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1998/4/1■水曜瞑想会から

光を見失ったときの恐れは怒りにも変容しうる

@些細な不快感が溜まると怒りに変わる

私たちは先程の瞑想の準備を担当していた存在と思っておいてください。今日は怒りというエネルギーをテーマにして地球に行ってきて、エネルギーの調整を行なうという役割をやっていただきました。この怒りという波動はとても強い影響力を持っており、一人ひとりが何気なく発する、腹が立つ、あぁイヤだという波動は私たちにまでとても大きなエネルギーをもたらしてきます。

この怒りの波動は、多くの人が自分の思う通りにいかないとき、自分の願っていたとおりにやってくれなかったときに、口に出す言葉と波動といえます。しかし本来は口に出す以前に心の中がムカムカしてきて、居ても立ってもいられなくなってしまう。何とかしてこれを表現したい。そういう時に怒りというエネルギーを使って表現します。

しかし、心の中にある本当のもどかしさや腹立ちという感覚を怒りという表現手段で表しても、完全には伝わらないことがあります。心の中でざわめいている怒り、これと言葉や態度を通して表現される怒りとではかなり違うのです。したがってそこで怒りを表現し、相手を怒鳴り付けても、自分の本当の心が相手には通じない場合があります。相手に通じないとき、またそれで怒りが沸き起こってきて、余計に相手を責め立てていきます。

したがって心の中に沸き起こる、何とも我慢できないこの気持ち、これが何であるのか。約束してことをやってくれなかったときに、心の底から沸いてくる失望感。一人ひとりがうまくやっていくためにお互いに約束をしたのにもかかわらず、誰かが約束を破ってしまい、それによってうまくいかなかったとき、心の中でだんだん芽を出してくる他人への不快感。怒りはそういう風にして、心の中から次第に沸き起こってきます。

つまり、怒りの表れる原因がすでに心の中に用意されているのです。では、相手が何かをしたことによって怒りを感じたというとき、相手が本当にその行動をとったことによって自分が怒ったのかどうか。相手のその行動がなかったら、自分の心には怒りに繋がるエネルギーはなかったといえるのかどうか。

実際には自分の心の中にすでに怒りを表現するエネルギーがつくられております。そして相手の言葉を起爆剤にしてたまたま怒りのエネルギーが爆発したに過ぎません。したがって相手の人の言動は怒りをただ単に誘発させただけであり、その根本の原因はそれ以前に自分の心の中につくられていたということ。それを自分は相手の所為にして怒りをぶつけていきます。

あの人がそういうことをするからダメだ。言うことを聞かないから、こうなってしまった。これは実際には自分の思う通りにいって初めて満足するというエネルギーが心の中にあり、思う通りにいかないときに、怒りに変わるようなエネルギーが造られております。したがって思う通りにいくということを前提にして、自分の現実を造っている人ほど、怒りはたくさん、表れてきます。

比較的、怒りを表現しない人というのは、自分の思う通りにいかないことに遭遇しても、それに十分に対応していけるだけの準備ができているという証があります。いろんなことを自分ですでに理解していて、どの人がどういう行動をとっても、すべて自分は許すことができる。そういう状態になってくると、怒りはほとんど表れなくなります。

でも、現実の世の中には怒りをまったく表現せずに生きていくというのは、とても難しい場合もあるでしょう。自分の思う通りにいかないという現実が必ず造られており、自分はそれによって成長する必要性があるからです。思う通りにいかない。そして腹が立つ。でも、実際にはすべて自分の計画したとおりに進んでおり、自分が自分の責任をとる範囲内で自分の現実がしっかりと進んでいっております。

自分の現実に責任を持ち、自分がしっかりと現実を引き出しているという流れが見えてくると、ほかの人も同様に自分の人生を歩んでおり、お互いに怒ったり責めたりする必要がどこにもないということが明らかになってきます。そこまで意識が成長していくと、怒りという表現がだんだん慈悲的なものに変わっていき、期待を裏切ったり皆の妨げになるような言動をとる人が現れても、その人の経験として許せるようになっていくでしょう。皆さん方も、まず自分から現実を理解していき、それによって他人を許していくというやり方を学んでいかれるのを望んでおります。


A怒りの後に襲ってくる罪悪感と慈悲

先程の質問で、自分が怒りのどん底、絶望のような状態に陥ったとき、心の中から現れてくる優しさや慈愛に満ちたエネルギー、これは何であるのか、というのがありました。一人ひとりが怒りを感じ、表現して、徹底的にエネルギーを出していきます。普通は怒りを出しているようにみえながらも、また新たなる怒りのエネルギーを造り上げ、自分の心の中に宿していきます。

しかし、今、目の前に現れている現象を通して、表現できる怒りをすべて表現し尽くしてしまうと、とりあえずはそれ以上、怒る理由がなくなり、あとはその時その時に沸き起こってくる新たなる怒りの波動によって自分の心が痛んだり、つらくなったりする状況になります。

自分の心がある程度、表現し尽くし、もう今の現実において、これ以上表現する必要がないという状態に変わっていったときに、心の作用が他人への怒りではなく、また自分自身へと意識が戻っていきます。こんなことをした自分が正しかったのかどうか。自分は愚かなことをしたのだろうか。こういうことをして良かったのかどうか。そういう風に、自分の心へと意識が向いていきます。そして自分の心への癒しが始まっていきます。

いや、仕方がなかった。どうしても一度は言っておきたかった。もうこれ以上、我慢できなかったから。いろんな思いによって自分を慰め、落ち着かせ、正常に戻そうとします。自分で自分の心を癒そうとしているときには、それなりに癒しのエネルギーが流れてきます。これはどの人間においても同じであり、いかに瞬間的に感情のエネルギーを大量に放出しても、その後で必ず自分を責めたり、反省する状況が訪れてきます。

そして自分にも過失があり、言いすぎた、やりすぎたという思いを持ったときに、その人に対して癒しのエネルギーが流されてきます。その癒しのエネルギーがどこから流されてくるか。多くの場合には、仲間や宇宙の兄弟たち、そして魂から流されてきます。もうそれ以上、責める必要はない。今ので十分に表現をした。あとは自分の心を傷つけないように。自分の心を癒していくように。そういう思いによって、癒しのエネルギーが流されていきます。

ただ、すべての場合がそうとは限らず、人によっては天使やマスターたちからも流されてきたり、あるいは特別に関係しているスピリットから流されたりして、いろんなエネルギーを感ずる場合があります。ただ、いずれにしてもその人の心の癒しのために現れたエネルギーであり、一日も早く自分に戻り、自分のペースで進んでいけるように調整をとっていきます。

一般に、怒りを発すると、相手に迷惑をかけ、つらさを与え、自分も悲しくなるという状況になります。でも、怒りのエネルギーはどちらかというと、その人自身の生き方や人生観にかなり影響を与えていきます。どこかが間違っている。どこかが違う。そういった思いが根本にあるために、正しいか正しくないかという判断のエネルギーが必ずそこで生まれてきます。そして自分は、もっとした方が良かったのか。これはしない方は良かったのか。いろんなことをそこで考えていきます。

これからの皆さん方に必要なのは、怒られるからこう言っておく。怒られるのがイヤだから、こうしておく。そういう風にして、怒りから逃れるために、表現を変えたり、行動を変えていく場合があります。これは、本来は正しい行動とはいえません。怒りは相手の一方的な行動であり、必ずしもそれが正しいかどうかは別問題となります。

正しいかどうかは自分が自分の責任において判断していく。したがって相手が怒りを発したとしても、それに罪悪感をもったり、罪の意識を持つ必要はありません。ただその原因を自分なりに理解し、良い方向へ発展させていこうという気持ちは必要といえるでしょう。ただ、だからといって怒られるのを防ぐために、わざわざ自分の信念を曲げてみたり、生き方を変えてまで怒りから逃げていく必要はありません。

自分にとって今、何が学びなのか。今、怒りというものをどのようにして捉えていくか。一人ひとり、テーマが違います。自分の状態に見合った怒りとその解釈の仕方。じっくりと分析をしていっていただきたいと思います。


B相手を許すことから始まる

私は先程、皆さん方と一緒にエネルギーの調整をさせていただいた桜の花です。先程の瞑想において、私たちもいろんな経験をすることができました。怒りというのは、ある意味では人間が初めから持っている表現の一つです。したがってそれが良いか悪いかは一概に言うことはできません。ただ、相手を必要以上に苦しめたり、失意のどん底に落としてしまうことは好ましくはないでしょう。

でも、自分が感じたものを表現するという行い自体はそれは悪いことではないというのも、理解しておいてください。怒りを感じた。どうしてそれが感じられたのか。自分の思う通りにいかなかった。それは自分の一方的な反応によって起こったということ。これをコントロールしていくためには、相手の行動の一つひとつを許していき、認めていくという生き方ができるように常に気をつけておく必要があります。

常に相手を認めていくと、期待するとか、その人に任せるという状態がだんだん減っていき、自分のことは自分で責任を取る。相手は何をやっても、それを許していく。そういう生き方に変わっていき、怒りを感ずることがだんだん減ってきます。でも、怒りが完全になくなるという状態が必ずしもやってくるというわけではなく、人間として生きている以上は避けられません。怒りを持っても、それに罪悪感を造ったり、自分を否定する必要はありません。怒りを感じても、それを否定的には認識しないようにしておいてください。


C怒りをコントロールしていく

さて、怒りは一人ひとりがいつでも発してしまう要素を持っているエネルギーです。むかつく。イライラする。不愉快になる。こういったことが出発点であり、そのうちに、許せない、我慢できない、懲らしめてやる。そういう状態に変わっていき、怒りとなって表現されていきます。でも、その怒り自身は、何とか自分が正しくあり、うまく生きるために必要なものであるという意識から生み出されていきます。

したがって自分を正常に進めていくというエネルギー自身は正しいものであり、単に表現の仕方が不適切であるということ。自分を正しくもっていく。それと怒り、これをうまくコントロールしながら、自分は自分のペースで、相手は相手のペースで経験していくというのをすべて許していく。それによって怒りのエネルギーを少しずつ、コントロールできる範囲内に変えていかれるのを望んでおります。

私たちは今日はここまでにいたします。ありがとうございました。



(c)1998 CentralSun
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