探し出すことにも等しい作業であり、いろんな学びがそこに含まれております。したがって一瞬にして悟りを開くとか、浄化するということを考えるのではなく、今、できる範囲内で自分の学ぶべきものを一つひとつ克服していく。一つひとつ成長していくという気持ちを常に持っておいてください。


F自分のテーマを探り出す

さて、私たちは簡単な練習をして終わりにしたいと思います。自分の今のテーマが何であるのか。これを知ることはとても良いことです。ただ単に何とか頑張ろうとしても、何をどうして良いのか分からない場合があります。それよりは少しでも自分の方向性を自分の力で理解し、そしていろいろ試してみる、といったことはとても大切なことです。

今、それぞれの心の中で何がテーマであり、何が課題であるのか、それを何らかの方法でそれぞれに伝えようと思います。皆、自分の感じられる能力を総動員させながら、自分の思いや感覚的なもので自分のテーマを見つけ出してください。


それでは今日はここまでにいたします。ありがとうございました。


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