前へ戻る
1998/12/26■土曜瞑想会から

学びが少しずつ高度になっていく

@キリスト意識とつながる瞑想

私たちは今の瞑想を準備していた仲間たちです。キリスト意識と一つになり、目覚め、成長していく段階に応じて一人ひとりに相応しい波動が届けられておりました。キリスト意識が日本人には馴染みのなかった波動のように思われております。確かに名前は馴染みがないかもしれません。でもその本質的なところは日本にもかなり現れており、むしろ日本人には自分を犠牲にしてでも全体のためにうまくやるとか、もっていかせるという思いが残っております。全体がうまくいくために自分はつらいことを選んだり、我慢したりする。これはキリスト意識の一つの面を表しております。

ただ最近、全体よりは自分を大切にする、全体はどうでも良いから自分のことだけを考える。こういう波動が少しずつ大きくなってきており、それと共にキリスト意識の現れも変化してきております。キリスト意識は自分の心から相手を何とかして救ってあげる。その人の目覚めのために何とか自分を使っていく。そういう思いがあります。でも若い人たちにとってはそれは意味のないものになりつつあり、キリスト意識の現れも変化してきております。自分を犠牲にするというよりは、自分をうまく使いこなし、自分はただ犠牲になったり、ただ合わせるのではなく、自分を最低限しっかり守るという範囲内で相手に尽くすように変わってきております。

これはこれで意味があり、大人が作り上げてきた、完全に自分を犠牲にしてでも会社に尽くすとか、家庭に尽くすとかいう波動とはまったく違うものになってきております。一人ひとり生き方がまったく違い、必要な経験が違っております。したがってどれがよく、どれが間違っているかという観点ではなく、あくまでも自分はどうだと安心するのか、自分が望んでいるものは何であるのか、常にそれを見失わないようにすることが大切となります。今日、行なわれたキリスト意識も、それぞれの部屋において皆さん方との繋がりをうまくつくり、ずっとこれからもつながっていたいという思いがたくさんありました。

キリスト意識はどのような形にでも変わることができ、自分の体をうまく使いこなすかどうかで現れ方も変わってきます。したがって自分がキリスト意識に目覚めるということは日常の言動の中でいかに自分が何気なく救いの手をうまく出していくか。救いを求める者にうまく手を差し延べ、うまく助け出していけるか。一人ひとりの価値観と判断がだんだん大切になっていきます。今まではあまり難しく考えなくてもある程度うまく過ごすことができました。でも少しずつ、皆さん方はいろんなことを考えて行動する時期に入っていきます。ただ考えたふりをしたり、楽をしようとして適当にやるのではなく、本当に考えていろんな状況を進めていくことが大切になります。

こういうキリスト意識の瞑想の練習はいつやっても効果があります。その都度、新たな波動のエネルギーがやってきて、一人ひとりに一番適切な処置が行なわれていきます。これはその人の考え方や言動にも大きな影響を与える場合があります。したがってこれからも自分のペースで自分なりに瞑想をいろいろやってみてキリスト意識としっかりつながっていく。繋がりを造っていくという考え方で進めていけるようにしてみてください。


これまで以上にだんだん瞑想やほかの学びが高度なものに変わっていきます。今までとは同じやり方がだんだん通用しなくなり、波動の高いもの、あるいは精妙なレベルに応じてやり方も変化していきます。したがって来年からでもいろんな瞑想会や勉強会においてどんどん精妙になっていき、感じ方や使い方も高度なものに変わっていくというのをまずしっかり理解しておいてください。これからはただ漫然とやっていたり、漠然とやっていては感じられないものがたくさん現れてくるものと思われます。しっかりとそこでエネルギーを読む、しっかりと感じる、しっかりと瞑想していく、こういう心構えが大切になってきます。自分自身をしっかりと持った上でいろんな仲間たちと一緒に真の学びができるように工夫をしてみてください。


私たちはここまでにしておきます。ありがとうございました。


(c)1998 CentralSun
前へ戻る