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1998/8/31■月曜交流会から

新しい波動に向けての変化が激しくなる

@富士山は新しい波動を取り入れる入口

私たちは皆さん方の成長の仕組みをいろいろと調整している仲間と思っておいてください。皆さん方が自分が何者であり、どこから来て、どこに向かい、何を身に着けて役割を無事に終えるか、それを自分で理解し、そして納得した生活が送れるように、いろんな仕組みを造り上げております。

今日は皆さん方の活動というテーマについて、少しお話をしたいと思います。まず、先程、この日本に生まれている人は、一度は富士山に登った方が良いという話がありました。これについて少し説明をしておきます。

皆さん方が日本人として生まれるときに、いくつかの約束をして生まれてきております。その中の一つとしてこの日本におけるエネルギー的な特徴をうまく活性化させ、そしてこの地球全体にうまくエネルギーが流れていくように調整をする役割が与えられております。皆さん方にはそれぞれ自分なりの波動があり、自分にしかできない能力があり、そしてこの日本という場のエネルギーを維持するために必要な役割が与えられております。

したがって皆さん方が正常な働きを為すためには、自分自身の本来のエネルギーを目覚めさせ、そしてこの日本のエネルギーとしっかり繋がり、この地球を維持するために常に流していくという役割があります。この地球のエネルギーを維持するためには、これまでの地球のエネルギーを新たなる波動のエネルギーに変えていき、そして一人ひとりの波動も新しいものに変えていく必要があります。

富士山は宇宙からのエネルギーと地球の新しい波動をつなげる入口として用意されており、富士山を活性化させることにより新しい波動を次々と地球に流すことが可能になります。したがってまず富士山の役割を活性化させ、新たなる波動を受けやすいようにし、そしてこの地球に流していく必要があります。

日本人はまずその役割を与えられており、本来の富士山の働きを実現させるために、富士山自身の活性化を行なう必要があります。富士山自身の働きを活性化させるためには日本人の集合意識が富士山と一つになり、日本人自身が宇宙と繋がることによって富士山が宇宙と繋がっていきます。

したがってまず一人ひとりが宇宙と繋がり、そして宇宙から新たなる波動を受け入れるようにし、富士山と繋がっていくと、宇宙からの新しい波動を富士山に流すことが可能になっていきます。そういう意味において、まず自分が宇宙との繋がりをつくり、新しい波動を受け入れやすいようにし、そして自分と富士山を一つのものであるようにして意識的な繋がりをつくることにより、富士山が目覚め、活性化していき、そして新しい波動を入れていくことが可能になります。

これはある意味では日本人が行うべき役割ですが、必ずしも日本人だけという意味ではなく、どの民族がやろうとも、基本的には同じように、宇宙との繋がりをつくり、富士山と一体化して富士山に新しい波動を流すことは可能です。しかし、まず日本自身の集合意識が富士山と繋がり、集合意識が宇宙と繋がることにより、富士山が宇宙と繋がる。そういう役割は日本人に与えられた一つの働きです。そういう意味において、富士山に意識を向け、宇宙からの波動を富士山に流すということはとても意味があり、またある意味では早くそれを実現させる必要があります。

ただ新しい波動に切り替わるためにはいろんな準備があり、段階があるために、大急ぎで行なうとか、必ずしも今すぐ普通の人にお願いをするという時期ではありません。今はまず、本当に宇宙に目覚め、意欲があり、宇宙と一つになり、地球を新しい波動に変えていきたい、本当に富士山の気持ちが分かり、富士山の本来の思いを実現させたい、そういう思いを感じた人から順番に呼ばれていきます。

そういう興味のない人を無理矢理誘う必要はありません。何故か自分が呼ばれた感じがする。今、とても行きたい感じがする。どうしてもやっておきたい感じがする。そう感じた人から順番に行くようにしておいてください。


また、ここに来る機会が中々都合がうまくつかず、来れなかったという話がありました。一人ひとりの学びのテーマがあり、流れがあり、またここの場そのもののいろんな状況があります。ある意味では一人ひとりの成長を前提にしながら、ここでの毎回の成長も前提としております。

ここに何度も来ている人と、初めて来る人、たまに来る人、常にこれらの人のバランスを取る必要があります。いつも同じ顔触れだけで、新しい人があまり入ってこないと、だんだんエネルギー的に固まってしまい、また独特の雰囲気ができ上がってしまいます。そのために常に新しい人や、たまに来る人が少しでも入っているようにバランスを造っていく必要があります。

そういう関係で、実際にはここに来たいと思っても、ここのその時の状況に合わないときにはどうしても来ることができなかったり、あるいは魂自身の学びのテーマと合わないときに、ここに来れなくなる場合があります。したがってそういう時には、あえてここでうまく勉強できなかったとしても、それはそれで気にする必要は一切、ありません。

おそらくそういう時に無理矢理きたとしても、自分のテーマに合わなかったり、あるいはそこにいるメンバーのほかの人との兼ね合いで不快感を感じたりする場合のことがあります。したがってここに来れないときには、それが一番の状況であり、それによってまた自分は良い経験ができたと素直に現実を受け入れるようにしていってください。


それでは今日は少し別の観点からお話をしていきます。今、皆さん方の身の回りにおいても、いろんな変化が起こ始め、ニュースなどでもかなり動きが速い状況になってきております。これはある意味では、宇宙での流れに沿った動きでもあり、またある意味では多くの人間が招いた状況でもあります。

宇宙での流れというのは、あくまでも新しい波動の世界に向け、もうこれ以上、皆さん方のペースに合わせることができなくなっており、人間のペースではなく、宇宙のペースで進めていくように方針が変えられ、そのためにどんどん変化を早めていき、そのために付いていけない人はもう仕方がないという状況で、付いてこれる者だけをうまく進んでいけるように仕組みが変えられていきます。

また、一方、人間の一部の人にはこういう現象を望んでいる者がおり、それによって事態を余計に複雑にしたり、自ら招いている人たちもおります。一般に、現実を否定したり、不安を抱えたり、またこういう事態を待ち望んでいる者には次々といろんな現象が押し寄せてきます。

社会がそういう風にいろんな状況に変化していきます。でも皆さん方から見たときに、いろんな疑問が沸いてくるでしょう。ではそこにいた地域の人々は皆、同じ意識だったのかと。そこにいた人たちは皆、同じエネルギーだったのかと。そういう疑問が沸いてくることでしょう。

今日は少し、そういうテーマについて、説明をしていきます。一般に、大自然の災害といったものによって多くの人が犠牲に遭ったり、一度に同じ被害を被る場合、これはある意味では宇宙で状況がつくられており、したがってそれぞれの魂はそういう状況になることをはじめから理解しております。

一見、同じように災害に遭っているように見えても、一人ひとりを見ていけば、そこに繰り広げられる現実はまったく固有のものとなります。必ずしもすべての人が同じ状況にあって、同じつらさを演じるわけではなく、一人ひとりは自分の現実の中で流れていきます。

そこで体験する感情的なものや心理的なもの、不安、これは一人ひとりまったく個別であり、何も苦痛を感じない人がいれば、ひたすら苦痛を味わう人、不安ばかりの人、ほとんど訳の分からないうちにいつの間にか状況が改善されている人、一人ひとりまったく固有のものとなります。

したがって皆さん方の観点から見ると、全員が同じ被害に遭ったり、全員が同じ苦しみを味わったかのように見えるかもしれませんが、実際には一人ひとりまったく違う経験をしており、そういう意味においてはそういう災害があろうとなかろうとほとんど事情は変わりません。たまたまそういう日に、自分が必要な経験をしているということであり、一人ひとりの観点から見た場合にはまったく個別のものとなります。

そしてそれはこの場合に限らず、これからも常にそうであり、一見、テレビや新聞から見た場合には多くの人が同じように犠牲に遭ったり、災害に遭ったりしているかのように報道されますが、そこで繰り広げられている一人ひとりの体験はまったく個別であり、それはその人だけの現実となります。

たまたま助かる人、ほとんど何の影響もなく助かっている人、一瞬の内に命をなくす人、苦しみの継続の中で亡くなる人、一人ひとりまったく個別の状況がやってきます。そしてそれはそういう事態があろうとなかろうと、いずれは経験すべきエネルギーとしてその人が持っていたものです。

したがって単に全員が同じように苦しみに遭い、同じつらさを経験しているという風には理解しないで、そういう分類とは個別に一人ひとりは自分のテーマに従って経験を重ねているということ、そういう観点で流れを見るようにしていってください。


一人ひとりはそうやって個別に人間を見ていき、流れを見ていき、現象を理解していきます。そうすることにより、人間についての見方が少しずつ変化していき、最終的には一人ひとり個別の現象があり、その人にだけ必要な経験が現れてくるということ。その人だけの固有の経験を一人ひとりがしているということ。その理解が深まってきます。

同じように、自分は自分に必要な経験だけしかやってこないということ。自分は自分にとって必要な経験だけが常にやってくるということ。それが理解されると、別に災害がやってこようがやってこまいが関係なしに、自分は必要な経験だけを続けることに理解が深まってきます。

そうすると、恐れや不安はほとんどなくなってきます。仮に地震があったとしても、まったく何の影響も受けずに助かる人がいれば、たまたま運が悪く、一瞬に亡くなる人もいるでしょう。それは周りから見れば、たまたま災難に遭ったり、偶然助かったかのように思えるかもしれません。でも、基本的には必要な人に必要な経験が与えられているだけであり、自分が死ぬ時期にきていないときには何があろうとも、命を亡くすことはありません。

およそ、こういう学びをしている人の中で、魂とエネルギー的な調整を何度も行ない、確実に生きるという意思を持っている人はこれらの災難で命を亡くすことはほとんどありません。何度も新しいエネルギーを受け取っている人は、新しい時代に確実に進んでいき、新しい時代がくるまでに命を亡くすということはまずあり得ないと思っておいてください。

ただ、だからといって苦しみや悲しみをまったく経験しないという意味ではありません。自分なりに必要な経験は残っており、場合によっては事故に巻き込まれたり、病に陥ったりする人もいるでしょう。でも、それは元々、その人が経験すべきものとして造られていたものであり、いずれは自分がそういう状況にあるという前提で生まれてきました。

ただ自分がその経験をする以前にエネルギー的な変化を早め、そういう経験をしなくても十分に愛や慈悲を身に着け、癒しも終えた人はその経験のエネルギーを修正される可能性はあります。それは一人ひとり個別の事情によって修正されるために、必ずしも一般論でいうことはできません。しかし人によってはそういう調整が行なわれ、苦しい経験をしなくとも済む人がいるでしょう。

ただ地球自身が経験すべきエネルギーとして残しているものがたくさんあり、それは誰かが演じる必要があります。それを演じていくことにより、エネルギーが少しずつ解放されていきます。本来はそういう経験をしなくても、そのエネルギーが解放されるのが望ましいのですが、今の状況においてはそれを人間が経験しないと解放することができない状況になっており、その意味において人間皆でその経験をしていっていただく必要があります。

ただいつかの時点で、もうそういう経験をする必要がなくなり、それぞれがそれ以上に愛や慈悲を身に着けた場合にはそれらのエネルギーをあえて経験することなく、この地球から手放すことが可能にもなるでしょう。それは一人ひとりの意識の成長に依存しており、皆さん方自身の成長と関係があります。一人ひとりがそういう意味において、もう不要な経験をあえてしないように、これ以上つらい経験をあえて選択していかないように、それを心掛けていただけるのを望んでおります。


A物事の流れが複雑になってきて単純には説明できなくなる

さて、この日本において、少しずつ変化が始まり、いずれはより多くの地域においてもいろんな状況が起こることになるでしょう。その時に一人ひとりが本当に大きな観点から流れをみていっていただきたいと思います。今まではある意味ではいろんな状況が起こっても、非常に分かりやすい流れで見ることができ、その学ぶべきテーマや理解すべきことも単純なレベルで認識することができました。

これからはそういう単純な図式では説明が難しくなり、より複雑にいろんな観点から眺めないと、その意味が分からないことがたくさん出てきます。いろんな事件にしても、単純な動機や単純な心理状態で事件が起こるという図式ではなくなってきて、いろんな複雑な観点から起こったり、計画的なものと偶然性、突発性的なもの、そういったものの組み合わせによって事件が起こったりします。

したがってその解明にしても非常に時間がかかるケースが増えてくるでしょう。そういったところを皆さん方もいろいろと考え、人間という存在のエネルギーの複雑さ、集合意識が招く現実の多様さ、民族性や地域性のもつエネルギーの複雑さ、自分の意思とカルマ的なもの、そういったものの総合的なものによって物事を見ていくということがかなり必要になってきます。

そしてそれは自分にも当てはまります。生き方そのものが単純ではなくなってきて、人間との付き合い方にしても単純な思いだけではうまくいかないケースが増えてきます。今までは、あの人にはいつもこのように接していた、それでうまくいっていた。ところがある時を境にそういう図式では成り立たなくなり、もっといろんなことを考えてうまく対処してあげないと、関係の維持が難しくなってくる。

単純に仲を良くしようと思ってもそのやり方が非常に複雑になってくる。でもいろんなことを考えていくと、また複雑になってくるために、余計にお互いの関係が難しくなってくる。ではどのようにしたらうまくいくのか。何も考えないと、余計に感情的にぶつかり合ったり、考えてもまたぶつかり合ったり、いろんなことが起こってきます。

そういう状況の中で人間関係をうまくやるためには、最低限、何を考えたらよいのか。どういう考えで接していったらよいのか。そういったことがかなり大切になってきます。今、繰り広げられているいろんな事件やトラブルにしても、単純な流れではなく、いろんな見方や考え方、人間の心理の複雑さ、計画的なこと、意図的なこと、偶然的なこと、突発的なこと、これらの組み合わせによって一つひとつの事態が非常に解明しにくいものになっていきます。そこから一人ひとりが何を学んでいくか。自分はどういう接し方で相手と関係していくか。そういったことを本当に学ぶようにしていってください。


B早めに自分の生き方を変えていく

今、話されたように、一人ひとりの人間関係や接し方、家庭や会社における対応の仕方がまたかなり複雑なものになっていくでしょう。今までの単純なやり方が通用しなくなってきたり、今まで当たり前、常識と思ってきたことが成り立たなくなってきます。それをもって相手を責めたり、周りをおかしいとすること自体が通用しなくなっていきます。

相手を非難するよりも先に自分の生き方を変えていく。自分の行動の仕方、発想の仕方をうまく変えていく。これが必要になってきます。できれば、後になって混乱するよりも、先に先に自分が対処していく。世の中の流れを見ながら、先に自分の方からうまくいくやり方を考えていく。そういう方法によってうまくこういう時代を乗り切っていく方法を身に着けていくようにしていってください。


まずここで私たちは休憩をとります。それではありがとうございました。


C怒りは自分が否定されることから始まる

私たちは少し感情について説明をしてから次にいきます。感情の克服というのがテーマにあがり、皆さん方が日常の中でいろいろと苦心を為されていることがよく分かりました。今の普通の人間のレベルでは感情を完全にコントロールするということはかなり難しい状況にあります。そもそも感情をコントロールするできたとして、皆さん方がそれで十分に満足するかどうかも実は保証ができません。なぜならば、感情的な流れの中で喜びを分かち合うことが今のテーマにもなっているからです。

嬉しいときや楽しいときに限らず、悲しいとき、つらいとき、お互いに分かち合ったり、慰め合ったり、話を聞いたりして一体感を深めていく。これも感情の一つにあるからです。一体感を感じないうちに、感情をコントロールできたとして、その人が本当に無事に成長できたかどうかは実は保証ができません。

私たちからすれば、まず相手のいろんな思いを感じて共に泣き、共に苦しみ、共に喜んで一体感を感じたり、つらさを感じたりして、そしてよい解決策をお互いに造り出したり、見い出して日常で試していく。それの繰り返しによって良い感情の表現の仕方を身に着けていく。

そして少しずつ少しずつ、どのような人間に対してでもお互いに問題がなく、相手を認めながら、自分も成長していける人生の送り方をつかんでいく。それ自体に意味があります。したがって感情的な問題や不快感が起こるということ自体にあまり意識を向けずに、それを悪いことと思わないで、日常を経験していただきたいと思います。

一般に、どうしても許せない場合とか、怒りが込み上げてくる、我慢できないという経験は誰にでもあります。またそういう感情が湧き起こったからといって、宇宙から見放されるとか、私たちから悪い点数が付けられるということはほとんどありません感情的に問題を起こしたからと言って、それで地球から追い出されるということはほとんどありません。

地球が一番困るのは、その人自身の行動の基準が何であるのかが違っている場合です。本当に自分のエゴのためだけに感情を使っているのか、それとも相手を理解しようとして、素直になろうとして悲しくなったり恐れたり、不安を感じたり、いろんな状況が起こっているのか。

少なくとも、何とかしてうまくもっていきたい、何とか相手のために尽くしてあげたい、そう思いながらも怒りが込み上げてきたり、不快感を感じるという場合、それ自体は何も問題はありません。では一般的な感情の処理の仕方として、不快感や怒り、どうしても我慢できない感情が湧き起こったときに、どのようにして克服していくか。

まず自分が怒りを感じたときに、自分は何に対して怒っているのか、自分はどういう感情で怒りというものを感じたのか、素直にそれを見つけていく練習が必要となります。一般に怒りは自分の思う通りにいかなかった場合、自分が信じている信念とは別のやり方で相手が行動した場合、つまり自分が否定されたときに怒りを感じます。

自分が否定されると自分のすべてが否定されたように感じ、それによって違和感が起こり、不快感が募り、怒りに発展していきます。そこで学ぶべきものは、自分が否定されたときでも、それはその人自身が自分を否定しているだけであり、自分そのものは自分が否定しない限り、否定されることはありません。

いくら相手が自分を否定しても、それは相手自身の問題であり、自分は明確に存在しております。自分がそれに対して怒りを感じる場合、自分に対しての愛がまだ少ない証となります。自分はこれで良いんだ、自分は十分に自分を認めている、そういう思いがないために、ほかの人からそれを認めてもらい証明してもらおうとして、ほかの人が自分を認めてくれるように期待をします。その期待が外れたときに、自分を否定した相手に対して自分は怒りを込み上げてきます。

自分が自分をしっかり認め、自分を愛していると、自分は否定されても、自分は怒りを感じません。したがって自分が否定されて怒りを感じた場合、まだ自分は自分を愛していないということをまず理解するようにしていってください。


D魂を人間的な形態で考えないように

さて、それでは少しこれからについてお話をいたします。一人ひとりの成長と魂についての質問がありました。皆さん方の魂という表現をとる場合に、一人ひとりいろんな概念があり、一人ひとりがまったく違う感覚を持っております。人間的に魂を考えている人がいれば、まったく別の自分を魂のように感じていたり、あるいは単に自分を動かしている、何かコントロールセンターのようなものを魂のように捉えている人もおります。

実際には私たちの世界からみると、皆さん方の肉体は基本的には存在しておりません。そう思わせる仕組みが創られており、魂はそう思わせる仕組みを使って学びを重ねております。一人ひとりは実際には魂が経験している世界で、仮に造られた現実を体験しており、そしてそこで学んだことを魂に送り届けております。したがって皆さん方の姿は本来の魂とはまったく違っており、ほとんど共通点はありません。

ただそういう経験を指示しており、その場を造り、いろいろと動かしている大元が魂といえます。しかしどうしても皆さん方の認識できる範囲内で魂を捉えようとすると、ある意味では人間的な感情を持った存在に映ったり、いろいろと考えながら行動する人間のように思えたりするでしょう。

それは比喩的に見ればある意味では良いかもしれませんが、実際には皆さん方はあくまでもこの現実を体験するためにつくられた肉体を使っているだけであり、それは魂の現れとは違います。魂を創造する場合には形や頭で認識できるもので把握しようとせずに、もっと別の種類のもの、それは思いの原点となるようなもの、自分をもっと本質的なところから眺めて動かしている思いの本質となるようなもの、そういう風にとらえていただくしか、方法はありません。あくまでも形式的なものや物質的な感覚ではとらえないようにしておいてください。

ただ、いずれにしても皆さん方それぞれは魂を通して現実がつくられ、学びを重ね、そして人間関係をつくっております。こういう状況をつくったものが魂であり、その思いの中で経験を進めております。魂と一つになる。これはある意味ではその本質的な思いを自分の思いとして感じることであり、自分勝手な生き方から魂の思いを受け取る生き方に変わっていくことを言います。

したがって魂と一体化をしたからといって魂の姿が見えるとか、魂の形が分かるということには繋がりません。単に思いが繋がっていて、自分はその現れである、そういう感覚が分かるだけです。自分はどのように成長しても魂というものを見ることはできません。

皆さん方の意識が成長していき、いろんな波動やいろんな人間との繋がりを深めていくと、ほかの人の内面的なものやその中に秘められているとても不思議なものに出会う場合があります。はじめはそれがよく分からない状況にあっても、その見方が段々理解されていき、分かってくると、どのような人にもその内面に素晴らしい光を放つものがあることが分かってきます。

そして肉体をまとった人間はその表現形態の一つであり、その思いが現れたものであるというのが理解されてきます。そうすると、その人の内面の輝きと、今形作っている肉体との関係が少しずつ理解されてきます。それを当て嵌めて自分の場合はどうなのか、つまり自分も何らかの内面の輝きの現れに過ぎないというのが分かってきます。その内面の輝きは決して人間的なものではなく、俗物的なものではなく、単なる輝きを持った存在であることしか分かりません。

そしてその内面の輝きをいろんな人の存在にも見られるようになってくると、またその素晴らしさにいろいろと意識が向いていきます。そこにだいぶ意識が向いてくると、肉体をまとった人間はそれぞれ単に経験のためにつくられた形に過ぎず、その内面の光とは必ずしも直結しないことが分かってきます。

単に経験のために一時的につくられたものであり、内面の光のすべてではまったくありません。本当にその一部だけをたまたま現しているにすぎないのです。そうすると自分も内面の光のホンの一部だけに過ぎず、決して魂を代表しているわけではないということ。それが次第に分かってきます。

そういう経験を繰り返していき、その人の内面と、現れとなっている肉体、この関係を理解していき、自分に当てはめていくことによって、自分は何者であるかが理解されていくでしょう。魂を考えるときに、必ずしも肉体から先に考えるのではなく、もっと本質的なものから先に考えるようにしていってください。


E不安ではなく面白いものを見つける努力を

これからの人生においても、人間関係が前提であり、いろんな人間と出会うことによる感情がテーマになるでしょう。決してそれを苦痛と思わずに、むしろ楽しんでいけるやり方を何とか身に着けてください。どうしても初めからうまくいくことを前提にするために、うまくいかなかった場合の不安や恐れ、あるいは自分に対しての心配がたくさん湧き起こってきます。

それによっていろんな悲しみや苦痛が増幅されてしまいます。うまくいかなかったときの状況を考えるよりも、先にこの人はどういう人間であるのか、どういう喜びを持っているのか、どういう価値観で生きているのか、なるべくその人の生き方を理解し、それを少しでも自分に良い影響を与えるものとして受け入れるようにしていってください。

そうやって一人ひとりの関係を初めから良いことを前提として造り上げていくと、人間関係は本当に改善されていきます。ほとんどは初めからある不安や恐れから感情が複雑になっていきます。それは無意識のうちに造られた感情であり、小さいころから皆さん方は身に着けております。思う通りにいかない、言うことを聞いてくれない、突然何を言い出すか分からない、こういった不安によって初めから心配が増幅されるようにつくられております。

したがってそういう不安を初めからもつことなしに、むしろ一人ひとりまったく違う価値観があり、良いところがあり、面白いものをもち、自分に役に立つものを持っている、それを少しでも調べて自分のものにしていく、それを前提にしていくと、人間関係がかなり改善されていきます。

はじめは仲の良い友達や比較的好感の持てる人から練習をしていきながら、いずれは初めての人や見知らぬ人に対してもそういう意識で接していくことができるように、一人ひとりが練習をしてみてください。

感情的な問題はいつまでも続きますが、それをいちいち不快に思ったり、自分を責めたり、罪悪感にとらわれることなく、そのままそれを良い経験として受け入れていきながら、自分の成長のために役立たせるように発想を変えていってください。

それでは今日はここまでにいたします。ありがとうございました。


(c)1998 CentralSun
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