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1998/4/12■月例セミナーから

宇宙の思いはひとつ、ただ愛すること

@つらさを何度も経験する必要はない

私たちは、今日はある目的をもってここにやってきました。私たちの世界、あるいは皆さん方からいう神の領域という場所、そこから皆さん方の人間の意識というものをどのように理解し、仕組みを創っているか。少しそれについて説明をしていきましょう。


私たちはあらゆる波動を自分たちの意思で創り、そしてそれが実現するのを楽しみにしていろんな仕組みを創っていきます。私たちは大いなる大元の中から現れ出てきたときに、私たち自身が素晴らしい宇宙を自分たちで考え、それがいかに楽しく、意味のあるものであるかを感じようとしてそこに意識を入れていきます。

しかし人間の意識というのは、何でも創造し、実行に移すことができ、あらゆる可能性を手にしております。そういう人間に対して、私たちは自由を与え、その人間が自分でどういう世界をつくり、自分の成長に役立てていくのか。それを見守りながらも、私たちの学びにもさせていただいております。

人間が私たちの存在に気づかずに自分でいろんなことをやって、周りの人々に影響を与え、自分の進むべき方向性にもいろんな障害物を造りり出し、自分自身の存在について迷いが出てきて、ついには否定をするような時期にまで経験を重ねていきます。自分は何でこんなことをしているのだろう。どうしてこんなことをしなければならないのか。一人ひとりが悩み、他人について疑いを持ち始めたころ、私たちの仲間が光を持ってその場所に降りていき、自分が光であるというのに気づかせようとしていろんなことを仕組んでいきます。

その時点で気がついた者。自分がすべてを造り出し、自分が混乱しているから周りが混乱し、自分が迷っているから周りも迷い、自分が不安だから周りも不安になる、という仕組みに気がついてきたときに、改めて自分の進むべき方向性を修正し、少しでも楽しい方向で生きよう、他人と分かち合う生き方をしよう、という風に修正ができた者、私たちが自らそのものの心の中に入っていき、そうだ、あなたは神なんだということを直接、教える時期がやってきます。

自分は何の価値もない、他人から否定され、無視され、良いパートナーにも巡り会えない、そう思っていた者も、自分が単に待っていただけで、自分からほかの人に光を与えようとしていなかったこと。自分で気がつく段階になったころ、神からの大いなる光がそのものを包み込んでいきます。誰が悪いわけでもない。神がサボっていたわけでもない。自分でこの現実を創り出していたということ。でも、それに気づくのにどれだけの人間と傷つけ合い、涙を流し、心がボロボロになってきたか。

確かに皆さん方の言葉では、経験のため、愛を理解するためにまず他人の痛みを分かり合える、と納得させて、わざとつらい経験を我慢して耐えている人がおります。でも、本当に、私たちは皆さんに愛を分かってもらうためにわざわざつらさを与えるでしょうか。もし、皆さんが愛を身に着けるために、わざと神がつらい試練を与えていたと聞いていたら、それは私たちの神とは違います。

私たちは、皆さん方がつらい経験をしたから愛が身に着くとか、愛のある人間になるためにはつらさを経験しなければならないとか、そんなことを言ったことは一度もありません。皆さん方の世界でそう勝手に認識しているだけです。本当は、そんなに自分を否定したり、他人から否定される経験をほとんど自分で選択することなしに、他人に喜びを与え、自分が他人の優しさを感ずる、という成長を望んでおります。

しかし、多くの人はただつらさを経験すれば、強くなれる、心が豊かになる、他人の心が分かる、と思っている人がいます。それは本当でしたか。次から次とイヤなことがやってきて、本当に強くなりましたか。一度つらさを感じてしまった場合に、余計に心を閉ざしてしまう方が圧倒的に多かったのです。つらさを強さに変換させて、逞しい力になった者、どれだけいたでしょうか。

だからといって、私たちは意味がないとか、またそれを一生懸命選択している人に悪く言うつもりはありません。ただ、基本的にはただつらさを何度も経験するだけで愛が身に着くとは限らないということ。愛が身に着くのは、ただ本当に人を好きになること。ただ、そのまま愛すること。それは経験の数とは必ずしも同じではありません。ただ愛したいから愛する。

ただ愛したいから愛する。それが分からない。それができない。何故、ただ人を愛せないのか。愛してあげても、あの人は愛してくれない。いつも損をしている。どうせ後で、裏切ってしまうだろう。どうせ、私になんか、そんな価値はない。これはまだその人を本当に愛していない証です。

本当に、ただ人を愛しているときは、ただ愛していることしか考えません。それによって、たとえ自分が無視されたり、相手にされなくても、ただ自分を愛している、ただ自分はその人を愛している。それで満足できない。ただ愛しているだけでは満足できない。同じように愛してほしい。もっとそれ以上に愛してほしい。そこからすべてが違ってしまいます。

自分はただ愛しているだけで良い。自分はただ愛しているだけで良い。これが本当に分かるのに、何が必要なのか。本当に多くの人から裏切られたら、それが分かってくるのか。つらさを何度も経験したら、それが本当に分かるのか。愛を身に着けるのに必要なのはただ愛すること。ただ愛すること。それだけです。ただ愛している。それがすべてです。それを自分でどうやって身に着けて、自分の人生に組み込んでいくか。

私は一人ひとりを本当に愛している。皆さん方がどれだけ好きなことをやっても、私はただ愛している。わざわざ地球で頑張っている一人ひとりがとても好きだ。本当に嬉しい。間違ったことをしたとか、正しいことをやっていないとか、そんなことはまったく私には関係のないことだ。ただ頑張って生きているだけで、私はとても満足している。

もし、愛を身に着けたら神様から救われるとか、ほかの人よりも多く人を愛したら天国に行けるとか、そんな思いで愛を身に着けようとしている者がいたならば、私の望むところではない。でも、私は愛する。私はどんなものでもそのまま愛する。これまでの地球上の人類の歴史の中で、どれだけの遣いの者が人類の前に現れ、愛の大切さを伝えていったか。多くの者はただ神の遣いだからといってひれ伏し拝むだけで、自らの心を本当に輝かせようとする者はほとんどいなかった。

一人ひとり、本当は十分に愛するだけのものを身に着けている。ただ、自分でどう表現して良いのか分からない。どうそれを行動に移して良いのか分からない。それで使わないまま、ただ心の中に溜め込んでいる。愛はもうすでに心の中で待っている。早く一人ひとりの意思から、ただ愛したいという思いが沸き起こるまで、その愛は待っている。愛してあげたら何かしてもらえるのか。何かしてもらったら愛するのか。そんなことはまったく考えてもいない。ただ、その人を愛したい。

確かに人間はいろんな経験を重ねてきて、裏切りや無視されるという思いを何度も何度も受けてきた。でも、私たちはそれを望んで与えたわけではない。一人ひとりが自らそれを選んでしまった。何故、それを選んでしまったのか。多くの者は本当は常に光と共に学び、光の世界で成長したいと望んでいる。多くの光も人間と一緒に成長したいと願っている。でも、皆の思いが私たちの世界にまで届いてこない。

一人ひとりから発せられるエネルギーのほとんどは、私だけ助けてほしい、私だけ愛してほしい。そういう思いしか伝わってこない。その波動を私たちが受け取っても、私たちはそれを叶えることはできない。

一人ひとりは私が自ら送り出した素晴らしい光であり、一つだけを愛するということは私にはできない。皆も、自分の肉体の一つの細胞だけを愛するということができるだろうか。一つの内臓だけを愛するということができるだろうか。自分の肉体すべてを愛するだろう。自分の内臓すべてを愛するだろう。私だってそうだ。一人だけから、私だけ愛してほしいといわれても、私はそこだけを愛することはできない。すべてが私だからだ。

その一人ひとりは、自分しか分からないと言うかもしれない。確かに今の一人ひとりの意識レベルでは自分のことしか感じられないかもしれない。自分の兄弟や両親が自分とは思えないかもしれない。日常の職場の中でもいろいろと不快な言葉を持ってくる者が自分の姿だとは思いたくないかもしれない。でも、それは真実であり、一人ひとり自分の心の波動の一部をほかの人間を通して見ている。自分に対して行なわれた行動はすべて自分のエネルギーで動いていく。あなた方が人間を否定すれば、自分も人間から否定される。私たちはただその法則を創ったのに過ぎない。

でも、いつの間にか、それが真理であるかのように造り上げられてしまい、人は皆、自分の敵である、人は皆自分に対して冷たい、という真理が造られてしまった。それは自分で勝手に造り上げた妄想に過ぎない。どの人間も、本当の心はとても優しく、思いやりがあり、何とか相手のために手伝ってあげようという思いを持っている。でも、ホンの少しの間違ったエネルギーで、その行動が変わってしまう。


A宇宙からの思いをそのまま受け取るように

思い、これがどこから来るか。私たちは人類に対して、早く今置かれている状況に気がつき、ただ人を愛することに目覚め、皆同じ仲間であることに気がつくように、いろんな思いを送り届けている。それを感じた人間は何とかしなくては、こんなことはしていられない、そのように受け取る者もいる。でも、それはかなり一人ひとりのエネルギーで変換されてしまったものと思ってほしい。本来は、ただ愛する、ただそのまま認めている。そのように伝わっていくのを望んでいる。


B何かをして愛が身に着く、ということはない

私たちは宇宙の大いなる意思。そして一人ひとりの心の源。大いなる、大いなる思い。私は人間が大変だと思うと、大いなる光の存在たちが人間を何とかしようとして動き出す。地球が危ないと思えば、いろんな存在たちが地球に意識を向けてくる。心。思い。とても良い響きだ。人は皆、心を持っている。皆、思うことができる。その思いは必ず私たちから発せられた思いに繋がっている。私たちが思いを持つと、一人ひとりの心が揺れ動く。そして何かに反応して思いが浮かんでくる。

思い。これは私たちと一人ひとりを繋ぐ大切な伝達の手段でもある。自分の心。これは私たちの心の源からあなた方に思いを伝える大切なものである。心が元気で、光に満ちて躍動している。私たちはそれに見合った思いを伝えることができる。心が委縮して、元気がなくなり、しょんぼりとしている者。私たちは思いを伝えることができなくなってしまう。常に私たちの思いを受け取りたければ、心を常に明るく、活気あるものにしておいてほしい。そうすると、私たちはいつでも思いを伝えることができる。

思い。

さぁ、一人ひとり、自分の心に意識を向けてみて、両手をそこに当てて、自分の心を、両手で心を感じてほしい。心に自分の愛を育てて言ってほしい。さぁ、今、私たちから最大限の愛を送り届けていく。一人ひとり心に愛を大きく咲かせていってほしい。


さぁ、ただ愛するという思いが心から沸き上がってくるのを感じてほしい。


ただ自分が人を愛する。ただ自分の心は人を愛するのを喜んでいる。ただ愛する。ただ愛する。


たとえ一人になっても、人を愛する気持ちは消えることはない。誰かから愛してもらって強くなるとか、優しくしてもらって強くなるとか、そういうことはない。ただ愛したいという気持ちだけで強くなっていく。愛とは何であるか。ただ愛したい。これが愛の本質である。心は何であるか。ただ愛したいという気持ちがそこにある。あなた方の心にただ愛したいという気持ちがある限り、あなた方は愛そのものである。あなた方の心は宇宙に繋がっている。そして神の愛と一体化する。

さぁ、神の愛が自分の心の愛と一つになっていく喜びを感じていってほしい。さぁ、もう十分に人を愛せるはずだ。十分に隣の人を愛せるはずだ。素直な自分の愛を表現していってほしい。自分の愛をこれからもっともっと育てていくという意識を常に持っておいてほしい。私たちはここで少し休憩をとります。それではありがとうございました。


C生命を奪うことなく愛に目覚めよ

私たちは一人ひとりと大切な契約をした。人間として地球で生きるということがどれだけ宇宙にとって大切なものであり、また自分にとっても意味のあるものか。それを本当に心で感じてほしい。自分が人を人を一人愛するだけで、その人が心から変わっていく。自分がたった一人を愛するだけで、その人が本当に愛に目覚めていく。これはあなた方人間ができることだ。私たちが直接、することはできない。

今までは自分が誰かから愛され、誰かから大切に思われ、誰かから良き人間であるという評価を得ようとしてこの地球で生存を重ねてきた。それで本当に幸せになれたかどうか。常に愛してくれる人間だけを追い求めていく。愛してくれないと、あの人はイヤだ。あの人は人間じゃない、といって、自分を愛してくれる人間だけを探し求めてきた。それで本当に楽しかったかどうか。それで本当にうまくいったかどうか。

でも、自分の方から愛してみたことがどれだかあったか。自分からただ愛する。自分がただその人に尽くす。それで、たとえ相手が振り向いてくれなくても、たとえ反抗的になったとしても、ただ愛していること自体に喜びを感じていく。これは人間だけが身に着けることができる。人間という生命体が貴い理由はそこにある。

自分を愛してくれるものだけを愛しようとするのは、実はほかの動物でもできる。飼い主だけになつく。エサをくれる人にだけなつく。これは動物でもできる。しかし、自分を無視する人にでも自分はそのまま愛する。これは人間だから行なえる。人間としてこの地上で生きるということは人間だけにしかできない、敵をも愛するということ。ここに意味がある。人間が人間であるためには、自分に否定的な思いを持つ者にさえも愛することができること。

自分を攻撃する者、確かに気持ちは良くないかもしれない。腹立たしさが沸き起こってくるかもしれない。それはまだ人間として完成するまでの体験のエネルギーにすぎない。もう、この地球にいて人間として生きる者は、たとえ自分を否定する人間がいてもまず許すことから始めてほしい。

私たちは単に人を愛せよと言うことしかできない。あなた方の代わりに私が人間を愛しても、人間は必ずしも愛に目覚めてこない。人間は人間に愛されて愛に目覚める。人間が人間を愛する。これは素晴らしいことだ。

これまでの人間の歴史で、数知れず繰り返された争い。いったい、いつまで続ければ分かるのだろうか。それをまだまだ続けて、本当に愛の星に変わると信じているのだろうか。まだまだ何億もの人間を殺して、それで愛に目覚めるというのだろうか。私たちは人間という生命を奪うことによって愛を育てるという法則を創った覚えはない。私たちは生命を奪うことなしに愛に目覚めることを願っている。なのに人間は命を奪うことによって愛に目覚めると思い込んでいる。そんな法則はない。

私たちはただそこに人間がいるから、人間を愛する。ただ人間がいるだけで愛に目覚めていく。こういう風に仕組みを創っている。ただ生命があるから、生命を愛する。愛はいつでも、誰にでも発揮できる。条件はない。いつになったら愛せるとか、誰だったら愛せるとかいうことはない。ある条件を満たしたら愛せるとかいうこともない。ただ愛する。

宇宙の思い、宇宙の心が何を皆に知ってほしいと願っているか。愛は今、そのままで表現できる。勉強しなくては分からないとか、何かをしなくては身に着かないということはない。今、このままで愛することができる。それを本当に知ってほしい。本当に分かってほしい。どういう人だったら、愛せる。いつだったら愛せる。そういう条件はない。関係ない。今すぐに、誰でも愛せる。すべての人間がすべての人間を愛せる。どうしてそれが分からないのだろう。どうして分からないのだろう。どうしてすぐ隣の人を愛せないのだろう。

一生懸命、誓いをたてて地球にやってきた者同士が何故、争う。同じ家族で生まれようとして約束してきた者が何故、罵り合う。同じ光の仲間としてここにいる者同士が何故、無視し合う。私たちの本当の心を感じてほしい。今、愛そうという気持ち。人を愛せるという気持ち、本当にそれを心の中に感じてほしい。私たちが言ったから愛するのではない。神が言ったから愛するのではない。ただ愛したいから愛する。ただ愛したいから愛する。私たちはそれだけをとにかく今日、理解してほしいと思っている。

確かに宇宙の仕組みや宇宙の成り立ちについて興味はあるかもしれない。でも、それはいつでも学ぶことができる。別に、今日、必ずしもそれだけをやったところで、それに意味があるのではない。でも、愛は今、すぐに愛するだけで愛に目覚めていく。隣の人が愛に目覚めることができる。それは今、すぐにでもできる。本当に理解してほしいと思っている。

今日は何とか、その本当のところを皆に感じてほしい。宇宙の大いなる意思に限らず、天のすべての存在が、大いなる、大いなる意思たちが、皆望んでいる。ただ愛するだけで良い。ただ、隣の人に優しく表現するだけで良い。さぁ、この場で感じたものを家に帰ってからでも、職場に行ってからでも、そのまま続けてほしい。そのまま続けてほしい。宇宙のすべての、すべてのすべてのすべての意思がそう伝えておく。ただ、愛を具現化してほしい。


それではここまでにいたします。ありがとうございました。

(c)1998 CentralSun
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