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1998/12/19■月例セミナー[宇宙キリスト意識@]から

キリスト意識は永遠性の本質からきている

@永遠を忘れたとき迷いが生じる

私たちは皆さん方のご要望にお応えして、キリストの仲間たちを集めてきました。この地球という惑星において、人類が新たなる波動に入ろうとしている段階にあります。私たちは皆さん方の意識が少しでも本来の自分に見合ったレベルにまで成長できるようにお話をしたいと思います。人間は私たちとは違う種類の妨害によってこれまでいろんな苦難を経験してきました。中には確かに必要な経験があったことは認めます。しかしすべてが必要性があってつくられたというものではありません。

私たち自身が地球人に理解してもらいたかったのは、この地球で自分が生きていくときに、本当に自分が命を投げ出しても自分は何も不満を思うことなく満足して帰ってくることができるのかどうか。この地球のために自分の身を尽くし、自分自身の力を少しでも愛の力で輝かせ、ほかの人間が逞しくなるように、生きていく強さを身に着けるように。人間は自分のやっていることがまだ分からず、自分がどこを歩いているのかも分からず、ただ目先のことばかりにとらわれております。

自分の今日一日のことばかりにとらわれ、永遠の命を見失ってしまい、自分が何のために生きているのかすらも分からなくなっております。しかしもうその思いは地球から離れていきます。皆さん方は永遠に生きる者として私たちの仲間に入っていきます。私たちは永遠に生きます。それゆえに命を投げ出すことができるのです。命を惜しむものは永遠には生きられません。自分の身を犠牲にしてでもあの人を救いたい。早く立ち直ってほしい。そう思うときがあるでしょう。

本当に心から何とか自分を犠牲にしてでもその人のために身を犠牲にしたい。これは永遠に生きる者にとってはごく当たり前のことです。永遠に生きている者は命を惜しむことはありません。でも皆さん方は命が大切であり、ほかに人のために自分の身を投げ出すというのはおかしいと思うかもしれません。自分の生き方が分かっていない者、自分がどうなるのかがまったく分かっていない者、こういう者にとっては自分自身の生き方を援助してくれたり、アドバイスしてくれる者をとても頼もしく思います。迷っているときに、すべてを知っている者に出会ったような感覚を受けるでしょう。

今の多くの地球人は迷っており、自分が何者か分からず、どこに向かうのかも分かっておりません。そういう人々は置いてきぼりにされて当然なのでしょうか。皆さん方はそれをカルマの所為とか、その人の能力だとか言って切り捨てていくのでしょうか。皆さん方がそういう人々よりもホンのわずかでも分かっているという自負があるならば、それだけ責任がわいてきます。迷っている者を迷いから救い出すという責任が伴うのです。でもどうせ言うことを聞いてくれないだろう、向こうだって望んではいないかもしれない、その人の選択なんだから。こう解釈するかもしれません。

確かにその人が皆さん方のアドバイスを受け取るかどうかはその人の自由です。でもそれは皆さん方からは与えられる言葉によっていくらでも変わります。理屈を先に口に出したり、変な教えを伝えようとするから相手が否定をしてしまうのです。悩んでいるときに、分かっている人を紹介したり、どこへ行けばよいということを教えるのは本当の教えではありません。その人が何処へ迷子になっているのだろう、その人が行くべき道はどこなのだろう。それを一生懸命、探り出す必要があります。自分はそこまでするのは面倒臭い、そこまでは関与したくない、結局それがその人の本心であり、自分も相手と同じレベルなのです。

自分の信じているものは相手を本当に幸福にできるのだろうか。キリスト意識が一人ひとりに目覚め、その強さを増していくと、相手が苦しんだり悩んでいる状態でも、お互いに何とかして抜け出せる方法を工夫していきます。どうせその人の問題なんだから、どうせ自分で作ったテーマなんだから、と切り捨てているうちは本当の愛は目覚めてきません。自分の心の中に本当に人を大切にしようという思いがどれだけ入り込んでいるか。私たちは一人ひとりの心をよく見ているときに、まだまだ本当のキリストの思いが理解できないというのが分かってきます。

イエスはなぜ磔になったのか。確かに肉体人間としては苦痛があり、怒りもある。とても許せる状態にはありませんでした。にもかかわらず、自ら十字架を背負い、人々の前で長い道を歩き、ゴルゴダの地にまで進んでいきました。なぜ逃げなかったのか。イエスは心の中でいつも考えておりました。いくら自分が、一人ひとりが神の子であるということを口に出しても、それを分かる者がほとんどいない。私は自分が神の子だということを知っている。神は私を通して人類に神の姿を現そうとしていた。神を磔にする者、一体何を喜びとしているのだろう。

神は自らが人間を通して現れたものであり、人間が神となるためにどうしても克服せねばならない大きな大きなテーマを抱えておりました。人間は磔にされた神を見てどう思うのか。ある者は復活を願い、ある者は奇跡を願い、ある者は悲しみを覚え、誰一人心の底から本当に喜びを感じている者はいなかった。多くの者が奇跡を信じていた。しかし奇跡は現れなかった。イエスは人間としての死を迎え、人々の心の中から希望が消えていった。人々の心に何が残ったのであろう。誰が満足したのであろう。

イエスは確実に神を表していた。永遠の生命を信じていた。だから自らが磔にされようとも、自分は永遠だというのが分かっていた。しかし人々はそれを理解できなかった。イエスは死に、神はいなくなり、希望は失せたと人々は信じた。多くの人間が奇跡を目にすることができず、その場から去っていった。神は奇跡を望んではいない。しかし神は奇跡を行なっていた。イエスが確実に再び現れることができるように、人々の前に姿を見せることができるように、奇跡を創っていた。イエスは再び現れ出て、永遠の生命を証明した。それで初めて仲間がイエスを神と信じ、イエスの教えを残すことにした。

もしイエスが現れ出なかったら、おそらくイエスは誰の記憶にも残らなかったかもしれない。弟子たちは皆、解散し、自分の家に戻っただろう。家族も皆、忘れてしまい、普通の家に戻っただろう。イエスの復活はイエスの智慧を残すためにつくられた奇跡である。しかしそれによって人類がどれだけ人を思い、いたわる気持ちを身に着けたのか。永遠の生命を理解できたのであろうか。永遠の生命を理解している者は命に執着はしない。しかし相手の命を奪おうとも思わない。今、生きていることの大切さが分かるから。

これからの時代において、一人ひとりがキリスト意識を身に着け、新たなる波動で生きていくときに、自分は永遠を生きているという実感が湧いているかどうか。命を投げ出すというときに執着をなくすことができるかどうか。キリスト意識の大元は改めて皆にいろんな気づきを与えようとしている。一人ひとりが自分のために自分の命を投げ出す。その意味が分かるかどうか。いずれやってくるいろんな変化においても、永遠の中で考えた場合に、自分にとって本当に必要なものだけが目に見えてくる。永遠を信じていないために、執着したり、迷ったり、混乱していることが多い。自分は永遠の中で活動し、生きている。それを理解したときにキリスト意識と一つになるだろう。


魂に秘められた永遠の生命を今、感じてほしい。魂がどういう気持ちで一人ひとりを見ていたか、それが分かってくるだろう。


A永遠の流れ

さてキリスト意識が皆さん方と繋がりをつくり、永遠なる流れの中で皆さん方が浮かび上がってきました。今まで永遠という流れで自分を見てこれたかどうか。三次元の惑わしにごまかされず、自分は永遠に生きている。それを早く身に着けてほしいと思っている。皆さん方の波動を少しずつ高めていき、今日、帰るころにはかなりのキリスト意識と一体化しているように波動を調節していってください。ここで少し休憩をとります。ありがとうございました。


B自分のキリスト意識で自分を救う

私たちはここの場において本当に一人ひとりにキリスト意識を完成させていただきたいと思っている。キリスト意識は一人ひとりの内なる光として創られていきます。人を思う気持ち、人に尽くす気持ちが創られてから、心に宿っていきます。一人ひとりの心に宿ってきたキリスト意識はいずれ自分の心の中に大きな光となり、迷っている者に救いの手を出し、混乱している者に手を差し伸べ、自分は人々の心を温かく温かく見守ることによって自分の喜びが現れてきます。Yukiさんのキリスト意識。あなたの輝きが少しずつ宇宙にも現れてきます。キリストは常にあなたに優しく語りかけ、自分を責めることなく、人々を楽にさせるように使える工夫を与えていきます。あなたの内なるキリストは今、生まれようとしています。自分を愛し、自分を大切にするのと同じように、ほかの人も大切にしていくように。キリストは永遠です。あなたの心にキリストが目覚めました。


キリストは人間とつながることにより、キリスト意識も成長し、宇宙全体に大きな影響を与えることができます。キリスト意識が心に芽生え、心を通じて人々に現れ出てくると、お互いのキリスト意識の目覚めがさらに早くなります。Yoshiさんの体にこびりついてしまったもの、自らの輝きを打ち消したもの、それを解放してくれるのもほかの者のキリスト意識です。キリストはあなたの心を通じて優しさを表現するでしょう。あなたはほかの人のキリスト意識を通じて成長していくでしょう。キリストの仲間となって、自らの成長を続けていくように。


キリストはあなたの体をもって努力することを表していくでしょう。あなたの心を輝かせる者、元に戻す者はキリスト意識を持った努力、自分が努力することにより自分が生きていく。自分が永遠であるために努力する。あなたはそれを身に着けてしまっています。キリスト意識はあなたの心に合わせて現れてきます。自分が好きだから、自分が満足するから、自分のために頑張る。あなたはそれによって自らのキリスト意識を活性化させます。あなたのキリスト意識で自分の心を救ってください。


キリスト意識はあなたの体の中にあなただけにしか表すことのできないエネルギーを創り出しました。Akeさんの体の中に自分が生きるために、自分が永遠であるために、創り出した波動があります。自分は自分の体を通して永遠を確認します。あなたの心の中に自分を見失っていたものがありました。今、それが元に戻されようとしており、永遠の中に生きようとしております。自分がやってきたことの意味が少しずつ理解され、永遠の流れが見えてきます。自分は自分であるために、自分の心を操作しました。そして自分であるためにまた戻ってきました。あなたの中にキリスト意識が動き出し、永遠の中にあなたが位置するでしょう。


Hiroさんの大きな大きなハートの中に、キリスト意識が目を開けようとしている。自分は本当に何をしようとしていたのか、何が大切だったのか。今、なぜ自分はここにいるのか。キリスト意識の目覚めにより、あなたのハートが目覚めてきます。あなたはキリスト意識のエネルギーをかなり多く取り込んできました。自分ではそれを表には出してはいませんでした。これからはあなたのハートから自然と輝き出してあなたの行動と共に動いていくでしょう。何とかしたいという気持ち、これはキリスト意識です。自分のキリスト意識をもっともっと高め、自分の思いと共に行動できるように練習をしていくようにしていってください。


Kenさんのキリスト意識、あなたを救い出したのは紛れもないキリスト意識でした。闇の中でもがき、方向が分からず、迷っていたあなたを救い出したのはキリスト意識でした。今度はあなたの番です。ほかの迷える者、見失っている者をキリスト意識の中に連れてきてください。キリスト意識は確実に目覚め、成長し、広がっていきます。自分が永遠という思いを持っている限り、キリスト意識は常に発動されます。迷える者、混乱する者に光を当て、永遠の中に連れてきてください。


さて、キリスト意識の意味が難しかったかもしれません。永遠であるということは物質的な執着や時間的な束縛を受けることなく、ただ存在しているということ。キリスト意識は自らが永遠であるというのを知っております。迷っている者は自らが永遠であるというのを理解していないのです。そのためにキリスト意識の光を与え、永遠であるということを教えていきます。永遠である者。一人ひとりの心の中で永遠のものは何であるのか。思うことは、感ずることは永遠であるのか。肉体は永遠ではありません。感情も永遠ではありません。何が永遠であるのか。


C迷っている者がいる限りイエスは現れる

イエスとして最後にお話をいたします。私は人間的なイメージで理解され、またそれに合わせてきました。でもできればあくまでも皆さん方と同じキリスト意識であり、皆さん方の輝きと同じであり、皆さん方と共に常に居ると理解してほしいのです。皆さん方が迷っているとき、誰かに助けてほしいと思っているとき、私は確実に現れていくでしょう。もうキリスト意識で皆さんは私と確実につながっているからです。皆さん方が迷っていれば、私はすぐにいくでしょう。しかし皆さん方も同じように、ほかの人が迷っているとき、ほかの人が悩んでいるとき、光を当ててみる必要があります。少しでもその人の心が癒され、キリスト意識に目覚めることができるように光を当てていくのです。その人のキリスト意識が目覚めれば、私はその人にも出会うことができます。

キリスト意識はその人がただ存在しているというのを理解させるためにつられたものです。そのために自分を見失っている者が居ると、私たちが何らかの奉仕をしたいと自動的に動き出すのです。見失っている者、混乱している者、彼らがキリスト意識を呼んでいきます。皆さんもキリスト意識の現れとして、もう自らも迷うことなく、他の者の迷いや不安を取り除いていけるように、共に生きていってください。

私たちは永遠にあなた方と共にあります。あなた方とともに成長していくでしょう。イエスとして皆さん方に愛されたことをとても嬉しく思います。私は見失っている人間がいる限り、地球で役割を演じていくでしょう。一人ひとりキリスト意識に目覚め、迷っている者がいなくなるまで役割を演ずるようにしていってください。


それでは少し、調節をして終わりにいたします。

それではキリスト意識と共にこれからの活動を良いものにしていってください。ありがとうございました。


(c)1998 CentralSun
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