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1999/12/19■月例セミナーA[日曜]から

初志貫徹という側面のキリスト意識

@最後までやり通すというキリスト意識の現れ

私たちは日本におけるキリスト意識の現れを管理している仲間たちです。日本において、キリスト意識という現れは忠誠を尽くす、滅私奉公、初志貫徹、不言実行、こういうような言葉で伝えられてきました。一般に日本人の心は、口で説明するよりは態度で示す、行動で示すという傾向がありました。伝えたり、教えたりする場合でも、くどくどと説明するよりは実際のやり方を伝えたり、とりあえずやらせてみて自分でできるようになるまで、そのまま好きにさせておく、という傾向がありました。

自分でやり遂げる、成し遂げるというエネルギーはすぐに身につくわけではなく、何度も何度も挫折したり、放棄したり、諦めたりして身についてくるものです。初めから何もそういう挫折感を味わずにすべてがうまくいくということはあまりありません。初めのうちはいろんな問題に突き当たり、始めからやり直したり、大きな変更を余儀なくされたり、まったく新しい考えでやり抜いたりしてできることがほとんどです。

でも多くの人がそういうやり方を望んではおらず、いつどういう状況でも同じやり方で済ませようとします。自分たちが身に着けようとしているエネルギーをよく分析したとき、自分に一番必要なものが何であり、自分はこれからどう変わっていくのか、自分の流れについてよく理解しておく必要があります。日本人は最後までやり遂げるというエネルギーがだんだん薄くなり、誰かにやらせておく、分かっている人にやらせるという空気がとても強いのです。自分が何かをやるとき、自分の思っていること、やりたいことがどこまで具現化されているか。

キリスト意識は必ずしも絶対的に素晴らしいものではなく、一人ひとりの心の中で初めて輝くエネルギーです。キリスト意識は人間の心の中で初めて明るく輝き、その人の言動を通じてまたよりいっそう光るものです。キリスト意識がただあるからといってそれだけですべてがうまくいくわけではありません。それを使いこなす人間がいて初めて機能するのです。したがってこの地球においても、いくらキリスト意識を引き下ろしたところで、それを使いこなす人間がいなければ、キリスト意識は何の働きもしません。人間がどう使いこなしていくか。

Kazunariさんの今のエネルギーとキリスト意識を見たとき、Kazunariさんのエネルギーでとても面白い現象が起こります。あなた自身の波動の中に、自分自身の成長をもたらすエネルギー、自分が意識しなくても体の中に本質的に備わっているエネルギー、自分が意識することによって自分にどんどんやってくるエネルギー、こういうエネルギーが体にあります。そしてキリスト意識はあなたの体の内面にはまだ完全に順応しきれていない状態にあります。

今のあなたの状態でキリスト意識を定着させ、目覚めさせようとするのであれば、まず自分自身がどういう生き方を望んでいるのか、どういう接し方をしようとしているのか、それを真剣に考えることが必要になります。キリスト意識にもいろんな現れがあり、あなたにはその中のある特別なエネルギーの部分で現れてきます。あなたにとってのキリスト意識は、まず自分自身をいかにつくっていくか、自分が自分であるために何を為すべきか、まずこれが一番身近なレベルとして造られております。

自分自身がキリスト意識になる。あなたの体の中のエネルギーとして、自分自身の眠れるキリスト意識をいかに目覚めさせ、それを活性化させることができるか。自分の求めていたものとキリスト意識がどういう繋がりになっているか。自分の手でそれを見つけることができるようになるでしょう。しかしこのキリスト意識はあなたが本当にそれを身に着け、大切にしたいという思いから造られていきます。自分自身が身に着けている者、それの一つひとつに意識を向け、自分の意識をそこから変えていく必要があります。あなた自身はそれを一人で行なう必要があります。

キリスト意識、これは日本人にはある意味ではとてもやりやすいエネルギーともいえます。自分だけのこと、自分だけのやり方を使うこともできます。自分の心の中のキリスト意識、それを自分のやり方で目覚めさせ、自分のやり方で使いこなせるように、意識を進めていってください。

Suzukoさんの今のエネルギーとキリスト意識の繋がりを見るとき、あなた自身のハートのレベルで急激な変化がみえております。自分自身のキリスト意識、愛、これが何であったのか。これからの自分に向けて、どういう変換が必要であるのか。今、いろんなところに意識が向いております。でもいずれはそれを冷静に分析し、自分に合ったものを取り入れる状況になっていくでしょう。あなた自身の心にはキリストに通じるエネルギーがあります。それは信ずる心でもあります。

あなたの信ずる心はキリスト意識の現れを具現化しやすい状況にあります。しかしこのエネルギーには弱さも伴います。信じるエネルギーの使い方を誤ると、自分の思いとは違う流れに入ってしまう場合があります。自分自身のキリスト意識の現れ、その一つひとつに目を向けたとき、自分という存在とキリスト意識の現れがだんだん見えてきます。今、自分にとって必要なキリスト意識は何であるのか。今までの思いとはまったく別のキリスト意識の思いが沸き起こってくるでしょう。そしてそれは次第に強くなり、自分自身に強さと勇気を与えていくでしょう。


それぞれ自分の心の中に意識を向け、自分の心の中のキリスト意識がどういう状態にあるのか、自分の心とどういう関係を持っているのか。それを調べてもらいます。自分の心の中に意識を向け、自分の心の中に救いを求めるエネルギー、何とかせねばというエネルギー、尽くすというエネルギーがどこまで出来上がっているか、あるいは止めてしまったり諦めたりするエネルギーがどこまで残っているか。それを自分なりに調べてみてください。

一人ひとりのキリスト意識にはまだまだ人間になじんでいないところがあります。完全に自分と馴染ませ、自分がそのキリスト意識の現れとして行動していく。自分が口から出る言葉はキリスト意識の言葉であり、自分が行動する一つひとつはキリスト意識の仕草であり、キリスト意識で聞き、感じたものを伝えていく。そういうキリスト意識を完成させてください。

まだまだいろんなワークが皆さん方に必要でしょう。今、すぐにこれを身に着けるとか、利用できるという風には考えないようにしておいてください。でも、何度か繰り返すうちにそのコツが分かってきて、キリスト意識と繋がりやすい体になっていくでしょう。皆さん方のエネルギー、意識、肉体、これらの集合的なものとして一人ひとりの魂の領域があります。その魂の領域がキリスト意識との繋がりを望んでおります。皆さん方の体を通して実現していく。皆さん方の体を通して、いろんな世界とつながる。自分はそういう手助けをしている、と単純に理解をしておいてください。

キリスト意識を自分の手で見つけたければ、自分の心の中にあるキリスト意識に光を当て、それが実行できるように、うまくいくように常に持っていくことです。キリスト意識と日常の生き方をうまく組み合わせて、自分なりに満足した生き方を進めていってください。それではここで少し、休憩をとります。ありがとうございました。


Aキリスト意識をもつというのは神であり続けること

私たちはキリスト意識の現れとしてお話をいたします。先ほど、皆で作業を進めるときに、つい自分の思いが先走ってうまくいかないときに、コントロールをしてしまったり皆との調和で問題が起こるという話がありました。キリスト意識は正しいと思ったことを貫くことに意味があります。自分の心の中にある正しさ、自分の心の中にある神の現れ、それを貫き通すのです。それは自分が神からやってきたものであり、常にどういう状況にあっても、神であるという証を示すことに意味があります。自分はどういう状況にあっても、どんなことに陥っても神である。自分は常に光っており、常に神からやってきたということを忘れることなく行動していく。常にこれを現しているのです。自分が神であるということを忘れたとき、キリスト意識がそこで消えてしまいます。

自分は常に神である。たとえ周りがどんな状況に陥り、自分の周りにどんなことが起ころうとも、自分は神である。それを貫き通すのです。表現できる状況にはない。うまく進めない。問題が多い。でも自分は神である。その証をしっかりと示すのがキリスト意識なのです。したがってキリスト意識を常に具現化するというのは、神として常に行動するということを意味します。

先ほど話した、最後までやり通す、貫くという波動は、最後まで神であり続ける、初めから最後までずっと神の現れで進んでいくということを意味します。神であることを忘れた途端に別のエネルギーが入り、それ以降のプロセスがまったくおかしくなってしまう場合があります。神を見失った瞬間に判断力が鈍ったり、別の行動をとってもうその人の流れに乱れが生じる場合があります。神を見失った段階で、もうそれ以降がダメになってしまう場合があります。それゆえに初めから最後まで、神としてずっと行動し続ける必要があるのです。それが、最後までやり通す、初志貫徹するという意味と思っておいてください。

キリスト意識が最後まで貫くという意味であるのは、初めから最後までずっと神であるというのを理解し、神であり続けるということを意味しています。したがってただ単純にやりたいと思ったことを最後までやり通すとか、実現させるということ自体に意味があるのではありません。神であるということをどこまで持続できるのか。始めから最後まで神であり続けたかどうか。ここがポイントになってきます。皆で作業を進めている。仲間とうまくいかない。でも自分は最後までこれをやり遂げたい。その時に、自分は神であるかどうか。神として行動しているかどうか。それをまず考える必要があります。

自分が光であり、神であるということは、本来、そこに問題や不快のエネルギーが生ずることはありません。自分が神であるときには、問題は見当たりません。すべてが正しく、すべてが順調に進んでいるのが分かるだけです。本当に自分が神であるときには、問題は何一つ、見えてこないのです。一人ひとり、意見が違う。やり方が違う。でもそれで良いということが分かってくるのです。一人ひとり体験が違い、必要なエネルギーが違います。したがって一人ひとり違う行動をして当然ということが分かってきます。

自分が神であるときに、その人はそういわざるを得ないということ。その人は自分に反論しないとダメだということ。自分と違う意見を言ってこないとダメだということが分かってきます。自分に反論を言ったことで、納得する場合があります。うまくいくとはどういうことなのか。一人ひとりの成長の流れから見たときに、その人の意識の成長に見合っているとき、それを良いことといえるでしょう。ただ単純に造った目標通りに進むことを言っているのではなく、一人ひとりの意識の成長が必要に応じてうまく流れていっているかどうか。そういう風に見ていく必要があります。自分が神になっているとき、一人ひとりの意識がそういう観点から見られるようになっていきます。

それがキリスト意識として現れてきたとき、常にそういう自分の姿勢を始めから最後まで貫き通すということ。自分は常に一人ひとりの意識の成長をずっと見届け、自分も一緒に成長していくということ。これが多くの人と一緒にいる場合のキリスト意識の現れとなっていきます。


キリスト意識はいろんな側面を持っております。今、話されたのも一つの側面であり、さらにいろんな切り口によっていろんな解釈が為されます。それぞれ皆さん方の日々の状況に応じていろんな説明が為されるでしょう。でも決して忘れないようにしていただきたいのは、日本人の一人ひとりにもキリスト意識は養われており、必要です。ただキリスト意識という名前が相応しいかどうかは別問題となります。むしろキリスト意識という名前を使わなくても、先ほどから話されている、神であり続ける、成し遂げる、人の気持ちを理解する、貫く、こういうエネルギーはキリスト意識の現れとなります。皆さん方がそういう観点から新しい意識を造り上げ、今まで自分たちに覆い被さっていた宗教的なエネルギーを振りほどき、一人ひとりが明確な意思を持って進んでいく。そういうやり方で一人ひとりがキリスト意識を具現化できるように進んでいっていただきたいと思います。


Bイエスの弟子すべてが必ずしもイエスと一体化したわけではない

私はイエスとしてお話をいたします。先ほど、私と弟子がいる場合の波動についての説明がありました。私は常に天の光を感じ、天使やマスターたちと共に学びをし、高い波動をたくさん感ずることができました。私のところにやってきた仲間たちは、必ずしも全員が私の光を感じてやってきたわけではありません。ただ単に珍しい、素晴らしい力がある、勧められたから来た、そうやって集まってきた弟子たちもおります。ただ何人かの弟子は確かにエネルギー的に共感するものを感じ、私の神秘性に惹かれてやってきたものがおります。

そういう神秘性から私に近づいてきた者は、常に私とともに成長することができ、肉体を失っても私のエネルギーを使って成長することができました。したがってそうい人間たちは肉体を終えてもそれ以降の世界でそれぞれ素晴らしい役割を演じ、私の分身のようにして活動していた者がおります。しかし多くの弟子は必ずしも私の分身として動くことができず、別の世界に行ったり、私とはまったく違う世界で学びを進めておりました。

あれだけ共に学びをし、私の話を聞いたのにも関わらず、肉体を去ったあとは私と共に居ることができなかったのです。光と共に在り続けるということがいかに難しいことか。その時ほど、私は感じたことはありませんでした。あれだけ長年、共に学びをし、私の話を聞き、感銘を受けたのにも関わらず、肉体を去ったあとは一緒にはいられなかったのです。

これは今の持代にも当てはまるかもしれません。ここにやって来ているいろんな人間たち、私たちの話を聞いて感激し、喜びを感じ、涙を流すものもおります。でもすべてが肉体を去った後に、私たちと共に生活できるかどうか。肉体を去った後、コントロールするのはとても難しいのです。光を見ても光と感ずることなく、真理を目の前にしても真理としてとらえることができません。今のうちに徹底的に光とつながり、徹底的に真理を手にしない限りは、肉体を去ってから手に入れようとしても難しいのです。肉体のあるうちにいかに現実の中から光を手にし、智慧を手にしていくか。その大切さを本当に感じていただきたいと思います。

皆さん方は本当に恵まれております。生きながらにしていろんなことを手にすることができます。肉体を持ちながらも、肉体以外のエネルギーをたくさん身に着けることができます。このすばらしい条件、素晴らしい環境が与えられているのにも関わらず、これをムダに使う人がおります。何ともったいないことでしょう。本当にもったいないという感じがします。与えられた肉体、これを本当に大切にして、光や真理をどんどん手にして、肉体を去ったあとでも私たちから離れないぐらいの強い絆を造っていただきたいと思います。

今のうちに私たちといろんな繋がりをつくっておけば、肉体を去ったあとでも私たちと明確に繋がりを持続させることができます。皆さん方の言葉の一つひとつに光が入っていくと、常に私たちが皆さん方と共にいることができます。皆さん方が常に光の存在として生活するためにも、いまの一瞬一瞬を光で埋め尽くし、常に私たちといるように現実を造っていってください。


C挨拶

今日はキリスト意識、日本人の意識についていろんな話がなされました。一人ひとりの心の中に光がどんどん広がってきております。ここの数時間でも気づいたこと、目覚めたものがたくさんおります。それを本当に有効に使い、大切な財産としてこれからもずっと心の中に持ち続けるようにしていってください。皆さん方がこの光を大切にする限り、私たちは皆さん方と共にいることができます。

皆さん方がこの光を常に手にしている限り、私たちは皆さん方とともに歩くことができます。皆さん方が肉体を捨てても、ずっと私たちと共に居ることができるように、この光をしっかりと持ち続けておいてください。できれば皆さん方が肉体を失ったときに、私たちがお迎えに行き、役割が変わったことを直接、伝えたいと思っております。そしてその後も私たちと一緒に成長を続けていきましょう。ありがとうございました。


(c)1999 CentralSun
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