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1998/6/29■月曜交流会から

現象の裏に潜んでいる本質的な意味

@現象の意味を解釈するにも練習が必要

私たちはこれからの一人ひとりの流れを管理している仲間たちです。ここでの学びがかなり最終的なところに近づいてきております。皆さん方が本当の自分に目覚め、自らが光となって活動するための最終的な段階にきております。ただ、その段階を乗り越えるためにはこれまで以上の行動力や気づき、積極性が必要とされます。

もう、受動的な学びが限界にきており、手にするものはすべて手にされております。自分からそれを使いこなすという段階において足踏みしている人がたくさんおります。いわゆる、頭では分かっていても、行動できない。心では分かっていても、口ではうまく表現できない。こういう状況です。

私たちはこの段階において、同じことを何度も何度も伝えても意味がないと感じ始めております。しかし無視したり、諦めるということは絶対にありません。一人ひとりが成長しようという気持ちがある限り、私たちはそれにこたえていきます。ただ、受動的な学びはもう限界にきているということを理解しておいてください。

これからの地球での波動において一人ひとりが理解すべきこと。例えばいろんな価値観の人間が同時に存在し、自分はどう対応して良いのか分からない。これまでのやり方がうまくいくと感じながらも、新しい時代にはそぐわないためにどういうやり方を進めていけばよいのか迷ってしまう。自分が納得できるやり方をしたいという気持ちがあっても、ほかのほとんどの人が理解していないためにどうしてもその通りにはならなくなってしまう。こういう状態がこれから何度も起こることになるでしょう。

自分の思いや感じたことをこれからの生き方にどのようにうまく対応させていくか。今までは、いわゆる常識的な答が用意され、それに合わせることで良いやり方とか、間違ったやり方というのを学んできました。でも、これからはそういう単純な判断ができない時代に入っていきます。もはや良いか悪いかという判断が成り立つことがなく、ただそれぞれの意見にどのようにうまく合わせていくか。自分はどういう思いを持って成長していくか。そこに集約されてしまいます。

自分は、一人でも多くの人が喜びを感じるようなやり方でもっていきたい。困った人がなるべくでないようにするようにして先に進んでいきたい。ほとんどの人がそう考えます。でもどういう方法を採用しても、必ず誰かがうまくいかない状況になったり、いわゆる損をする、人間が出てきます。今の皆さん方の波動では、一気に全員が満足して楽しい状況になるというのはそんなに容易く(たやすく)はありません。ある程度、付いていけない人や理解できない人が現れてしまいます。

皆がうまく進んでいくためには、誰かが折れざるを得ない、という状況が造られていきます。私たちはそういう状況のところで、一人ひとりが成長できるような学びを創っていきます。今まで常に自分のペースを前提にし、ほかの人を自分に合わせようとした者はこれからどんどんやりにくくなっていきます。自分が必要と感じた者がほかの人には不要と感じたり、意味のないものとして感じられていきます。したがって自分に合わせようとしても、それに合う人間がいなくなっていきます。

自分自身が自信を持って生きていく。それを具現化しようとする者は、実際には自分が一番、何でもできて、ほかの人がまだ自分ほどには成長していない、という思いを持つ人がたくさんいます。したがって自分がやることによってうまくでき、ほかの人には任せられない。こういう人もこれからの流れにはうまく対応できなくなってしまうでしょう。

自分自身の行動力や表現力は磨きをかけ、どんどん使えるように工夫して構いません。でも自分一人だけが優れているとか、自分が一番よくできると思ってしまう者たちは、結局はほかの人たちが誰も付いてこない状況になってしまいます。

常にほかの人と一緒にうまくやることを考え、自分を犠牲にしながら全体でうまくいくように考えてきた人。ほかの人から信頼され、良い人と思われ、自分もそれを自分の特徴としてやってきた人がいるでしょう。こういう人は多くの人がスムーズにいっているときにはとても良いエネルギーを出していきます。皆が楽しく、和気あいあいとやっているときでも、その人は何らかの努力をしたり、見えないところで陰の工夫をしていろんな働きをしております。

でも、この人は自分の思っていることとはうまく進んでいないときに、何とかしてその通りにさせようという強いエネルギーを出していきます。したがって皆がうまくいっているときはそれなりに満足しますが、全体のまとまりがおかしくなってきたり、方向性が自分と合わないときにとても強い不快感を出し、何とかして良い方向に持っていかせようとするエネルギーを出してしまいます。

日本人の一部の人たちはこういうエネルギーがとても強く、一見、陰の功労者で目立たないような働きをしていますが、実際にはエネルギー的にとても強いものを出している場合があります。したがって全体の方向性が自分と違っていたときに、うまくいかせようとするエネルギーを特に強く出して余計にそれが全体のまとまりを欠いてしまう場合があるのです。

自分のやり方と全員の方向性に違いがあると感じられたときに、無理矢理自分のやり方を押し付けようとせずに、自然に流れていく方向を見ていく練習が必要となります。仮にその方向性が明らかに危機的な状況を生み出すと思われる場合、それがどうしてそういう方向に進んでいくのか、どうして皆の動きがそういう方向に向かうのか、それを自分なりに分析してみる必要があります。

全体がどんどんおかしくなる場合、そういうときには必ず誰かの想いが強く影響しております。誰かが必ず自分のペースでもっていかせようとしております。それによってそれを不快に感じたものたちが反対のエネルギーを出して、そのエネルギーがぶつかり合ってどんどん別の方向に進んでしまいます。

したがって全体をうまくまとめようとか、一つの方向に持っていかせようとするとき、そのエネルギーが全員に流れ、そしてさらに方向性をも自分が造り出してしまうということ、それによって不快感を感じた者たちが反対のエネルギーをぶつけてくるということ。それによって全体のまとまりがおかしくなってしまう場合があるのです。

自分は正しいと思って、自分の信念で自分を素直に表現していく。これを実践している人が何人かいます。自分は正しいと信じている。それによって問題が起こったときには、必ずその意味があり、その意味を探ろうとします。今のあなた方の多くの人がこういう段階にあります。

自分のペースで何とかうまくやっていきたい。でもうまくいかない。どんな意味があるのだろう。そこでいろいろ理由を聞きにここにやってきて、その原因を理解していく人もあります。これはある意味においてはとても良いやり方といえます。原因を理解し、それによってどういう心を持つとどういう現象が起こるのか、どういう考えをするとどういう風に流れていくのか、それが具体的に分かるからです。

でも、それが一番効果を発揮するのは、その人自身がそれなりの理由を探ろうとしていろいろと考え、自分なりに工夫をし、そして宇宙の御心に沿った生き方にしようと考えを変えていく。ここまで来た人はかなり成長することができるようになります。

現象をただ理解し、それで納得し、その現象を改善するためだけにいろいろ考え方を変えている人と、その本質を理解し、本質的な宇宙の御心を知ることによって早め早めに事態を対処していく、これではかなりその違いが出てきます。現象面に注意を向け、理解をしようとしている人は、それを何度も何度も続けて繰り返すことになります。

しかし本質的なところを理解し、それによって現実を変えようとしている人は、根本のレベルから宇宙と繋がりやすくなり、また自分の人生を確実に変えることができます。宇宙が本当は皆の現実にどのように影響を与え、そして皆さん方がそれをどのように感じているか。この間にはとても複雑な仕組みが無数に関与しています。

したがってたった一つの現象を理解しようとしても実際には単純な心の働きだけではなく、それ以外にいろんな想念のぶつかり合いや本来の計画、思い、仕組みなどの影響によって現れております。現象面を理解するときに、単純にこうだからこう、あぁだからこうという風に捉えてしまうと、本来のものとは違う意味を解釈する場合があります。

したがってその理由を理解するときに、あまりにも現象面だけに意識を向けすぎないで、その裏にあるもの、本質的なものにもっともっと意識を向け、その本来のものを理解できるように自分なりに工夫することが大切です。そしてあなた方が本当に成長できるのかどうかはまさにそこに集約されるのです。

現象の意味を聞き出して、それを活かそうとする。そのためにいろんな現象の意味を次から次と聞き出し、それを一つひとつ克服しようとするもの、実はこういう人はある一定以上は成長できない状況になってしまいます。最終的には現象面をいちいち聞かなくてもすべて自分で分かるという状態が理想なのです。そのために二つ三つの現象面を確認すると、そこに流れている本質的なものが理解でき、あとはどのような現象が起ころうともすぐに自分でその意味が理解できる。これが本当に望ましいやり方といえるでしょう。

ただ、その現象から本質的なものを引き出すにはやはり練習が必要であり、考え方も工夫が必要です。一般に自分の望んだことがうまくいかなかったときに、いろんな考え方を皆さん方がなされます。きっとこれは神が望んでいないからうまくいかないのだろう。あるいは、それはあってはならないことだから、うまくいかなかったのだろう。こう判断する人がたくさんおります。

確かにそういうケースも時々ありますが、ほとんどの場合は私たちや神がわざわざそれを制限することはほとんどありません。私たち自身がわざわざ願望がうまく成就されない方向に現実を進めることはまずあり得ません。皆さん方がどのようなことを望もうとも、望んだことはすべて現実化できるようにエネルギーが流れていきます。私たちはそれを変えることはほとんどありません。

したがって皆さんの望んだことがうまくいかなかった。それはほとんどの場合が、私たちや神の所為ではありません。それではどういうことが原因で、うまく進まないのか。まず、考えられるのは、魂のレベルで仕組んでいる場合があります。といっても、魂がわざわざそれを制限したり、実現しない方向にもっていくという意味ではありません。魂でさえも、皆さん方が望むことはなるべく実現できるように流れをつくっていきます。それがどのような状況になろうとも、皆さん方が願っている限りはそれが進行するようにエネルギーが流れていきます。

でも、それでもうまくいかない。それは皆さん方の思っていることが魂レベルで見たときに、本来の役割とまったく関係がない場合、例えば、皆さん方が何か素晴らしい超能力を手に入れたいと努力をしていろんな瞑想をしたり工夫をしても、全然その能力が身に着かない。これはほとんどの場合が皆さん方の役割とは違っている場合です。

一人ひとり能力がまったく違い、役割も違い、また魂の目的も違います。確かに一人ひとりが素晴らしき人類として進化し、素晴らしい能力を手にすること自体は魂も喜びを感ずるでしょう。でも、それが初めから魂の目的ではないときには普通はそれが実現することはあり得ません。なぜならば、その方向にどんどん意識を向けてしまい、無我夢中に没頭してしまい、本来の魂の役割とはまったく違う方向に進むケースが圧倒的に多いからです。

そういう超能力的なものを身に着けた人で本来の魂の役割を演じている人はほとんどおりません。皆、自分が優秀であり、優れている人間と勘違いし、人々への愛やいたわり、そして人間関係の大切さをおろそかにしてしまいます。それは魂の願いではありません。そのために超能力的になことを期待している人がいくらやってもうまくいかない、というのは、むしろ魂が望んでいる状況であり、ごく普通の人間として、人間同士が分かち合う喜びを感じることを願っているからです。

人間関係をうまくしようとしていろいろ工夫したけれどもうまく進んでいかない。これは魂の所為ではありません。純粋に自分の感情のエネルギーの問題と思っておいてください。自分の心や気持ちとしては、うまくいくことを考えている。お互いに楽しく平和に進めていきたいと思っている。でもうまくいかない。こういうときのほとんどは感情的なエネルギーが干渉し合い、それによってうまくいかなくなっています。

うまくいくというその理想像。それは往々にして、自分の気持ちを分かってほしい。もっと自分のことを知ってほしい。こちらの言うとおりにやってほしい。そういう思いによってうまくやっていこうとしております。これは実際には自分のコントロールできる範囲内に相手を置いておくということであり、真の相手の存在を認めているわけではありません。

したがってそれは必ずしも正しい方向に流れていかず、お互いに、言うことを聞いてほしい、分かってほしいというエネルギーがぶつかり合ってきます。そして分かってくれない、言うことを聞いてくれないというエネルギーが干渉し合ってお互いに気まずさや違和感を生じてしまいます。

自分の心では良いことを考え、平和なことを考えているのにうまくいかない。こういうときには、良いこととかうまくいくことと考えていること自体が本来のものではないというのを理解しておくことが必要となります。

誰か素晴らしい人がその場にいて、その人の言うとおりにしておけばいつもうまくいくのに、常に誰かが反対してうまくいかない。こういう場合もあるでしょう。一般にとても信頼できる人や経験の豊富な人。そういう人がいて、その人の言う通りにしておくとうまくいくというケースは確かにあります。でも、こういう場合にはそれに反発する人が必ず現れてきます。そしてその人さえ反対しなければうまく進んだのに、その人が反対したばかりに全体がおかしくなってしまう。

これは実際には反対をいった人の責任ではなく、むしろそれ以外の人に責任があります。誰かに従っていく。誰かの言うとおりにしておく。まずはここに一つ問題があります。今までの日本人の生き方がそういう生き方でやってきました。一番経験の豊富な人、一番信頼のできる人、そういう人に従っていき、それでうまくいく。したがって皆もそういうやり方を続けていこうとする。

でも、実際にはこれからの時代では皆が同じやり方を続けるとか、一つに合わせるということが時代に合わなくなってきます。一人ひとりが自分の役割を演じないと、うまくいかなくなってくるのです。皆が同じように、同じ方向に向き、同じ顔で進むという時代はもう合わなくなってきているのです。そのために自分は自分の意見に従い、自分で進んでいく。こういう人が一番望ましくなってきます。

確かにそれまで経験が豊富で、何でも理解している人からすれば、その人の言うとおりにしておけばうまくいくと信じているでしょう。でも、それは今までの時代で可能であった生き方であり、もうこれからの時代ではそれは適応できません。昔のやり方はもう通用しないのです。一人ひとり違うことをやらねばならない。一人ひとり自分に見合ったことをしなければならない。したがってそれぞれ自分のやるべきことは自分で考えていく。それを本当に実行していくことが必要となります。

したがってこれからの時代では、単純に自分はこれができる、自分はこれがやりたい、というのを一人ひとりが発言していく。何でも知っていた中心的な人はそれの取りまとめを自分なりにやることが必要となってきます。一人ひとりの個性を良く把握し、その上で全体をまとめていく能力が必要とされるのです。

皆が素晴らしい生き方を身に着け、納得し、宇宙と一体化した生き方をするようになっていく。そしてそれで一つの巨大な社会をつくりあげていく。これを理想として、それを現実化させようとしている人もたくさんおります。でも、実際にはうまく進まず、いろんな障害が起こったり、非難されたり、いろいろと障害がやってきて常にどこかがおかしくなってしまう集まりがあります。

これは考え方そのものは良いとしても、その実現化の方法に無理があるという意味です。考え方は理想論ですが、それを現実化する際に無理矢理仲間や家族を巻き込んだり、無理矢理それを現実化しようとして他人を勧誘したり、誘ったりするところに大きな誤りがあります。そういう方向性を本当に信じ、そういう社会をつくろうとするものは自らの意思で自ら目覚め、自ら集まっていく状況が前提とされるのです。

無理矢理勧誘したり、我が子だからといって自分のものとして強制的にそこに連れてくるのは大きな誤りとなるでしょう。あくまでも、子供でさえも自分の意思でそこにやってくるのが前提となります。

今まで述べたいろんな生き方やり方を考えながら、自分はどういう方法で現実を理解し、本質的なものをそこから導き出して満足したものに変えていくのか。それを各自で工夫してみていただきたいと思います。


Aうまくいかないからといって神がそう仕組んだわけではない

今話された説明のなかで、自分の思いがどうしてもうまくいかないということの説明がいくつかありました。先程、Kさんの方から話があり、自分なりにやろうとしたことがうまくいかなかったときに、それはやってはいけないことだと解釈をしたという説明がありました。一般にうまくいかなかったときには、それが良くないとかやってはいけないとかいう意味とは違います。そういう単純なことで現象化を起こすことはほとんどありません。良いか悪いかは本人の問題であり、私たちがコントロールすることはあり得ないのです。

私たちは皆さん方がやろうとしていることはすべて現実化できるように仕組みをつくっていきます。したがって良いからうまくいき、悪いことだから進まないということはまずないということを理解しておいてください。

それではうまく進まなかったときには、どういう状況が起こっているのか。まず一つはうまくいかないというその判断がどのようにして行なわれてきたのか。自分の判断の仕方がどういうところからきているのか。今までスムーズにいっていたことがある時点を境にスムーズに進まなくなる。これはスムーズにいくということとスムーズにいかないということの違いをどのように判断しているのか。

何も問題がなく、障害がなく、先にどんどん進んでいけばうまくいき、いろいろ時間がかかり、面倒臭いことが起こり、障害のようなものが多くなってくると、うまくいかない、スムーズにいかないと判断しています。これがあなた自身のテーマであり、何も問題がなくとんとん拍子にいけば良いことであり、問題が起こったり障害が起こると良くないことだと判断する。これ自体をまず考え直すことが必要となります。

私たちの世界からすれば、むしろいろんな困難に出会い、今まで経験したことのないことを経験し、自分とは違う価値観の人と出会うことはとても良い進化の方法です。それによって今までとは違う自分に大きく成長することができるでしょう。今まで知らなかったことを理解することができるようになります。

でもあなたはそれをつらいこととかイヤなこと、ましてや悪いことと判断してしまいます。そういう価値観を根本から変えていただく必要があります。スムーズにいくから良くて、障害があるから悪い、という価値観を根本から変えていただく必要があります。


先程、チベットの映画についての話がありました。これから述べることは必ずしも絶対的なものとして判断しないようにしておいてください。まず私たち自身が今、計画している流れの中ではチベットいう存在は必ずしも大切な比重を占めているわけではありません。ただ、世界全体のエネルギー的なバランス、地球を生命体として捉えた場合のエネルギーの流れという意味においてはチベットは大切なエネルギーの場であり、それを無視することはできません。でも、それはあくまでも地球という生命体の維持のために必要なエネルギーの場であり、私たち自身は別の関与をしております。

つまり皆さん方の意識の変化、皆さん方が新しい人間に切り替わるための成長のため、そのために私たちはいろんな仕組みをつくり、関与をしております。したがって私たち自身が考えているプランの中には必ずしもチベットは直接的に影響をしているわけではありません。

では何故そのような情報が出てきたり、それが大切な場所だとして表現されているのか。まずは先ほど言ったように、地球を生命体として捉え、それを完成させる役割を持ったグループがあります。そしてそれが今まで伝えられてきた存在たちやあるいはそこに仕える人間たちとして現れてきたものです。

地球を維持するために、地球を最後まで破壊させないよいうに守っておくために、そのために活躍しているいろんな存在たちです。彼らは地球の正常なエネルギーの流れを作り上げるために、日本やチベットに対して今、とても重大な働きを担っております。しかし私たちは人間自身の意識の直接的な変化を担当しているために、人間そのものが焦点になってきます。

皆さん方の意識がどのようにして変化していくか。一人一人が本当に一体感をどのようにして感じていくか。地球に生かされているという思いをどのようにして感じるのか。そこに一番焦点が当てられております。したがって皆さん方からすれば、まず自分の意識の変化を自分なりに工夫することが必要となります。

では、チベットに対して皆さん方がどのような働きをすればよいのか。まず、チベットに関心をもちそれが使命してと感じている人と、ほとんど興味を示さずに自分に意識を向ける人、これらに大きく分類されます。そして主に西洋や欧米の諸国は全体的な地球の管理のためや維持のために意識を向けていきます。

しかし日本人はどちらかというと、自分の意識を高める方が今、テーマになっています。欧米人はすでに自分が確立し、表現力もあり、意思も強く、実行力があります。そのために世界のあちこちに行って、自分で行動するという人もたくさんおります。そういう人はチベットのためにいかにも活躍できる資質をたくさん備えております。

でも、日本人はそもそも実行力が弱く、意思が確立されず、自立する能力がほとんど養われておりません。そういう人に、チベットで何かせよといっても、ほとんど動くことはないでしょう。まずは自分自身がしっかりと確立し、自分の意思と行動力で動いていくことが必要となるのです。

そのためにここに集まってきている人は、むしろ自分の意識をいかに成長させるか、いかに自分を自立した人間に持っていかせるか、それがテーマになっている人たちなのです。自分のテーマに合わせてそれぞれ学ぶべき場のところに導かれております。したがってほかの人がいろんなことを言ってこようとも、自分の心に合わなければ、それは聞く必要はありません。あくまでも自分の心で一番感じるところ、自分の心が大きく反応しているところ、それに従って学びを続けていけば、それで十分なのです。

宇宙から流される情報をすべて聞き取り、すべてその通りに行動しないと合格点をとれないと思っている人、この日本にたくさんおります。でも、それはほとんど不可能でしょう。まるで地球上にあるすべての大学に入学してすべてを主席で卒業しようとしているのと同じ状況です。それは私たちからして何の意味もありません。

自分のやるべきところを自分が自分の信念で行なっていく。それで十分なのです。皆さん方も宇宙との繋がり方をもっともっと工夫し、自分なりの生き方、自分の勉強の仕方をつくりあげていただけるのを望んでおります。


これからしばらく皆さん方の方で、自分について何が今、テーマであり、どういう勉強の仕方が一番しっくりくるのか、それを少し話していただきたいと思います。それでは少しここで休憩をとります。ありがとうございました。


B本心が伝わらないのも本人に原因がある

私たちは皆さん方のこれまでの状況を見て少し説明をいたします。自分が自分なりに納得して行動したことが、周りからはそう評価されず、自分で落ち込んでしまったり、合わせようとして言葉を選んでしまう。これが多くの人に見られる一つの行動パターンといえるでしょう。

自分の思ったこと。まず、これを考えるときに、自分が心から是非ともそのように持っていきたいという思いと、周りに合わせるためにその場はこのようにとりあえず表現しておこうという思い、この二つに大きく分けられます。そして本質的に、自分はとにかくこの方向にいきたいという思い、これはその人の人生観から造られる思いであり、その人自身の生き方をかなり示しています。

だからといってそれが正しいとか、本来のものとは限りません。一般に、その期間に学んでいるテーマ、やるべきこととして与えられた環境、それを経験しているときに、何らかの方向性が見えてきます。その方向性に従って進んでいるときに、その方向性とうまく合っているやり方が思われたときには、その思いは自然なものといえるでしょう。

その方向性とは別にその場その場の人間関係において、自分の思いとは違うものが沸き起こってきて、うまく皆に合わせようとしたり、その場だけを簡単にまとめようとする動き、これは本来の思いとは別に、あくまでもその人自身の心の作用から起こるものです。したがってそういう一時的な心の動きを自分の本当の心と思っていると、それは本来のものとはかなり違う方向に進んでしまうことになる場合があります。

したがって皆さん方が人間関係の中で自分の思いを大切にするというときに、その場における一時的な思いなのか、それとも自分が学んでいる本質的な方向性への思いなのか、それを見極めることが必要となります。そして仮に一時的にその場だけをうまくまとめようとして本来の方向と違うことを口に出した場合、あとで自分で自分を責めたり、後悔したりする人がおります。

その時には自分の本来の方向性を見失っていない限り、自分を責める必要はありません。仮に、人前で一時的に本心とは違うことを表現したとしても、それをいちいち苦痛に思ったり、自分を責める必要はありません。ただ人の前で表現したということはそれなりに周りの人にそういう風に発言したという思いが流れていきます。したがって相手の人には必ず何らかの影響を与えております。

相手はそれによって自分をどう判断するか。多くの人はそこに意識を向けていきます。自分が変な人間だと思われてしまった。自分はおかしい人間だと思われてしまった。そしてまた自分を責める人がおります。確かに相手はそういう風に判断するのはやむを得ないでしょう。でも、自分自身はそれに気がついた時点で本来の方向性をまず見失うことなく、しっかりと確認しておく。

一時的に心とは違うことを表現してしまったときに、自分なりに気がついた時点で修正をしたり、訂正をすることは構いません。しかしもう取り返しのつかない状況にまで発展してしまい、もう収拾が付かなくなってしまったとき。ある意味ではその時には、素直に自分の思いとは違うことを表現してしまったことを認める勇気が必要となるでしょう。

いつまでもそれにこだわって、一時的に発したものを自分だと信じ、それを貫き通そうとすると、どんどんおかしな方向に進む場合があります。自分は心にもないことを言ってしまった。本当の自分とは違うということを素直に認め、そして修正する働きも必要となります。自分自身がそれによって、どこまでが本当の自分の思いで、どこまでは周りにただ合わせた思いなのか。それを見極めていくやり方も必要とされます。

人間関係においてはいろんな問題が起こってきます。言おうとしたことが相手にそのまま伝わらず、常に誤解されてしまう。これはまず言い方自身に問題がある人がおります。常に否定的な思いで物事を考えたり、表現している人はその傾向が強くなります。常に否定的な思いで表現しているために、たとえ本当のことを伝えようとしても受け取った本人はそれを否定的に解釈してしまったり、好ましくないことのように解釈してしまう場合があります。そのためになるべく自分の本心を素直に伝えようとする人は否定的な思いをあまり心に抱くことなく、自然に肯定的に伝えていく表現法を工夫してみる必要があります。

また自分の本心を、本当のところは表に出さずに、表面的なことだけをたくさん表現して、本心をわざと見せないで話してしまう人がおります。本心を見せないである程度ごまかしておき、表面だけで表現していく。これも相手に誤解されるパターンといえます。自分では本心と表面を理解していて、表面だけをうまく伝えたように見えていても、相手はそれをすべて自分自身の本心と思うために、どうしても食い違いが起こってしまいます。そのために、表面だけを話す癖のある人は、相手に素直に伝わらないという傾向があります。したがって相手に素直に理解してもらうためには、常に自分の本心を表現する、あるいは表面と本心を使い分けるやり方をやめる、という工夫が必要となります。

また、自分自身は真実だと信じ、本心にしたがって表現していても、うまく伝わらない場合。こういう人もおります。こういう人は一般に真面目で、よく物事を理解し、また相手のことを思っていろいろと表現する人がたくさんおります。それにもかかわらず、うまく伝わらない、これはその人が相手のいろんなところを知ろう知ろうとしていろんな疑いの気持ちを出したり、興味半分やより深く詮索しようとする気持ちを持ちながら、自分の知っていることをすべて表現したり、自分がどこまで知っているのか相手に確認させようとしている場合、こういうときに起こりやすい状況といえます。

自分はいろんなことを知っていて、そしてそれをすべて表現して、相手が納得してくれるかどうかを確認したい、という風にして話を進めていくと、相手に誤解されてしまうケースがあります。相手の興味のないことを延々と話したり、相手にとってはどうでも良いことをいかにも意味があるかのように強調して話す場合。相手はほとんどそれを受け止めていないために、自分の本心が伝わることはありません。したがって相手は本当に何を聞くことが必要なのか。相手の必要な情報を自分は表現しているのかどうか、それを本当に考えてから表現する必要があります。

このようにして自分は自分なりに正しいと思って表現していても、相手に伝わらないケースがたくさんあります。そしてその場合には必ず自分の心に何らかのそういう思いが入っており、うまく伝わらない原因を作っているということ。相手の所為ではなく、自分の心にも原因があるということ。それをまず理解するように努力をしてみてください。


C日常の問題などをテーマにしてほしい

さて、最後に少し説明をして終わりにいたします。私たちは皆さん方に与える情報がもうかなり限界にきていると何度か述べました。でも、それはここの会の意味がなくなったとか、皆さん方に話す意味がなくなったとかいうこととは少し違います。私たち自身は皆さん方と意識的な繋がりを強くし、少しでも一体化して活動したいと考えております。したがってこの場がなくなるということは絶対にありません。

ただ、皆さん方が私たちから何を学ぼうとしているのか。そこで一致点がないときには私たちと皆さん方との繋がりが強くできないという理由があるのです。皆さん方が私たちを通して本当に何かをしたい、本当にこの地球や人間のために自らの意識と体を使って光の存在と一緒に活動したい、と思っている人には私たちは確実に協力をすることができます。

でもまだ自分は準備ができていないから、まだ分かっていないから、まだ容易ができていないから、という理由で私たちを遥か遠いものとして認識している人は、私たちと繋がることが難しい状況にあるのです。したがってそういう風に私たちとの距離を遠くに考えている人には、いくら言葉を伝え情報を与えても縮まることが少ないのです。

常に良い情報を期待しており、高い存在からのメッセージと期待しているために、そういう情報しか流すことができず、同じレベルで共に活動し合うという状況が造りにくくなってしまうのです。私たちは皆さん方を私たちより下とか、未熟とか、まだできないとかいう風には決して思っておりません。それぞれが肉体を持って素晴らしい働きを演じており、そしていろんな人間関係の中で涙を流し、喜びを感じながらいろんな成長を行なっております。

私たちは誰一人、劣っているとか未熟とかいう判断はしておりません。したがって同じレベルで、同じように手を取り合ってこの地球で役割を演じていきたいと考えているのです。そういう意味において、私たちは今、なるべく同じ仲間として一緒に活動したい、と思っているときに、皆さん方の方が私たちをとても高い存在のように意識しているために、一緒のエネルギーができにくい状況になってしまうのです。

ですから、話すことがなくなったというのは、必ずしも皆さん方が思っていたことと同じではなく、むしろ情報ではなく、エネルギー的なものの繋がりを強くし、私たちとの差をなくし、自分たちが私たちと同じ仲間であり、一緒に活動していくということ。そのためにいちいち情報をありがたいものとか、尊いものとして期待するのではなく、単なる日常の人間関係におけるコミュニケーションや家庭におけるお話と同じぐらいに、私たちとの間をなるべく日常的なやり取りとしてやっていただきたいと考えているのです。

したがって皆さん方の方からは、ごく普通の生活においての悩みやつらさ、困ったこと、聞きたいことをただその都度言ってくるだけで、私たちは十分に先に進むことができます。できれば皆さん方の方でお互いに会話をしながら新しい世界に向けて学びを続けていっていただきたいと思っているのです。

これからもそういう意味で、私たちは常に皆さん方とのコミュニケーションをとりながら、この場を使って一緒に活動していきたいと考えております。私たちの真意を理解した上で、これからも協力していただけるようにお願いをいたします。それではありがとうございました。


(c)1998 CentralSun
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