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1998/8/19■水曜瞑想会から

地球人の意識はまだ子供のレベル

@概念や思い込みを入れずにエネルギーを受け取る練習

私たちは今の瞑想の手助けをしていた仲間たちです。まず今のお話で、いくつか説明をしておきます。初めにすみれ色の世界で、目をいろいろと感じました。これは明らかにあなた自身の今の第三の目の状況を現しております。少しずつ直観が高まるようになり、イメージ的なものもかなり分かりやすくなってきております。ただ、まだ本来の私たちのエネルギーを確認するという状況には至っておりません。

今のところ、私たちが与えたエネルギーを感じる、私たちが意図したエネルギーを受け取る。そういう状況になっております。白い紙のようなところに目が写っていたというのはそういう意味であり、私たちが与えた情報をあなたが受け取る、そういう状態において確認できるというレベルにあります。

これをさらに練習していき、もっと自然にいろんな思いを受け取れるようにするには、あなた自身のいろんな思い、感覚的なところ、感情をさらにクリアにし、なるべく自分の概念や思い込みを使わないで自然に受け取ることが必要になってきます。したがって受け取った情報を確認するときに、あまり自分の思いを使わずに、自然にそのまま受け取り、解釈する練習をするようにしていってください。

また光の噴水のようなものという話がありました。これはある意味ではあなた自身が造り出した光を感じている状況でもあり、今、自分が他人に与えることのできる光と思っておいてください。自分が光となってほかの人に流す場合に、自分はどこまで強く、どこまで明確に光を与えることができるか。そのシンボルが先程、確認されたものです。それを強くしていけば、ほかの人に与える光も強くなり、さらにいろんな光を渡すことが可能になってきます。そういうシンボルをこれからもたくさん見つけていき、自分はどこまで光を強くし、高めていくかを確認できるようにしてみてください。


また白い世界で、自分の部屋に入っていろんなおもちゃを見たという話がありました。あなた自身を意識的な成長段階で見た場合に、まだ地球人の幼いレベルであるというシンボルですが、今のほとんどの地球人がそのレベルであり、あなただけがそういう子供という意味ではありません。

一般に地球人の大部分がこのレベルにあり、そこから意識を高めていこうとしています。今、そういう意味で子供のように感じた地球人は、まず無邪気に、素直に遊ぶことを身に着ける必要があります。ある意味では自分の好きなように、思う存分に楽しんでいく。そして人間として生まれた喜びを感じていく。そういう意味が入っております。

馬のおもちゃが出てきたという話でした。これはある意味では、あなたのガイドの中にそのエネルギーを持っているものがおり、いろんな面において援助をしてくれております。ただその存在はあなたの目の前でそういう形をまとったり、明らかに分かるような意識的な感覚を与えることはしません。あくまでもあなたがただ楽しんで遊んでいけるように、この現実を面白く感じられるように、その手助けをいつも陰ながら行なっております。そういうシンボルとして馬のおもちゃを見たという状況です。


自分が戻ってきたときに、子供を背負っているという話がありました。これはある意味では自分が自分を背負っていることであり、どちらが自分なのかを区別することが無意味になってきます。人間としてあなたがしっかりと生きていく。でも、自分の意識レベルはあくまでも、まだ地球人として若いレベルであり、常に子供のような感覚で現実を楽しんでいく。

でも、今、地球人は自立し、自分でしっかりと現実を創るということも学ぶ段階に入っております。したがっていつまでも子供で良いというわけでもありません。もう自分で、自分のことを行ない、自立していきながら、子供のもつ無邪気さや素直さを常に持っている。そういう現れと思ってください。


ここでいろいろと体験されたことはあくまでもあなたの持っているエネルギーのホンの一部であり、これがすべてではなく、またかなり多いというわけでもありません。まだまだ、今日、確認できなかったものがたくさん残っております。したがってこれだけで自分のすべてが確認できたとか、これこそが自分という風には思わないようにしておいてください。


さて、先程の瞑想で、中々うまく進まず、何度か、戻ってきたという話がありました。一般に、流れがうまく進まないと、始めからやり直したり、途中からやり直してまた進めていく場合があります。それ自体はおかしいことではなく、また適切なやり方となって進んでいきます。

しかし、一般には途中でうまく進まないように感じていても、実際には意識の一部は必ず先に進んでいます。ただ自分の表面意識がその進んでいる自分から離れてきて、肉体の方にかなり戻ってきているという意味です。したがって現実には、自分の表面意識は自分の肉体に戻ってきても、瞑想を進めている自分は次々と先に進んでいきます。

したがって、戻ってきて、もう一度やり直そうとしたとき、あえて始めからやり直すというよりは、どんどん先に進んでしまった自分を、自分と繋げるように、意識的な工夫をし、そして瞑想状態の自分の意識とうまく持っていける工夫をしてみてください。

これが慣れていないときには中々うまくいかず、何度やってもうまく出会えない場合があるでしょう。したがってすぐにそれができるとは限りません。ただ、やり方として、またやり直す場合と、瞑想をそのまま継続することも可能であるということ。それを覚えておいてもよいでしょう。


A他人とは違う自分だけの生き方を確立させる

さて、少し別の話をして終わりにいたします。これからの生き方が一人ひとり、自分だけのものになり、ほかの人の生き方が自分には当てはまらず、また自分の生き方もほかの人には当てはまらない状況になっていきます。たとえ、親子や兄弟であっても、それが通用せず、自分は自分だけの生き方を見つけることになります。そういうやり方が進んでいくと、場合によっては家庭がバラバラになったり、友達との関係が悪くなっていく場合もあるでしょう。したがって自分の生き方を進めていくということと、仲良くやるということが難しい状況になる場合があります。

したがってこれから良く気をつけていただきたいのは、自分の生き方を進めるということと、仲を悪くすることを必ずしも一緒にする必要はなく、お互いに仲良くしながらも、自分は自分の生き方を進める。そのやり方を何とかして身に着けていただきたいと思っております。基本的に一人ひとり、考え方が別であり、生き方も別であり、信じるもの、真理、これ自体も別になってきます。

それでもお互いに仲良く話し合い、一緒に遊び、いろんな話し合いができる。それができるような生き方を是非とも確立させていただきたいと思うのです。一般に、同じ考え方で、同じ気持ちの者だけでまとまり、仲良く話し合うという状況がつくられてきました。でも、それはもう通用しなくなってきております。

結局、自分は自分だけの生き方しかできず、ほかの人とはどうしても違うということを前提にする時期がやってきます。それぞれが別に生き方をし、別の考え方で、別の真理を造っていく。でも、話し合いや面白い遊びはお互いに何度でもやる。そういう生き方を是非とも、身に着けていただきたいと思います。

人間がお互いに人間を尊重し合いながら、生きていく。そのためには、生き方や趣味、思想、宗教がいくら違っても、相手を認めるということが前提となってきます。確かに感情的な対立や、趣味が合わないということでいらだちを覚えたりする場合もあるでしょう。でも、そういう不快感を何とかして理性で克服し、お互いに分かち合えるような状況を造っていっていただきたいと思います。

私たちは今日はここまでにいたします。ありがとうございました。


(c)1998 CentralSun
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