前へ戻る
1998/2/15■月例セミナーから

真の自分は肉体意識の中にはない

@瞑想をうまくするには肉体的な感覚器官を制御すること

私たちは今日の練習をずっと援助していたエネルギーと思っておいてください。今日行なわれた練習の中で、いくつか私たちの方から説明をしておきましょう。一般に多くの人が瞑想というものをあまりうまくできず、自分の不得意なものと考えております。やろうと思ってもすぐに雑念が湧いてきて、思うように進まない。自分の意識を持っていこうとしても意識が分散して集中できない。こういうひとがたくさんおります。

元々、今の皆さん方の意識のレベルにおいて、瞑想ということはとてもやりにくい状況にあります。人間の脳の活性化の状態がまだ今の三次元の経験を前提にしている状態にあるために、いろんな感覚器官からの反応が一番初めに大脳に作用するようになっています。したがって瞑想状態に持っていこうとしても、自分の感覚器官で得られたものを前提にして意識が進んでいくという状況を造り出していきます。

したがってある意味においては、感覚器官を自分でコントロールしていく。こういう練習も必要になってきます。感覚器官をコントロールするということはどういうことなのか。今まで見たり聞いたり感じたりしていたもの、それを真実の世界だと自分で思い、その見たり聞いたりしたもので自分の環境を進めていく。こういうやり方を前提にしていた人は、その考え方が完全に出来上がっているために、瞑想に入っていこうとしてもそういう三次元的な感覚が前提になっていきます。

したがって自分が今、感じているもの、受け取っているものがすべて真実のものであり、その中で瞑想をしようと進めていきます。こういう人はどうしても肉体的な感覚によってつくられた世界が前提になっているために、瞑想しようとしても深い状態には中々入ることができません。ある意味では、今、肉体で感じているもの、自分が認識しているものはあくまでも大脳の作用であり、その大脳の作用から完全に抜け出るという意識を造り上げることが必要となります。

今、自分が瞑想するということは大脳で造り上げた世界から離れていくということ。これを本当に確立すると、肉体感覚とはまったく別の世界に自分を持っていくことが可能となります。したがって瞑想が中々うまくできないという人は、大脳が造り上げた三次元の世界をいかに手放していくか。そこから早く抜け出して、その三次元ではない別の世界に早く馴染んでいくか。そういう練習をしてみる必要があるものと思われます。

また、多くの人が途中で意識がなくなったり、記憶が消えていたりする場合があります。このほとんどは確かに睡眠の状態に入ったといえますが、一人ひとりのその時の意識の働きはそれぞれまったく違います。ある人の場合には、その意識がまったく別の領域に行って別の体験をしている場合があります。それはその意識が自分の肉体ではコントロールできないまったく別の領域にあるために、肉体の記憶という細胞にはそれは入ってきません。したがって肉体的な脳で覚えていることはまったくできません。でも、意志かは明らかに別の世界で体験をしております。

またある人の場合は、意識が本当に眠っている場合もあります。それは肉体に一番近いレベルにある意識が眠っているだけであり、またその意識の本質、さらに精妙な意識が動き出し、それが別の次元で活動しているともいえるでしょう。したがってより高いレベルの意識がそこで動き出している。そういう場合も眠ったような状態になることがあります。

しかし、こういう場合にはその高い意識は一般にかなり綿密な準備をして、いろんな作業をしている場合があります。それによってその肉体的な自分の働きがより活性化され、いろんな準備が進んでいくように、細工をすることがあります。

今、ここに来ている人の中でも、何人かの人がそういう状態にありました。これからの体験に必要なものや変更が必要なもの。そういった準備が仕組まれており、一時的に皆さんのアストラル体での意識を眠らせてしまい、アストラル体でさえも記憶することができないように造り変え、そしてそれを自分で経験していく。そういう変更が行なわれた人がおります。アストラル体がすべてを覚えていると学びにはならないために、アストラル体も皆さん方と同じように記憶をなくす場合があるのです。そのための仕組み造りが行なわれておりました。

こういう風に、瞑想といっても、人によってかなり状況が違っております。では、自分に適した瞑想の仕方、自分に適したやり方はどういったものが良いのか。先程の二つの例では、皆さん方の意識の使い方がそれぞれかなり違っております。初めの自分の体の意識を感じる練習では、自分の肉体に興味を持っている人、肉体にいろんな思いを持っている人、こういう人ほど肉体の意識が感じやすい状況になっております。自分の肉体にあまり思いを抱かず、あまり肉体的なことに興味を持っていない人は、一般に肉体に対しての思いが伝わりにくくなっております。したがって初めの瞑想において、自分が体験できたことは自分の肉体に対する思いとの相関関係にあるということを理解しておいてください。

そして次の瞑想において、自分の意識を一点に集中させ、自分の本来の波動に近づこうとする練習、これはある意味ではかなり練習が必要でした。いきなり初めての瞑想でそれをやろうとしてもまず、点に意識を集中すること自体が困難であったり、まったくやり方が分からない場合があります。そういう人もここで何人か、おりました。

こういう人の場合ですが、初めから意識を一点にするというよりは、自分の体を少しずつ少しずつ造り変えていく。手を折り畳み、足を曲げ、だんだん体が丸まって小さくなっていく。そういう風に少しずつ少しずつ自分の体を丸めて点にしていく感じを造り上げていってください。そうすると、自分自身がだんだん一つの点になって小さくなっていく。それが実感として得られるようになっていきます。

そしてある程度、自分の意識を点に集中することができた場合、自分の意識を小さくしてそのまま黙っていると、いろんなものが感じられてきたり、それまで感じられていたものとは別のものが感じられるようになったりする場合があります。そして今まですっかり忘れていたことが思い出されてきたり、まったく考えてもいなかったことが現れてきたりします。これも一人ひとりにとってとても意味のある現象であり、いろんな存在たちからのメッセージの場合もあります。

それをどのようにして解釈し、自分がそれを受け取っていくか。一般に、ビジョンとか映像で情報が与えられた場合、それは意味があってわざと与えられた場合があります。ただすべてがそうではなく、人によっては自分の潜在意識をただ見つめていたり、自分がこれまでに経験したことを単に思い出している場合があります。

これを区別する方法として、メッセージの場合には、一般には後々まで記憶が残っていたり、一つだけ印象深いところがあってそれがずっと脳裏に焼きついている、そういう場合には、そのずっと後々まで覚えているものが伝えたい情報です。ほかの忘れてしまったものはあまり意味がありません。そのずっと最後まで覚えていたもの、1箇所だけ印象に残っているもの、それを良く考えるようにしておいてください。

こういう練習をしていくと、自分についての認識が少しずつ変化してきます。一番の変化は、物事を考えるというやり方が変化してきます。大脳でいかにも考えていたということが自分で分かってきて、三次元的なレベルで、三次元の世界で必死に細工を考えたり、抵抗しようとしていた自分に気がつき、そんなに意気がったり、我を張ったり、無理して何かをしようとすること自体が意味のないことであり、そんなに神経を使ってまで生きていく必要はないということにだんだん気がついてきます。

そしていろんなところへすぐに考えを巡らしたり、勘ぐったりしていた自分を自然と解放していき、もっと楽に、自然に進めていく、こういったやり方がだんだんできやすくなっていきます。三次元的に考えていた自分、でもその裏に隠れていた本当の自分、この両方の自分をだんだん見分けることができるようになり、三次元的に一生懸命、やりくりしていた自分が少しずつ楽になっていきます。そのためにも、本当の自分に意識を向け、だんだん自分を解放していくということはとても良いことであり、またそれだけの価値はあるものと思っておいてください。


A三次元的な成功は意味がない

さて、今日はあまり話ができませんので、今のうちに伝えたいことをまとめて伝えておきます。まず、一般的に、皆さん方が現実の生活の中でうまくいき、楽しくやっていこうと考えているにもかかわらず、中々それがうまくできない。そういう人がたくさんおります。うまく現実を進めていきたい。自分のペースでもっていきたい。でも、それができない。そういう風に考えている人のためのアドバイスを少ししておきます。

まず、自分の現実といったものをしっかりと見つめることが出発点となります。多くの人は自分の与えられた現実をしっかりと見ることができず、不快な面だけを受け取り、不快な面だけを強調して自分で体験している場合があります。実際には、いろんな現実があり、いろんな現象が用意されているにもかかわらず、自分は不快なところだけに意識を向け、それで現実を否定している、という人がいます。

この人は一般的に、現実をどのように変えても、新しい現実がいかにやってきても、常に自分にとって不快なところだけに意識を向けていく傾向があります。つまりその人にとってはどのような状況になろうとも、常に自分にとって都合が悪く、不快な現象が起こってくるように思えてきます。そういう不快な現象といったものをただ自分で選んで、そこだけに意識を向けているということに早く気がつき、それ以外の楽しいことや面白いこと、人の温かさやいろんな思い、親切さといったものにも意識を向けていくことが必要となります。

不快な現象だけに意識を向けている人は、それが特に強調され、他人の親切でさえも自分にとって不快であるかのように感じてしまう場合があります。そういう思いをなるべく楽にしていき、あるがままを受け取っていく。そこには、つらく悲しいものばかりではなく、自分を本当に解放させ、楽にしていく材料もいっぱい、用意されているということ。それに早く気づくことが必要となります。

また、自分なりに現実を見つめ、努力し、癒しを行ない、相手のために一生懸命やっているにもかかわらず、うまく現実が変わらない、と言う人がいます。こういう人たちに理解していただきたいのは、そういう現実は必要だから創られたものであり、それから逃げたり、変えたりしようとするのではなく、まずはその現実を経験すること自体に意味があるということ。現実から逃避するものとしたり逃げようとしていると、その現実はいつまでも追いかけてきます。

したがって現実が良くなるのを期待して相手に何かをやってあげた。現実が変わっていくのを願って自分が愛を与えてあげた。こういう根本的な勘違いをしている人は、まずその勘違いしている自分に気がつき、結局は相手をコントロールしようとしていること、自分の都合の良いように相手を造り変えようとしている。そういったいろんなことに目を向ける必要があります。

現実をまず見つめた上で、自分が何のためにこの現実を送っているのか。良くなることを期待して愛を与えるのではなく、単に自分が愛したいから人を愛していく。その本質を理解するまでは、この現実から逃れることはできないでしょう。何かを期待して現実を変えようとする気持ち、まずはそれを無くすようにしていってください。


また別のタイプとして、せっかくいろんな現実を自分で体験して、いろんな学びが得られながらも、三次元的な成果が見られず、不満を持っている人がいます。せっかくいろんな人と出会って楽しい経験をしているのだけれども、金銭的なゆとりがなく、自分自身の三次元的な成功が得られない。こういう不満を持って現実を送っている人がいます。

こういう人たちに一番理解していただきたいのは、私たちは三次元的な成功を与えるために皆さん方のアドバイスをしているわけではありません。そもそも三次元的な成功という概念自体が人間の造り出したものであり、皆さん方は成功するために現実を送っているわけではないのです。でも、多くの人が、何をしたら正解、何をしたら成功、どうすればうまくいく、という認識ばかりを先に作って、その結果を早く手に入れようとして、勉強したり瞑想したりする人がいます。

これは私たちからすればまったく意味のないものであり、またそこにいかなる真理も入ってはおりません。三次元的な成功を追い求めて瞑想をする。ここに何の意味があるでしょう。私たちは一人ひとりを金持ちや裕福な人間に仕立て上げるのを望んではおりません。しかし、だからといって、全員に不幸を与えたり、混乱を与えたり、悲惨な状況を与えていく考えもまったく持っておりません。

一番、必要なのは自分の経験すべき現実を自分の手でしっかりと経験していく。ただそれだけです。一人ひとりが経験すべきものはまったく違っております。確かに三次元的な金銭の中で現実を造っている人もいるでしょう。他人のコントロールの中で現実を送ることを造っている人もおります。でも、それはそれ自体に意味があり、自分が意識を拡大させ、それを経験する意味がなくなるとその現実は自然と消えていきます。

その現実が何度も襲ってくるということはまだ自分がその学びを終えておらず、まだ意識が高まっていないという証でもあります。したがってそういう何度も繰り返してくる現実を持っている人は、少しでもその意識を高め、何を教えようとしているのか、何を学ぼうとしているのか、を早く理解するようにしておいてください。

また他人が裕福であるとか、幸福であるとか、そういう三次元的な価値観で優れているとか、ダメだとかいう判断をしている者は自分がその判断の対象にされてしまいます。あの人は裕福だ、あの人は立派だ、そういう価値観を持っている人は、自分が裕福でなかったり、立派でなかった環境が与えられる場合があります。

ですから、自分自身が金銭的な混乱や社会的な混乱に引き込まれたくない場合には、まず相手をそういう価値観で見ないようにするということ。ましては口にも出さないということ。それを本当にやっておいてください。相手に対して与えた価値観はすべて自分に戻ってきます。


B急がず焦らず、真の自分を探り出すこと

さて、最後に少し説明をして終わりにいたします。今日は意識というものをテーマにしながら、瞑想の練習をしておりました。この意識というものが何であるのか。多くの人にとってこれは難しいテーマです。今の皆さん方が感じている顕在意識、これのほとんどは肉体的な感覚器官によって得られた意識であり、皆さん方の本質が常々感じている意識とはまったく別のものです。

しかし、だからといってこれが嘘であるとか、ごまかしであるとかいうわけでもありません。皆さん方がさらにこの意識を成長させ、そして自分の内なる本当のものに近づけていくという作業が必要となるからです。そのための学びをしており、今、初めて自分というものに焦点を当て、学びの方向性を自分に見つけることができた。そして自分の正体をこれから探り出す旅に出掛けていく。その出発点です。

今まで肉体を持った自分が自分のすべてだと思っていた。でも実際にはそれは単に感覚器官の造り出した概念であり、自分の本当の姿ではないということ。自分の本当の姿、それは三次元の中には入っておりません。ただ、三次元を造り出すモトのところにそのヒントが隠されております。

今日、一人ひとりの感じた思い、これがすべてそのヒントです。自分の内面を見てこういったことを感じた、自分の内面を見てこういう光を感じた。一つひとつがそれぞれ自分を見つけ出すためのヒントになっております。これをモトにして、それぞれがさらに自分を理解しようとして学びを続けていく。

真の自分を探るにはいろんな練習が必要となるでしょう。でも、決して急いだり、焦ったり、手っ取り早くやろうとしてはいけません。自分の現実の中に一つひとつ、見つけ出していく。自分を見つけようという気持ちがある限り、それにしたがってほかの人々がいろんなアドバイスを持ってきます。ほかの人の言葉の一つひとつが自分を知るアドバイスとなって現れてきます。したがって自分を知ろうという意識を常に持っているということ。これを常に持続させるようにしておいてください。


私たちはここまでにいたします。ありがとうございました。



(c)1998 CentralSun
前へ戻る