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1999/2/1■月曜交流会

自分の存在価値をどう考えているか

@人は何のために生きているのか

私たちは今、ここの場において皆さん方の波動を見ながら、これからいろんな話を進めてみたいと思います。これまではいろんな存在からメッセージをいただき、皆さん方がそれに対していろんな話をし、それについてまたアドバイスを与えるというやり方が進められてきました。今日は私たちがいろいろと進行をしていきたいと思います。

皆さん方は話を聞くときに、何か偉い人から話があり、それを一生懸命聞いて、自分のためになるところを探し、そして自分の人生に活かせるように解釈して、帰るという流れができておりました。それはそれで一人ひとりに大きな成長をもたらし、中には急速に意識的な変化を遂げた人もおります。エネルギー的にもいろんなエネルギーを受け取り、もう普通の人間とはかなり違うぐらいに新たなる波動を身に着けている人もおります。

これからの時代に向けて、もうそういう学びも一段落し、皆さん方にしかできない新たなる学びの方向へと変わろうとしております。情報をもらったり、エネルギー的な調整をするという段階が一段落し、次の段階へと進んでいくのです。皆さん方はそのために、自分はどのようにして光と接し、具現化し、歩いていくか、そこにもっともっと意識を向けることになるでしょう。

何かを教えてもらうとか、与えてもらうのではなく、もうすでに自分は光であり、すべてを手にしており、すべてが分かっており、あえてもらうものや受け取るものはほとんどなくなっている。そういう出発点に立つ時期に入っております。すべてが与えられ、すべてを手にし、すべてが分かっている状態で、どういう出発点なのだろう。今日は主に、そこについての話をしていきます。

すべてが分かって、すべてを手にして、どこに向かうのか。Tさんはどこへ向かうと思いますか。

(Tさん) 周りの人にしてあげられることと、自分のしたいことが一致するようになったらよいと思っています。

自分のしたいこととほかの人が望んでいることが一致するというのは多くの存在の願いでもあり、皆さん方一人ひとりの願いでもあるでしょう。自分が思ったとおり、行動しても、ほかの人はそれを認めてくれなかったり、ほかの人の思いと違っているときに、衝突が起こり、争いが起こったりします。自分が思っていることと他人が望んでいることがなぜ一致しないのだろう。Kさん、なぜ一致しないのでしょうか。

(Kさん) 自分の理想と相手の思うところが違うところから生じるのではないかと思います。

自分の理想と相手の理想が、なぜ合わないのでしょう。

(Kさん) 自分は人のためにやることが良いと思いますが、ほかの人は自分のためになることをやりたいという思いからだと思います。


自分は自分のために良いことをする。相手は相手のために、自分にとって良いことをする。これは間違っていますか。

(Kさん) 間違っています。

間違っている。Sさんはどう思いますか。自分は自分のために良いことをする。相手は自分にとって良いことをする。これは間違いでしょうか。

(Sさん) 場面によって違うと思いますが、その人自身にとっては間違っていなく、正しいことだと思います。でも人を介した場合や二人以上になった場合、それは間違っている場合もあると思います。

例えば、間違っている場合として、具体的な状況を造るとすると、どういう場面が想定されますか。

(Sさん) ...

では、先に言ってみましょう。ある人間がいて、お腹が空いていて、どうしても何か食べたい。たまたまお店やさんの前を通ったら、食べ物がある。それを取って食べた。お店やさんの方は、当然、盗まれたと思って、相手を責める。でも、お腹が空いて食べた者は、生きるためにそれを手にして、自分の人生をながらえようとした。あなたはどう判断しますか。

(Sさん) ...

難しいですね。Mさんは意見、ありますか。

(Mさん) 取る前に、事情を話して、食べ物がほしいということを説明したら、うまくできたと思います。

Tさんはどう思いますか。

(Tさん) 相手の望んでいる立場を理解できなかっただけで、どちらも間違っていないと思います。

相手の考えを自分が理解できずに、自分が自分の行動をとって、相手から責められてしまう。これは皆さん方の日常でもよく起こることだと思われます。そしてそれを回避しようとして、相手の考えをなるべく理解して、相手の思うように自分が行動しておくと、トラブルが起こらないようになる。これが皆さん方の普通の生き方だと思われます。したがって相手のことを考えるというのは、自分と相手との間のトラブルをいかに少なくするか、対立をいかに少なくするかという観点からつくられた生き方だと解釈して良いでしょうか。ほかに何か意見、ありますか。

(Tさん) 大方、当たっているとは思うのですが...

もう一度、整理しましょう。ほかの人の心をなるべく理解したいという気持ちはどこから起こるのか。トラブルを起こしたくないから、相手の気持ちを理解して、相手の気持ちに合うようにしておけば、問題は起こらない。だから相手の気持ちを理解して、そしてうまく持っていきたい。これが皆さん方の普通の行動なのですか。何か、意見のある方。

(Kさん) 疑問が沸いてくるのですが。

どういう風に疑問が沸いてくるのでしょうか。

(Kさん) 人のものをほしがるということ自体に問題があると思うのですが。

なぜ、問題があると思うのですか。

(Kさん) 与えることがまず先にこなくてはいけなくて、自分からほしがるということが問題なのだと思うのですが。

では先ほどの例で見た場合に、お腹が空いた人がきたときに、先にお店やさんの方からものをあげるのが良い、という風に考えて良いのでしょうか。

(Kさん) そうではなくて、ほしがるということ自体に問題があるのだと思います。

今、話し合っているテーマとは少しずれてきますので、それはそれで別問題にしておきましょう。今は、ただ、相手の心を理解したいという気持ちはどこから起こるのか、単にトラブルを避けようとして起こるのでしょうか、と聞いております。Sさん、どうでしょう。

(Sさん) まだ、考えがまとまっておりません。

はい。まず自分の雰囲気、言葉にならなくてよろしいですが、雰囲気や直観として今、聞いていることに対して、合うか、合わないか、単純に言うと、どういう感じになりますか。Mさんは何か、意見、ありますか。

(Mさん) まさに、トラブルを避けるためといえば、そうであったと思います。それで良いのかと聞かれると、もう一つ先に進んだ考え方が必要なのではないかと思います。

では、もしあなたがほかの人の心を全部読めたとした場合に、何も問題なく人生を送ることができますか。

(Mさん) 本当の生き方というのは、トラブルを避けるということではなくて、もう少し、壁を取り払うとかが必要だと思います。

ということは、相手の心を理解するということは本質的ではない。

(Mさん) いゃ、本質的なことだと思いますが、トラブルを避けるためだけということではないと思います。

では、何のために相手の心を理解するのでしょう。

(Mさん) 自分と相手が同化するためだと思います。

どうして。

(Mさん) これからの人間は特に自分も他人も同じように考えられるようになるものだからだと思います。

それはある意味では、べき論、理想論ですね。

(Mさん) そうですね。

本当に心から感じている意見ではなく、どちらかというと、そうであるのが望ましい、そうであったらよいという波動に思われますが、どうでしょうか。

(Mさん) そうなりたいと思っているんです。

Sさんはどうですか。

(Sさん) 今、考えると、あくまでも理想であって、本質的なものとはだいぶ違って、方向がずれていく性格のように思います。

あなたはほかの人の心を全部知りたいという気持ちはありますか。

(Sさん) 知っていたら大変で、身動きできなくなりそうです。

どうして。

(Sさん) 気を遣って、それだけで疲れて、...

余計に気を遣ってしまう?

(Sさん) 自分自身をなくしてしまう。その人の考えだけで、いっぱいになってしまう。

Tさんはどうですか。

(Tさん) 私は人の心が分かっても分からなくても同じだと思います。

何も変わらない?

(Tさん) 分かったら分かったで、確かにその人が今、望んでいることが言葉を通さずに分かるので、理解してあげて応えてあげることができるけれども、私が望むことというのもあって、いつもいつも相手に合わせてトラブルを起こさないようにだけ生きるということはできない。私がトラブルを起こさないだけに生きるのではなく、なぜ理解したいのかというと、その人が好きだから、その人と同じ感情を味わったとき、とても嬉しいから。分かっても分からなくても、私がその人のことを分かりたいと思って、相手ももし分かりたいと思ってくれているなら、何も変わらないと思います。

何も変わらない?

(Tさん) 私の態度は変わらないと思います。

行動の仕方が変わらないということですか。

(Tさん) 見えるには見えても良いと思います。

相手の心が分かっても、それはそれで構わない?

(Tさん) はい。

Kさんは何か、意見、ありますか。

(Kさん) 相手がほしいと思ったら、すぐにあげるのがいいんじゃないかと思います。

あなた自身の存在価値はどこにありますか。

(Kさん) ...

相手がほしいと思ったものをすべて与えてあげる自動販売機と思ってよいのでしょうか。

(Kさん) 相手の本心を読み取れれば、私は良いと思います。

本心を読み取る?

(Kさん) どういう心でそれを望んでいるのかということが分かれば。

あなたはそれが分かりたいのですか。

(Kさん) 分かった方がよいと思います。

分かった方がよい?

(Kさん) はい。

Sさんはどうですか。ほかの人の本心を知りたいと思いますか。

(Sさん) 今はあまり知りたいとは思わない。

Tさんはどうですか。

(Tさん) 知っても良いと思います。

Mさんはどうですか。

(Mさん) あまり知りたいとは思いません。

ほかの人の心を知りたいと思う人、それを知ることによってどのような変化が起こりますか。

(Tさん) 相手が望んでいるものと私が与えられるものが一致しているときに、与えることができると思います。

もし、一致していなかった場合は?

(Tさん) 与えられない場合は、私は今の段階では与えないと思います。

相手が強く望んできた場合は?

(Tさん) 私が渡したいと思ったら渡します。でも、思わなかったら、渡さないでしょう。

そうすると、争いが起こりませんか。

(Tさん) 起こらないと思います。

相手が強く望んできても?

(Tさん) 相手がなぜ、それを望んでいるのかを理解してあげたいと思います。その上で、自分がなぜそれを渡せないのかということも話したいと思います。

一般に人間が何かを望む場合には、単純な動機ではなく、そこに至る長い長い人生から得られることがほとんどです。それを無理矢理一言二言で話しても、納得できる場合があれば、それだけでは納得できない場合があるでしょう。往々にして納得できない場合は、何十年もの長い人生観からいろいろと考えが及んできたものです。人によっては宗教的な教え、人によっては両親からの特別な概念、人によってはお爺さんやお婆さんからの教え、いろんなものによってその人の考え方が造られてきております。したがって人間が何かを欲する場合、実際には単純な動機ではなく、それまで人間に影響を与えてきたいろんなものが背景となってその人の欲望を造り上げていきます。それを本当に理解しようと思うと、その人の人生すべてを理解せねば、本当に理解できない場合があります。あなたはそこまでして、本当にその人を理解しようと思う気持ちがありますか。

(Tさん) したいと思います。

Kさんはどうですか。

(Kさん) まぁ、現実のところだけを見て判断しますけど、そのすべてを理解しようと思ったらかなり手間取りますし、その場においては応じきれないこともありますので、とりあえずはしたくてもできないものと思います。

ということは不十分な理解のままでその場を治めてしまうという風に解釈して良いのでしょうか。

(Kさん) 現状の意思自身がどのような希望かによるので、すべてを理解するまではいかなくてもしようがないと思います。

相手の希望と自分の思いがまったく違っていて、相手を理解できない場合、それはそれで構わないという風に理解して良いのでしょうか。

(Kさん) そうならざるを得ないかと思います。

Tさんは徹底的に最後の最後まで理解しようと思っている。そう解釈して良いのですね。

(Tさん) したいと思っています。できるできないに関係なく。

今まで皆さん方の生きてきた人生の中で、本当に相手の心を理解し、自分が納得するまで相手と話し合ったという経験はどれだけありましたか。

(Kさん、Mさん) ほとんどありません。

(Tさん) 私は一、二度、あると思います。ただ、理解できたかどうかは...

ほかの人の心を本当に理解しようと思っても、それを理解するのはとても大変なことです。言葉という手段を使ってコミュニケーションをとっても、言葉自体が相手にとっていろんな先入観や思いが造られてしまい、話し手の思いとそれを聞いた側とではまったく別の概念が造り上げられてしまったり、また話し手自身の本当の気持ちが相手に伝わらず、表面的にしか伝わらないケースがあります。どれだけ本当に話し手側の内容を理解し、すべてを解釈しようと思っても、普通はそのホンの一部しか相手には伝わりません。それはさらに内面まで奥深く知ろう知ろうとしても、さらにその内面を表す言葉自体が存在していないために、言葉を非常に選んでしまったり、別の方法で伝えようとしたりして、うまく相手に伝わらないもどかしさばかりが表面に出てきます。

またいちばんの問題として、話し手自身が必ずしも自分のすべてを理解していないことがあります。途中から話し手自身が自分でも何を言っているのか、分からなくなったり、適当に自分でそう思い込んでいたり、あるいは親やほかの人間から誤って伝えられたことを真実と思っていたりして、自分が本当だと思っていた自分の心が実際には本当ではない場合もあります。その場合には、どのようにして相手の本心を理解したら良いのでしょうか。Tさんはどのようにして相手の本当の心を理解しようと努力しますか。

(Tさん) その人がどんな観念を持って、どんなときにどんな感情を出すのだろうということを見ていくと思います。

感情をいろいろ調べていって、そこから本心を探り出すというやり方をとると解釈して良いのでしょうか。

(Tさん) 感情だけではなくて、その人から得られる情報をいつもいくつもたくさん得て、そこから辿り着きたいと思っております。

Sさんの場合、本当にその人の本心を理解しようと思ったときにはどのような方法でその人を理解していきますか。

(Sさん)  目を見て、あとは雰囲気ではないですか。

Kさんはどういう方法を使いますか。

(Kさん) 今はまだできないんですけれども、????的に見て判断していきたいと思います。

Mさんは何か方法がありますか。

(Mさん) 私も雰囲気とか目とかを見て判断します。

Tさん、何か新しい考えが浮かびましたか。

(Tさん) 私も、目に見えない、感じられる雰囲気も大事だと思います。

多くの人が相手の本心を見るときに、顔の表情を観察したり、思いや直感的なもので探ろうとしております。相手の本心は、自分の本心からでないと分かりません。自分の本心がどれだけ分かっているか。相手の本心を人間の目や耳や手や直感的なもので探ろうとしても、それは本心ではないのです。その人の単なる表情の一つであったり、言動の一つであったり、自分が感じとった雰囲気にしか過ぎません。それは相手の本心とは違います。なぜならば、自分の本心と自分の表情を比べたら、分かるものと思われます。でもほとんどの場合、自分でも自分の本心がつかめておりません。自分の本当の心はどうなっているのだろう。

多くの人が、やはり人前に出ると表情がこわばったり、緊張したり、話し方がうまくできなかったりします。でもそれは本心とは別問題です。本心そのものは、周りの環境や人の前だとかあの人の前だとかいうことに左右されません。むしろ左右されないものを本心といいます。どこに居ようとも、誰と出会おうとも、どういう状況にあろうとも、変わらぬものが本心です。皆さん方はその本心を探ろうとするときに、表面的な感覚で受け取ったものを基準にして、本心として解釈しようとしていたようです。まず、今のところで、Sさん、どう思いますか。

(Sさん) ...

おそらくSさんにしても、いつ、どこでどういう状況にあろうとも、本心そのものはそんなに変わらないものと思われます。でも、今のこの一瞬一瞬、表情は変わり、考え方は変わり、汗や体温の出方も変わっているものと思われます。何が本心で、何が本心ではないのか。少し、お分かりになりましたか。

(Sさん) ?(テープでは聞き取れず)

どうすれば、分かるのでしょう。相手が本当に何を考えているのか。自分の本心をつかめない人が、どうしてほかの人の本心をつかめるのでしょう。自分の変わらぬ本心、人の前に居ようが、一人で居ようが、好きなことをしていようが、イヤな人に出会おうが、変わらない自分の心を自分で見つけた人、どれだけいますか。何となく、雰囲気を感じている人はいますか。まったく分かりませんか。

(Tさん) 何となく感じます。

何となくは感じましたか。どんな本心でした?

(Tさん) 愛を探している...

愛を探している。Kさんはどんな感じでした。

(Kさん) 人のために役に立つことを考えています。

Mさんは何か、見つけたものがありますか。

(Mさん) 私が私でいるというだけのことは変わらない。

ほかの人の本心を見たときに、ほかの人もただそこにいて、ただ満足しているものを見つけたときに、それはその人の本心ですね。Tさんから見たときに、ほかの人の心の中に、一生懸命、愛を求めているものが感じられた。それはその人の本心と解釈して良いのですね。

(Tさん) 良いと思います。

Kさんの場合、ほかの人が一生懸命役に立とうとしている雰囲気を感じたときに、それはその人の本心と解釈して良いのですね。

(Kさん) ほかの人に対してはなんともいえませんが、自分に対してはそれは本心と思います。

だいたい、皆さん方は一般に考えるときに、やはり今まで身に着けてきた知識や概念でいろいろと話を進めていきます。特にこういう心に関するテーマの場合は、具体的なものがないために、どうしても一人ひとりが自分で概念を造り、それで論理を進めていきます。今の場合は、何が本心かというテーマではなく、一人ひとりが本心というものをどのようにとらえていたのか、本心というものに対してどういう概念を造っていたのか、むしろそれを知るための話し合いでもありました。

ほかの人の本心が理解できたら、自分はもっとうまく行動できるのに。ほかの人の本心が分かったら、もっとうまくサービスできるのに。もっとその人のために尽くすことができたのに。そう思っていたでしょう。でもその人の本心を見たときに、ただ生きていることだけで満足していた。ただ居ることだけで満足していた。それを感じとったときに、では自分は何ができるんだろう。その人のためと思っていたことが、実際にはその人はもう十分に満足していた。

一人ひとりが願いを出して、いろんな欲望を出してきたのは、単なるエゴにしか過ぎなかった。それは本心ではなかったのです。皆さん方は何を知ろうとしていたのでしょう。ほかの人のエゴを知ろうとしていたのでしょうか。本心を知ろうとしていたのでしょうか。Sさんはどうですか。

(Sさん) 本心とは関係なく、今、必要としていること。それが分かれば、お互いに楽しく過ごせると思います。

それはエゴであっても構わないということですね。

(Sさん) 心から楽しければ、エゴであっても構わないと思います。

Tさんはどうですか。 (質問をもう一度、お願いします) はい。その人の本心を知りたい、あるいは相手の望んでいることが知りたいという話がありました。でも実際には人それぞれ望みとなっているものは単なるエゴから来る欲望であったりします。皆さん方がほかの人の心を理解しようとしてみたときに、そこから受け取れるものがその人の単なるエゴにすぎない欲望であった。それでも皆さんはその人のために尽くしてあげたい、その人のためになりたいという話がありました。エゴであったとしても、その人のために、その人の満足することをしてあげたい。そういう考えはどう思うのでしょうか。

(Tさん) それがエゴであったと、もし私に分かる力があったとしても、私もしてあげたいと思うでしょう。

エゴであっても構わないということですね。

(Tさん) はい。

Mさんはどうですか。

(Mさん) エゴであるとはっきり分かったときには、あぁ同じ人間なんだなという風に見るだけで、それでしてあげたいと見るのではなく、もう一つ違うところで何かしてあげられたらなぁと思います。

具体的な行動としてはどういう行動をとりますか。

(Mさん) エゴだとはっきり分かったときには、応えてあげられないと思います。

断るということですか。

(Mさん) はい。

Kさんはどうですか。

(Kさん) 私はエゴを出してくる人は非常に嫌いですから、断っていくと思います。

人間関係のほとんどが実際には自分の欲望をいかに満たすか、自分のエゴをいかに満足させるか、ということで行なわれているケースがたくさんあります。一見、仲のよい人間の間でも、自分のエゴを見たそうとして自慢したり、自分の方が分かっているというプライドを出したり、相手をコントロールしようとします。そしてそれが許せる範囲内のときには自分をごまかして相手に合わせたりしています。許せない範囲に来ると自分が主張し出して、自分の思い通りに持っていかせようとして話を切り替えていきます。実際には一人ひとり、エゴの部分で衝突しており、その力関係によって人間関係が進んでいっております。

皆さん方が相手の気持ちを知りたい。本心を知りたいと言っていたのも、本当は相手のエゴ、相手の思いを知りたいという意味だということにだんだん気がついてきました。でも自分がそういう気持ちを知りたいということは、ほかの人が自分のそういう気持ちを理解することも了解する、認めるということになります。自分がどれだけエゴを持っていて、自分がどういうエゴで言葉を発したか、それをほかの人に知られても構わない。それと同じようにして、自分もほかの人の気持ちを知りたい。こういう関係が成り立っていきます。さて、普通の人の気持ち、エゴであろうともその気持ちを理解したいと思っていた人、自分もそういう気持ちが全部、ほかの人に筒抜けになっても大丈夫ですか。Sさんはどうですか。

(Sさん) 自分としては完全にオープンになりたいですが、ちょっときつい...

Tさんはどうですか。

(Tさん) 私は構いません。

すべて自分がほかの人に見られても構わないということですね。Mさんはどうですか。

(Mさん) 私も見られても構いません。

Kさんはどうですか。

(Kさん) 今、自分に正直に生きるつもりでいますので、そういう点では見られても構わないと思います。ただ90%は見られても、残り10%は秘密にしておきたいという気持ちはあります。

見られたくないというものがある以上、まったく意味はありません。すべて見られても良いのか、それとも少しでも隠しておきたいか、これで聞いております。

(Kさん) すべて見られても良いとは思います。

観念している人が多いようですね。皆さん方は、ほかの人にはでも自分の心のすべてが見られていると思うと、どんな気持ちがしますか。本当にそういう状況になっていたとしたときに、皆さん方の生き方、行動の仕方にどう変化が出てきますか。

(Tさん) 小細工をしなくなる分だけ、楽になると思います。

楽になる?

(Tさん) 私が小さいことでプライドが傷ついたり、自慢するのが好きだったとしても、全部分かっているんだから、相手の人もいちいちそれを気にしなくなると思います。

私たちはあなたのすべてを理解しております。でも中々、あなたは観念しませんでしたね。どうしてだったんですか。

(Tさん) 自分が自分の弱いところを受け入れられなかったんです。

まだ見られては困るところがある、ということですか。

(Tさん) 自分の中で許せなかったんです。

自分で自分を許せなかった?

(Tさん) はい。それが自分の持ち物だということを認めることもイヤだった。

Sさんはすべて見られている人ばかりになったときに、自分はどういう行動に変わりますか。

(Sさん) すっ裸になった感じです。

観念しますか。

(Sさん) はい。

Mさんはどうですか。

(Mさん) そうですね、いろんな思いを巡らすことがなくなるので、明るく、元気に過ごせるようになるでしょうね。

Kさんはどうですか。

(Kさん) 私はもうすでに見られているようなので、別にどうってことないです。

でも、日本人の多くの人が見られては困るところをたくさん造り上げていますね。家族の中であっても、お母さんには見られたくないもの、パートナーには見られたくないところ、子供には指摘されたくないところ、家族の中で共有するものがあったとしても隣の家族には見られたくないところ、友人には見られたくないところ、先生には見られたくないところ、同じこういう学びをしている場の中でもほかの人には見られたくないところ、いろいろ造ってはいませんか。

(Mさん) 正直言って、あります。

そうですね。これをどのようにして、見られたくないものを手放していくのでしょう。少なくとも、そこに意識を向けない限りは手放すことができませんでしたね。まず、そこに気がつくことから始まります。でもほとんどの人はそういったものを本当に手放して、楽に生きていけるかどうか。今の皆さん方の普通の意識レベルの場合、自分の秘密をすべてなくして、すべてオープンにしたときに、おそらく楽には生きていけないでしょう。やはりある程度、自分だけのもの、自分の秘密を持ちたがる傾向があります。

私たちもそれを悪いものとか、否定的なこととかには考えておりません。自分だけのもの、自分の秘密があっても問題はないと考えております。お互いにそれを認め合い、一人ひとりが一応、自分だけの秘密を持っている。それを理解し合った上でも、十分な人間関係は続けられるものと思っております。皆さんはどう思いますか。やはり全部、オープンにした方が良いですか。

(Tさん) 隠しておきたいものは隠して良いんじゃないでしょうか。

Mさんはどうですか。

(Mさん) 全員がオープンであるならば、それはそれで良い世界ができるでしょうが、隠している中で一人だけオープンというのはとても難しいことなので、今の段階では隠してもやむを得ないかなと思います。

では、逆にほとんどがオープンになっている段階で、一人だけ秘密を持っている人がいたときには、あなたはどうしますか。

(Mさん) それはそれで良いと思います。

Sさんはどうですか。

(Sさん) 隠している人がいたら気にはなりますが、それはやはりOKで、その人を認めてあげる。

人に知られたくないところ、自分だけの秘密、なぜこういったものが出来上がってくるのでしょう。なぜそれを秘密にしてほかの人に知られないようにしておこうと思うのでしょう。

(Sさん) 恥ずかしいから。

どういう恥ずかしさが伴いますか。

(Sさん) 周りから中傷されるとか...

でもほかの人がすべてオープンにしていたときには、中傷されるかどうかは本来は自分でも分かりますね。では、なぜ自分だけまだ隠しておくのでしょう。

(Sさん) なんか、執着的な思いがあって...

皆さん方が一般に隠しておきたいもの、知られたくないものを造るときには、自分がほかの人のことを知りたい、知りたいという思いから造られていきます。ほかの人のことを詮索したい、ほかの人の内面をもっと知りたい、という思いが自分の中に、知られたくないもの、隠しておきたいものを造り上げていきます。したがって初めから自分がほかの人に興味を持たず、あえて知ろうともせず、本心を探り出そうともせず、ただあるがままを認めていた場合には自分の心の中にも隠しておくべきものや秘密のようなものは造られてはきません。そう思いませんか。では本心を探ろう、探ろうとしていたことは何だったんでしょう。見られたくないものを造り出すということをやっていたことと、同じだとは思いませんか。難しいですか。逆に、あまりにも簡単で、びっくりしましたか。

人の気持ちが分かって、それを行動に具現化できたら、どんなに良いことだろう。これはある意味では、詭弁であったり、ごまかしの世界であったりします。自分の行動を正当化するために、ほかの人の役に立つこと、ほかの人の為になることをやる。それによって自分は良いことをして、自分は価値のある人間だという評価を自分で付けていく。でもそのためには、相手が何を望んでいるのかを先に確認し、そしてその通りのことをやってあげる。自分はなんとよい人間なのだろう。自分は、相手が望んでいることをしてあげた。

実は、皆さん方の場合、こんなに極端ではありませんが、それでも私たちの考え方からすると、これぐらい極端であるかのように感じられてくるのです。本当は、そんなに皆さん方は極端には考えておりません。もっと自然に、ただその人が満足することをしてあげたい、という程度です。それでも私たちから見た場合には、先ほどの状況のような、とても強い感覚が得られるのです。私たちはわざわざその人のことの為だけに、いろんなことをして、何かしてあげるということはほとんどしません。

太陽を考えてみましょう。一人ひとりのために一生懸命、考えて光と熱を出しているでしょうか。ほかにもいろんな波動を出しております。電磁波や音波のようなものもたくさん出しております。一人ひとりの心を一生懸命、考えて、出しているでしょうか。太陽はただあるがままに自分が光っているだけです。それの必要なものだけを皆さん方が受け取っているだけです。自分がその人のために何かをしてあげる。これは確かに悪いことではありません。特に何かを求めていて、望んでいるときに、それを満たしてあげるのは悪いとはいいません。でもそれを前提にしてしまうと、自分の光はどうなってしまうのでしょう。先ほど、述べたように、自分は自動販売機とどこが違うのでしょう。

皆さん方は光を持っております。生きています。何のために? なぜ光っているのでしょう。それは光だからです。理由はありません。皆さん方は光だから光っている。それだけなのです。さぁ、生きるということはどういうことなのでしょう。少し、ここで休憩をとります。皆さん方で考えてみてください。それではありがとうございました。

A人は生命としての価値は同じだが役割は違う

それでは先ほどの続きを進めたいと思います。自分が何のために存在しているのか。自分がいることによって、この宇宙がどう変わるのだろうか。もし自分がいなかったら、地球はどうなっていたのだろうか。たった一人の人間でも、人類の歴史を根本から変える場合があります。非常に大きな影響力を持つ人が早い時期になくなってそれを地上で実現することができなかった。こういったことがこの地球でも何十万回も繰り返されてきました。生まれてくる段階においてはまだ決まっていなくても、その後の成長によって役割がどんどん変わる場合があります。例えば、皆さん方のように、ここで学びを何度も重ね、宇宙との繋がりが強くなり、エネルギー的な影響力が強くなった人は役割がどんどん変わっていきます。

中には初めに決めてきた役割とはまったく違う役割を演じている人もおります。皆さん方の多くはそれを頭では何も理解しておりません。いわゆる魂というレベルで了解をとっております。それが皆さん方に何の意味があるのだろうか。自分自身に何も理解がなくて、それで本当に自分の意味があるんだろうか。それは皆さん方の成長の度合いによって変わっていきます。まだ自分という概念が肉体人間の中にあると思っているときには、自分の存在価値は肉体人間の存在価値になってしまいます。この人にとっての価値観はお互いの人間関係の中における価値観で自分の評価が決まってきます。

それに対し、自分の意識が魂レベルにつながってきて、自分というものが肉体の人間だけではなく、より高次のレベルにまで自分が影響しているということがはっきり分かっている場合、自分の存在価値は肉体人間だけではなく、宇宙における大いなる生命の一つとして理解が及んできます。この人の場合の存在価値は宇宙の中における大きな大きな生命として認識されてきます。このように一人ひとりの存在価値はその人自身の意識の成長によってかなり変化してきます。したがって皆さん方はただ同じように、生きていることに価値があるとか、母親としての価値があるとか、同じようにくくれるわけではありません。自分なりに今、自分の価値をどう認識しているのか。実はその答そのものが、今、自分がどこまで成長してきたのか、自分はどこまで意識を広げてきたのか、その答と同じことになります。

ここで肉体人間にまだ意識がある人、別にこの人が遅れているとか、低いとかいうことはまったくありません。それ自体に意味があり、その状態でやるべきことがたくさんあるのです。肉体人間の意識として行動する。それでも十分なのです。ただその中で、自分は意識をどんどん成長させていき、いつかの時点で大いなる存在たちと一つになり、皆と一体感を感じるというのを少しでも理解しておくことが必要です。肉体人間のままここで終えてしまうとか、地球から離れたら何もなくなる、という概念だけは造らないようにしておいてください。

一人ひとりの価値観は生命として平等であり、同じです。皆さん方のここの生命は宇宙において貴重な価値を持っており、ただその現れとして役割があります。同じ生命であっても、その次元での現れ方が一人ひとり全部違います。それは現れとしての価値であり、自分だけにしかできない役割が与えられていきます。したがって現れがすべて違う以上、それを比較したり、お互いの間で分類することはあまり意味がありません。皆さん方の価値観は生命として尊いものであり、また一人ひとりの波動は役割として大切なものを持っております。役割の大小を比較したり、高低を比較する必要はいっさいありません。ただその役割をそのまま役割として理解していく。そういう認識の仕方で、ほかの一人ひとりも見るようにしておいてください。


B表現力を学ぶように

私たちはアシュタールコマンドの仲間としてお話をいたします。今日はある宇宙の仲間からお話があり、皆さん方に本質的なことを理解していただこうと思っていろんな問いかけが行なわれておりました。自分の生きる価値、存在理由、そして人間関係、それらにおける基本的なことを理解していただきたいと思い、話がなされました。これからも皆さん方に必要なテーマが与えられると同時に、皆さん方の考え方、意識の持ち方に応じたやり方が行なわれていきます。したがってこれからも表現をする練習、まとめる練習、自分から率先して話す練習、ほかの人の話をよく聞く練習、といったこともここで学ぶようにしていってください。

日本人が表現ということがとても苦手であり、うまく表現できなかったり、ほかの人の言うことを聞かなかったりするケースがあります。自分が何を言いたいのかを的確に表現する。ほかの人が何を言いたいのかを的確に聞き取る。この練習もここで行なうようにしておいてください。難しい言葉を使ったり、高度な話し方をする必要はありません。自分の正直な意見を素直に表現していく。そういう練習の場としてここを使うようにしてみてください。

私たちはこれからの展開によっていろんな仕組みを創りたいと思っております。皆さん方が最後の最後まで私たちと共についてきて、新たなる世界に入れるために、いろんな工夫をしていきます。これからもどのような変化があろうとも、常に自分の光に目を向け、立ち止まることなく、そしてお互いに協力し合って、確実に進んでいくように、学び合いを続けるようにしていってください。

私たちは皆さん方のためにいろんな仕組みを作っております。皆さん方には想像もできないぐらい、素晴らしい仕組みが創られて、いろんな存在たちが皆さん方を見ていたり、調べたりしております。皆さん方が早くそういう存在たちと一緒にコミュニケーションをとったり、新たなる時代に向けて、仲をよくして、楽しい雰囲気でやっていけるような状況にしていきたいと思っております。これからもそういう観点で学びを続けるようにしていってください。


サナンダの仲間です。今、話されていたように、私たちもこれからは何度かここでお話をすることにします。皆さん方と一緒に学べる機会があるのを私たちも楽しみにしております。今日はここまでにいたします。ありがとうございました。


(c)1999 CentralSun
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