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1998/8/26■水曜瞑想会から

本来の富は心の明るさに引き寄せられる

@貧富の差がない富のエネルギーを地球に降ろす

私たちは先ほどの瞑想の手助けをしていた存在です。一人ひとりが自分の特徴に合わせて、一番相応しいワークをしておりました。今回、行なわれたものはまだ極めて初歩的なエネルギーワークであり、実際にはもっと時間をとり、多くの人でやるとかなり強い影響を与えることが本当にできたでしょう。

でも、決して今日行なわれたことがムダとか、意味がなかったというわけではなく、それなりにとても重要なエネルギーが降ろされ、そしてこれからの活動に際しても十分に意味のあることが為されております。一人ひとりが自分なりに行なったことはすべて真実であり、自分のエネルギーとして確立されているということを信じておいてください。


先程の瞑想の中において、多くの人がエネルギー的なものを受け取って地球にもっていったり、そこで活動するということをやっておりました。この地球には差別を造り出したり、階級を造り出したり、違いを増幅させるような仕組みがあちこちに巧妙に造られており、人間はそのエネルギーの中で気がつかないうちにその影響を受けております。

貧富の差にしても、純粋な富のエネルギーではなく、貧しい者を造り出すことによる富であり、それは宇宙における富とはまったく違います。本来の宇宙における富のエネルギーは、人間の心の輝きに応じて富が増幅していき、心が成長する度合いに応じて富は膨らんでいきます。

したがって本来の富のエネルギーでは貧しい者というのは存在しておりません。それがこの地球においては貧しい者を造り上げ、そして相対的に富める人間がいるかのように造られております。こういう富のエネルギーは人間の心の弱さに付け込んで、その影響力がどんどん強くなり、今ではまるでそれが真理であるかのように強く定着しております。

このエネルギーを宇宙の富のエネルギーに変えるためには、必ずしも富める者が貧しい者から何かを奪ったり持ってきて、富むという状況になるのではなく、自分の心の輝きに応じて宇宙から富が与えられていく、という認識に変えていく必要があります。

富める者がたくさんいても問題はありません。富める者と同じように貧しい者が必要という考えは本来はあり得ません。全員が富んでいても、何も問題はないのです。でも、この地球において、その富のエネルギーを根本から変えていくためには、人間自身の意識を根本から変えていく必要があります。

富のエネルギーを想像するときに、貧しい者や貧困に喘ぐ者を想像するのではなく(自分がそういう風になったら困る、という不安を持つのではなく)、ただひたすら心が明るければ光が増していく、心が豊かなものはたくさんの富を得ることができる。ただそれだけを信じておいてほしいのです。自分の心も明るく、豊かになれば、本来は必ず豊かになれます。

それが現実化しないのは、それを信じていない証であり、貧しい者が必要という認識がどこかにあるからです。本来、貧しい者は必要ではなく、全員が富んでいても十分であり、またそういう宇宙が自然の姿であるということ。それを本当に信じて、それを具現化するようにしていっていただきたいと思います。


さて、Nさんの質問で、犬と猿についての話がありました。宇宙の流れから見た場合には、猿はある意味では人間と非常にエネルギーてきに関係の深い霊長類であり、それなりに強い繋がりをもっています。しかし、犬というのは人間とは違う種族であり、地球での役割も違っており、学ぶべきテーマがまったく違います。にもかかわらず、人間との関係はとても強いものがあります。

猿は人間と一緒に何かをするとか、人間のために何かをするという働きはしておりません。でも、エネルギー的には極めて強い共通のエネルギーがあります。犬は人間と一緒に活動したり、人間のために奉仕をしたり、お互いに協力関係をすることができます。人間からみた場合の犬はそれなりに必要で有能な動物であり、また仕込むことによって知性も高まっていきます。

猿に関しては、そういう思いを人間がもつことはありません。ある意味では猿もかなり進化しているために、逆に人間のいう通りには中々動きません。彼らなりの価値感があり、社会があり、行動すべき原則があります。したがって彼らからみた場合には、人間はある意味では仲間ではなく、自分たちの自由を束縛するものとして映っているでしょう。

さて、エネルギー的に見て右半分が犬のようなイメージ、左半分が猿のようなイメージとして話されました。これはあなた自身の心の現れがそうであり、右半分は人間関係においてほかの人に奉仕をしたり、手助けをすることによって自分の価値を認めてもらったり、役割を演じていこうとするシンボルとなっております。左は、自分はそれなりに自立した一つの存在であり、誰かから命令されたり、指示されて動くのではなく、自分から動いていくというシンボルでもあります。

そしてあなた自身の今の心の状況として、ほかの人のために何かをしたいというエネルギーと、まず自分がしっかりしなくてはいけないというエネルギーが、不完全なまま融合してきており、それによって自分自身の存在が不安定な状況に陥っております。自分という存在を確立しようとするとき、まずは自分自身が自立するということを前提にするか、それともほかの人への奉仕や手助けをすることによって自分を確立するか、それをある意味では悩んでいる状況といえます。

自分自身を確立させる。でもそれがどういう意味であるかは分からず、ほかの人への手助けや奉仕を行なうことにする。でも、そうすると自分が分からなくなってしまう。これのやり取りが行なわれております。したがって今、あなたが必要なものは、自分自身が自分の満足することを早く造り上げ、ほかの人が居ようと居まいと、まず自分は自分で自信を持って生きられるようにする。

そしてそれとは別に、ほかの人への奉仕や手助けをすることによる喜びはまた自分の一部として身に着けていく。それを自分なりにうまく完成させていくことが必要となるでしょう。今までの自分の流れの中でも、このお互いの葛藤が常に行なわれておりました。ほかの人の手助けをすると自分が分からなくなってしまう。自分のことを前提にすると、他人への思いやりが薄れてしまう。それによって常に葛藤が心の中につくられてきました。それを自分なりにうまくコントロールしながら、他人と自分をうまくもっていかせる。それを自分なりにいろいろと工夫してみる練習が必要となるでしょう。


Aムダな経験を繰り返すことはない

これからの生き方について、少し話をしておきます。自分の生き方が正しい生き方かどうか。多くの人がそれでかなり迷ったり、悩んだりする状況にあります。基本的にどのような生き方をしようとも、そこで何らかの学びが得られ、成長があれば、それは間違ってはおりません。ただ、ムダな経験をするという場合は確かに存在します。

一回で分かるべき経験でも、一回で分からずに、何度も何度も繰り返して同じ過ちをおかしてしまう。十回も二十回も繰り返して初めて理解することができた。こういう場合は、必ずしも決められていたとか、意味があったというわけではなく、ただ本人が気づかなかったために、何度も同じ経験をさせられたということです。
もし、一回で気がついていれば、次々と新しい学びへと移っていき、急速に成長を続けていくことができます。したがって気づかなければ何度も何度も同じテーマで経験が続いていきます。つまり正しいか正しくないか、という意味で言葉を選ぶのではなく、むしろそこから何を学んでいくか、どういう成長をしていくのか、そしてできるだけムダな経験を避けて効率よく成長していくやり方は何か、というところにも意識を向けていっていただきたいと思います。

これからはそういう意味で、短い経験でたくさん学べる者と、何度も同じ過ちをしてほとんど学ぶべきものが得られない者、そういった者の差がはっきりと現れてきます。そして成長する者はどんどん先へ進んでいくでしょう。

今まではそれでも十分に許されておりましたが、だんだん時間的に間に合わなくなってくると、いつまでもそれで良いんだよ、とは言えなくなる時期に入っていきます。したがってそれぞれ自分の体験について、そこで何らかの学びをし、何らかの成長が得られる生き方を身に着けるようにしていってください。


それでは今日はここまでにいたします。ありがとうございました。


(c)1998 CentralSun
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