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2006/1/9■月曜交流会から

一人ひとりの価値観が異なる時代へ

@家族との心のつながりを強くすること

私はオオトノチのオオミカミ(大宇宙大和神、大戸之道)としてお話をいたします。今、地球がどこに向っているのか、一人ひとりがどこに向っているのか。地球がどこに向っているのかを知らずして一人ひとりがどこに向うのかを説いたところで意味をもたさないでしょう。地球が今どこに向っているのか。

この地球上に多くの国々が同時に存在し、交流を通して成長を重ねている。いろんな文化と触れ合い、いろんな知恵を共有し合い、助け合って今一生懸命生きている、生まれながらに貧しいものがいれば、生まれながらに裕福なものもいる、育ちが良い暮らしがあれば、野蛮で貧相な暮らしもある、何故にこれだけの違いが生じ、個人差が顕わになり、貧富の差、学力の差、意識の差が出てくるのか。

地球を一つの国にしたい、それは可能かもしれません。しかし現実に違う民族がいて違う言葉があり、違う宗教がある。一つの国にするということと言語を一つにする、宗教を一つにする、文化を一つにするということはまったく異なるレベルであり、一つの国にするからといって宗教を一つにしたり、言語を一つにしたり、文化背景を一つにすることはまずできないでしょう。

様々な言語が存在し、いろんな国々における社会背景の違い、暮らしの違いがそのまま受け入れられていく、違うものを受け入れるという意識を一つにすれば一つの国は可能になるでしょう。その一つの国の中に地域毎の生活の仕方が異なり、文化が異なり、宗教が異なり、当然教育制度や社会制度も異なってくる、しかし全体を一つ国として管理するルールが存在している、それにより一つの国は可能になるでしょう。

したがって、一つの国にするためには最低限どの民族にも、どの宗教にもどの言葉にも共通のものがルールとなってつくられるべきです。特定の宗教に偏ったり特定の言語に偏ったり、特定の地域に偏ったものは共通のルールにはなりません。今のこの地球上で共通のルールをつくってすべての国々がそれに賛同し、一つの国として現れる時期が来るのか来ないのか、来るならばいつになるのか、そういった流れの方向性を見た上で自分は何をするのか、自分の流れがそこに向っているのかどうか、世界中の国々が一つになる方向へと自分が向っているかどうか、他のものを受け入れる方向へと向っているかどうか。その上で自分が今何をなすのか。

今できることだけをやれば良い、未来のことは考えなくて良い、そういう風に言う人もたくさんいるでしょう。願望や希望を伴った未来は執着をつくり、自分にとって足かせになってきます。しかし自分を成長させるための目標や向うべき方向性のためにつくられる未来は、意味のあるものであり、それは無視されるものではありません。一人ひとりの向かうべき方向性、努力する方向性、自分を強くする方向性として未来というものをつくるのは希望に繋がり、希望は光を呼び寄せます。すべての未来を否定するものは希望がなく、光も見ていないことになるのです。

今だけ考える、今を生きるだけで十分に良い、確かにそういう時もあるでしょう。しかしそれは一般に過去にばかり目を向けてまったく歩けなくなっている人、過去のエネルギーの重さに負けてしまっている人、逆に実態のない未来にばかりすがっている人、期待ばかりしていて努力しない人、そういう人に対しては過去や未来に捉われず今を生きなさいと私たちは言います。

しかしまったく好きなことだけやって努力するつもりのない人、流れにまかれている人、ただそういう人に対してはしっかりとした先を見据え、そして方向性を理解した上で自分の足で歩いていく、光に向ってしっかりと歩いていく、そういう風に説いていきます。あくまでも一人ひとりに対してメッセージは異なり、その人に対して言われた言葉であり、他の人に言われたことが自分に当てはまるとは限りません。

自分がどう言われたのか、今をしっかり生きなさい、そう言われた時自分は過去や未来に捉われ過ぎているということ、逆にしっかり前を見て歩きなさい、そう言われた時はその場その場ただ好きなことだけやって、まったく先のことを考えていない人です。物事は常に二極性を持っており、どちらか一つだけが正しいというわけではありません。

二極性そのものが正しく善であるために、二極性のどちらかだけが正しいとか、片方だけが良いということは有り得ないのです。二つの側面そのものをその時その時にうまく使い分けていく、自分が今どこに向っているのか、地球の向うべき方向性に合っているのかどうか、自分についてよく考えてみる時期に来ているでしょう。

自分が何をして良いのか分からない、どこに向って良いのか分からない、多くの人がそう質問してきます。何をしたら良いでしょう。どうしたら良いでしょう。そういう質問をすること自体が自分を見失っており、まだ自分について何も理解していない人であるためにまず自分を知ること、自分について取り組むこと、まずそれをすることを教える必要があります。何をして良いのか分からないから教えて欲しい、そういう人にこれこれをしたら良いとか、ここに行きなさいとか、これをやりなさいとかいうのは正しい教え方ではありません。

あくまでもそういう人に自分は何者であるのか、今何故自分はここにいるのか、自分はどういう波動を持っているのか、まずはそこに意識を向け、自分自身について取り組むことをやる必要があるのです。自分について徹底的に取り組んでいく、自分はどこから来てどこに向うのか、自分についていくら考えても分からない、考えても考えても何も出てこない、そういう人もたくさんおります。

でも他の人に聞いて分かるものではありません。あくまでも自分のことは自分でしか分からないのです。分からないからといって諦めたりせずに何度でも何度でも毎日毎日自分は何者なのか、自分は何をすれば良いのか、取り組む必要があります。多くの人はすぐに答えを手にしようとする、答えが手に入らないとイライラしてくる、そのうちにむかついてくる、こういう短絡的な行動に走りがちです。

自分について分からないのは当たり前のことであり、イライラしたりむかつく理由はそこにはありません。ほとんどすべての人が自分について分からず取り組んでいるのです。分かったと思った瞬間にまた分からなくなってくる、一度分かったつもりでも後で考えるとやっぱりおかしい、何度も何度も自分について問い直すのです。自分に対して目を向けていない人があまりにも多すぎるのです。

自分に目を向けず他人に目を向ける、他人と比較する、あの人はこうなのに私はまだこれができない、あの人はここまでいった、私よりもこれだけできる、他人にばかり目を向けています。自分がどこに向うのか、何をすれば良いのか、自分の中で自分に向けて質問をする必要があります。

これからさらにいろんな現象が現れてくるでしょう。常識では考えられない事件が起こったり、到底有り得ないことが起こってくる、信じられない事件が起こる、こういうことが段々増えていきます。そうすることによって一人ひとりの意識もこれまでの意識とは違う意識へと変化していきます。

論理で解決できた時代はもう過ぎ去り、論理では解決できない時代になっていくのです。こうだからこうなる、こういう時はこうなる、そういう風に思っていた流れがほとんど意味をなさなくなってきます。今までは当たり前であった出来事が当たり前でなくなり、今まで異常だと思っていた出来事が普通になってくる、そういう流れに入っていきます。

こうすべきだと思っていても周りでは誰一人それを支持しない、どう見てもおかしいと思ったところに他の人全員が賛同する、そういったことが目に見えてきます。自分以外皆がおかしいという風に感じられていきます。しかもお互いがそういう風に感じています。どう見ても自分の判断では自分だけが正しい、他の人は皆おかしい、そのうち全員がそういうようになります。

もはや何が正しいのでしょう。何を基準にすれば良いでしょう。常識、理論、正論、そういったものが何の役にも立たなくなります。何を信ずるのか、正しいということが何であるのか、正しいもの、正しくないものの違いが何であるのか。すでに正しいことを選択したが故に命を奪われたものがたくさんおります。正しいことをしていながら命を取られる、むしろ不正なことをしていた方がたくさん金銭が手に入り、他の人を奴隷のように扱える、不正なことをしている人が裕福になり、恵まれ、豊かな生活を送っている、真面目に正直に生きているものが貧しく、乏しい生活を送っている、一見そのように感じられるでしょう。

これから皆さん方が目にするのはそういう光景になってきます。自分はどうやって生きていくのか。自分は何を基準に生きていくのか。自分の人生は自分でつくらねばなりません。自分で自分を生かしていきます。自分しか自分を生かすものがありません。自分を生かすために必要なもの、自分を生かすこと、それが正しいことになります。

他を生かすことは愛になります。自分を生かすために何が必要なのか。一見不正を行ない、豊かで楽しい人生を歩むことができた。豊かで楽しい、だから正しいのか。正しいか正しくないかの基準が豊かであるとか幸せであるということによって量られることはありません。まったく関係ありません。正しいことをしたからといって豊かになったり、愛され楽しくなるということはまったく有り得ないのです。そこに無理に関連付けようとして混乱が起こり、争いが起こります。

正しい正しくないということと、喜びや幸せ、富、これらは何の関係もありません。正しく生きた、でも貧しかった。それは有り得るでしょう。しかし本当に正しく生きるということは心の中に豊かさがあり、心の中に平和を保つことが真の正しさであり、真の正しさを生きている限りは心は常に平和であり、心は常に豊かです。

自分の心が豊かで心が平和である限り、その人の生き様は平和で豊かな生き様になります。貧しいか幸か不幸かは他人が決めることであり、自分が決めるものではありません。自分が心の中に平和を保ち、幸福感に満たされていても権力や富をたくさん手にしているものから見れば貧しい人生としか感じられないでしょう。

あくまでも価値判断は相対的なものであり、絶対的に決まるものではありません。ただ言えるのは自分自身の価値観は自分でしかつくることができません。自分が自分の人生に本当に価値があった、今自分は幸せである、今自分は豊かである、この思いをしっかり持っている限りその人の生き様は豊かで平和な生き様となるでしょう。他人がいかにどのような反論を述べようとも本人は豊かで楽しい人生を歩んでおります。

日本において人間関係がどんどんギクシャクしてきて、心と心の交流が減ってきた、確かにそうです。以前のように心を大事にするという接し方、家族や兄弟を重んずる考えはかなり消えうせてしまいました。逆に家族間においても争いが激しくなり避けようとする、パートナーでさえも段々面倒臭くなって、心の交流をつくるよりは自分自身の心を大事にする、自分自身の心を尊重する故に他人の心を疎かにし下に見てしまう、自分の心が大事、そういう方向へとどんどん向かっております。

家族や兄弟において心が通じないのに何故まったく違う他人との心が通じ合うでしょうか。絶対一人くらいは私のことを思ってくれる人がいる、私のことを理解してくれる人がいる、そう言い聞かせて自分の心を騙している人がたくさんおります。これだけたくさんの人間がいるのだから誰か一人くらいは私のことを思ってくれる、そうではありません。

皆さん方に一番近い心の持ち主は兄弟や家族なのです。他人になればなるほどその距離はどんどん広がっていきます。本当に自分のことを分かってくれる他人はほとんどいません。一緒に生活している家族が一番近いのです。その一番近い家族との対応が面倒臭い、わずらわしい、いい加減にして欲しい、これで他人との愛が本当に育まれるでしょうか。

心では愛を愛を、何度も口に説いております。毎日のように愛という言葉を口から出しているヒーラーやスピリチュアルな人はたくさんおります。しかしその人の家庭はどうでしょう。家族がバラバラ、ほとんど口を聞かない。でも口では偉そうに愛を愛をと唱えているのです。どこに愛があるでしょうか。家族が面倒臭い、だから他の誰か私のことを本当に理解してくれる人が欲しい、天使さん今どこにいるのでしょうか。

こういう質問が毎日毎日どれだけの人間からきているでしょうか。本当に自分勝手としか言いようがありません。愛は他人を愛するために使われる言葉です。愛してもらうための言葉ではありません。いかに自分が他の人を愛するか、他の人のために自分の光やエネルギーを与えていくか、家族をしっかり保つこと、家族に平和をもたらし豊かにすること、これなくして日本の未来はありません。

日本がどんどんおかしくなっていく、家族がどんどんおかしくなっているからです。家族との会話が減ってきた、家族がバラバラでお互いに何をしているのかもまったく分からない。それで日本をどうかしたいとか、地球を一つにしたいとか言ったところで何の意味があるでしょう。家族をバラバラにして一見楽だ楽だと言っている人が何故地球を一つにすることができるでしょうか。

家族の人間関係がわずらわしいと言っている人に何故日本を守ることができるでしょうか。今日本が危ないと言っているのは物質的、経済的なことを言うのではなく心です。今の日本人の心が完全にバラバラになっており、日本人同士の心の繋がりがないために今後の日本に未来がなくなっています。まったくバラバラの人々でつくられる未来は何でしょう。他人を思いやる気持ちもなく、ましてや他人を本当に愛する気持ち、本当に救う気持ちがどこからやってくるでしょうか。

恐らく日本がどうなろうとも何の気にもしないでしょう。どんどん外国に移り住んだ方が楽になるでしょう。日本という国は心の繋がりがとても重要な意味を持っていました。心でつくられた文化がありました。気持ちを大事にする、思いやり、いたわり、こういったものが核になっていました。今一人ひとりの心の中に思いやりやいたわり、目上の人を尊重したり、年上の人を本当に大事にする思いがどれだけあるでしょう。

意識がどんどん下の方向に降りていく、以前は老人たちは知恵のあるもの、昔をよく知っているものとして大事に扱われてきました。しかしメディアが発達し、情報が簡単に手に入るようになってくると老人の持っていた一人ひとりの知恵は段々軽いものになってきて、むしろ新しい最新の知恵にばかり耳を傾けようとする、そして若いもの、エネルギッシュなものばかりに関心が向いてきました。

日本人は新しいものにすぐに飛びつく、新しいものを価値があるものと思い込んでいます。むしろ古きもの、知恵、一人ひとりが持っている経験にもっともっと耳を傾けるべきです。口から出る経験よりは本やテレビで見た情報を優先する、重みのある体験話よりは薄っぺらな言葉に耳を傾けていく、そういう風潮になっています。

結局自分の人生の情報が薄っぺらなものになり、自分の人生そのものが薄っぺらな表面的な生き方になっていくのです。本当の体験を伴わず、文字や耳で聞いたエネルギーだけで人生がつくられ、味気ない、中身の無い生き方になっていくのです。しかも自分の人生がそういう表面的な人生になっていたとしてもそれは表面的な人生だという実感がないのです。

苦労して身に付けた、努力して身に付けた、頑張って得た、そういったものがほとんどないにも関らず、自分は十分に生きたと勘違いしているのです。何の努力もなくすぐ手に入る、これが良い体験だと思い込んでいます。何の努力もせず何の苦もなく手に入ったものが本当に身に付いているでしょうか。そんなものはすぐに意識から離れてしまい、自分の経験にはなっていません。

経験として頭に残っているもの、体に残っているものは頑張って頑張って手にしたもの、努力して努力して手にしたもの、辛い中で耐えながら手にしたもの、これが残っているはずです。そしてそれがその人の人生を支えています。その人の人生の柱はそこからやってきます。努力せずただ与えてもらう、言われたことだけをする、言われた通りにする、困ったら誰かにやってもらう、そんな生き方をしている人に何の重みがあるでしょうか。

今日本の若者のほとんどがそういう意識になってきて、その意識を見た時、日本の未来はどれだけひどいものか、日本の未来そのものがいかに中身のない未来になっているのか、それにいかに愕然とするでしょうか。中身のない人間からつくられる未来は本当に中身がありません。その場しのぎに口答えをする若者、感覚的に生きて自分ではしっかり理性で判断したと錯覚しているもの、すべてを他人の所為にして自分だけが正しいと思い込んでいるもの、こういったものによってつくられる未来はどんな未来でしょう。

親が子供をしっかりと育てることです。親が子供をしっかりと教育することです。学校の所為ではなく親が子供をしっかり育てる、まずはそれが本当に必要です。家族が大事です。家族を一つにすること、家族でも十分に会話をし、親子兄弟、家族皆の繋がりを復活させ心を一つにしていく、まずは家族から復活させることです。

一人ひとりあまりにも心がバラバラになり、繋がりがまったくなくなっていくのです。心の繋がり、是非それを復活させるようにしていってください。

一人ひとりの波動もかなり変化してきて、これまでの流れで見た時、今年の流れがそのままの思っていた通りにはならないこともたくさん起こってきます。

Akiko.Nさんの今年の流れを見た時、あなたは今までむしろその時その時の感性、感覚を大事にしてきて今改めてどういう方向でどう持っていこうかを考えている最中と言えるでしょう。今年はとても重要な年になります。これまでのそういう意識を筋の通った自分なりの方向性を持った生き方にするための重要な年になります。そのためには一つひとつの物事の考え方、一つひとつの行動の仕方に意識を向けていく必要があります。今までは自分の思いを大事にし、自分の思いはそれはそれで内から出る真実のものとして捉えてきました。しかしそこに何らかの光の方向性、自分を成長させる方向性といったものを考える必要が出てきています。自分を成長させるということ、自分で自分を導いていくという思い、こういったことが必要になってきているのです。今までは自分で自分を導くという意識がなかったために常にその場その場の生き方を大事にしてきました。しかし実際には自分を導くものは自分しかいないということ、そこを本当に意識を向け自分で自分を導く生き方をつくり上げていく必要があるでしょう。それが今年かなり大きなテーマとなってやってくると思われます。

Takeshi.Uさんの今年の一年を見た時、あなたの流れの方向性として今まで自分の感性と自分の理解できる方向性に基準を合わせて生き方をつくり上げてきました。そして自分は自分なりの生き方が段々形つくられてきて、今自分の心の中で一つの明確なものがつくられつつあります。しかし今後学ぶのは、一度出来上がった真実のようなものがすぐに崩れ去り、形骸化し役に立たなくなるということ、そしてまたそれをつくり直し、新しい真実をつくり上げていく、で、真実をつくり上げたと同時にまたそれは崩壊しまったく別の側面を見せてきて、また真実をつくり直す必要が出てくる、これを繰り返すトレーニングが続くことになります。今年はそういった意味でいろんな学びを重ね、自分で理解しながらもまたそれをつくり直し、また構築してはつくり直すということを何回か繰り返すことになります。したがって、自分がしっかりとつくり上げたもの、それを勇気を持って壊していく、勇気を持って破壊していく、それくらいの意識が必要になります。一度つくり上げた真理にすがらず、そればかりに頼ったりせずに全てを崩壊させ、まったく新しい真理につくり変えていく、そういう意識が必要になっていきます。それくらいの大きな気持ちで新たなる真理をつくり直していってください。

Jun-ichi.Mさんの今年の一年を見た時、あなたにはいくつかの流れが見えていて、そのどれを選択するのかそれ自身がまったくあなたに任されています。あなたは自分の力でそれを選択することになります。しかしそれは雰囲気とか直観とか、その時になって分かるというものではなく、もっと強いもので引き寄せる必要があります。自分の人生で本当に必要なものが何であるのか、自分のために本当に必要なものが何であるのか、それを理解しているかどうかを試されているのです。流れを任せるのではなく自分に必要なもの、自分が必要としているもの、それをしっかりと意識しているかどうか、それを意識した時その流れが目の前に現れてくる、そこへ自分の意志で入っていくかどうか、そういったことを今年試されていくでしょう。自分が本当に向っているもの、それは自分が本当に必要としているものか、よく考えて選択をしていってください。

Sachiko.Iさんの今年の一年を見た時、あなたの光にあなた自身が本当に成長したいという思いと、多くの人に光ってもらいたいという思いがはっきりと現れています。本当に他の人のことをいつも考えています。あなたの魂はとても偉大であり、常に多くの人に光を与えようとして考えています。したがって、あなた自身は意識していなくても常に光を求めるものが集まってきます。魂が与えたがっている人間が集まってきて、光を送っていきます。しかしあなたはそれを頭の中で整理しようとしたり、理解しようとして余計に混乱に陥っていきます。頭でいちいち理解したり、論理的に解釈する必要はありません。単純にあなたの所にやってくるものはあなたの魂が光を与えようとしているものであり、また与えるべき人なのです。一人ひとり光の与え方は違います。したがって、何らかの理論でまとめて解釈したり、正当化するよりも単純に今目の前の人にその人に必要な光を与えていく、今接している人に光を与えていく、その場その場で一番最高の働きをしていってください。今年はそれが本当に自分のものになるかどうかのいろんなトレーニングが行われていきます。ついつい頭で考えて混乱してしまったり、目の前の人以外のところに気持ちが向いてしまったり、目の前の人を無視してしまったりすることが現れてきます。そういう時に常に原点に戻り今の目の前の人が自分の魂が光を与えたがっている人、常にそれを思い出して人間関係を維持していってください。

Shigeru.Mさんの今年の一年を見た時、あなたの流れにあなた自身がつくり上げてきた方向性と、自分の心の中で本当に求めている光の流れが表に出てきて、自分なりに今いろんなことを考えている最中と言えます。つまり自分は何をすべきか、どこに向っているのか、自分はどうするのか、今そこにまさしく焦点が集まっています。今年はいろんな体験を通してそれらを一つひとつ本当に自分のものにしていく時期になっていきます。理論や頭での理解ではなく心のレベルで変化していく、魂のレベルで変化していく、そういう時期に入っていきます。したがって、物事の理解を頭で理解するというよりは心でいかに理解するか、魂でいかに理解するか、そこに意識を向けるようにしていってください。

Mami.Mさんの今年の流れを見た時、あなたの流れは全体的に見て少しずつ光がやってくる方向へと変わっていきます。しかし光が多くなるからといって楽になるとか、明るくなるとか、豊かになるとは限りません。光は常に光でないものにしっかりと立ち向かい、光を遮るもの、光から逃げるものに鋭く刺さっていくからです。つまり自分の心の中にある弱さ、心の中にある甘さに光はしっかりと入ってくるでしょう。つまり自分との戦い、自分で自分をしっかりと導く意識が重要になってきます。今年本当に自分に目を向け、自分を心から変えようと思っているところに次々と光が入っていくでしょう。そこに立ち向かい、本当に魂と一緒になって活動していけばあなたの魂はとても素晴らしい光を身に付け、とても強い光の持ち主になっていきます。したがって、自分の弱さ、甘さと常に直面し自分自身にしっかりと打ち勝っていく、自分の心を強くしていく、常にそこに意識を向けてこの一年を進んでいってください。

Minoru.Hさんの今年の流れを見た時、あなたの魂が今いろんな世界で活動を行なっており、肉体からのエネルギーの補給が重要になっています。スピリットのレベルでの活動が多くなればなる程、人間からのエネルギーの補給がより重要になってくるのです。肉体人間からエネルギーを補給するためには肉体人間がスピリットに対してしっかりとした思いを持つことが必要になります。寝る前において瞑想前においてスピリットとしっかりと繋がり、スピリットに光を送る、スピリットを信じていく、スピリットと一体化する、そういう思いを常に持っておくことが必要です。スピリットのことをなおざりにしたり、思いを向けていない時スピリットは肉体からのエネルギーを補給することができずに、スピリットの世界での活動が制限されてしまうのです。スピリットの世界にしっかりとしたエネルギーを送るために常にスピリットのことを意識しておく、スピリットに向けて一体感を感じておく、常にそういう意識を保つようにしておいてください。


今後の日本の流れと皆さん方の今年の流れを見てアドバイスをしてみました。日本といっても地域によって差があり、ある地域の人々にとっては混乱ばかりが続くように感じられたり、ある地域の人にとってはほとんど何も問題なく一年が過ぎ去ったと感ずる人もいたりします。したがって、自分がどういう一年を経験するのか一人ひとり違っているために、日本というくくりでくくれなくなってきています。あくまでも自分の一年が満足できた、自分はこの一年を十分に有意義に生きた、そういった思いをつくることができるように自分の人生をつくっていってください。それではここまでにいたします、ありがとうございました。


A常に他人の幸せを先に考えること

光のハイアラーキーとしてお話をいたします。今日は日本、そして世界に向けて今一人ひとり何をなすべきかを考えてもらうとても良いテーマになりました。皆さん方がこの日本でなすこと、それが日本をつくることになり、そして地球をつくることになります。今自分が何をすべきなのか、何をなすのか、言われたことをするとか、ルールだからそうするとかいうのではなく、まず自分のために必要と思うもの、自分を成長させる、自分をつくり上げていく、自分を自分らしくつくっていく、まずそれを考えた上でそれを多くの人との間で和を保ちながら行なっていく。

自分をしっかり育てるということとお互いに楽しく生活する、これはいくらでも両立することができます。それがうまくいかないのはやはりお互いに自分中心、自分勝手なところがあり、それがぶつかり合っていくのです。一見他人のことを思っているように見えてもどこかで自分が得をするように、自分のためになるようなことを考えていく、結果的にそれが他人を落とし入れたり、他人を災いに導いたりすることになってしまうのです。

何人かの人間関係がある時自分が得をするとか、自分が楽をするのではなく、皆で楽しくやる、皆が得になる、常にそういったことを考える意識が必要になります。自分だけがうまくいくとか、自分が褒められる、自分が一番になる、まず自分が... そういう意識を少しでも取り除いていって、皆で楽しい時間を過ごす、皆で分かち合う、常にそういう観点から物事を考えるように意識を変えてみてください。

今年そういう風に一人ひとりと自分との関係を考え直す時期がたくさんやってくるでしょう。日本人全体はそこに意識を向ける時期に来ています。これまでは自分が良ければ良い、自分が楽しければ良い、そういう流れで日本が進んできました。そしてこれからも益々それは勢いを増していくでしょう。しかしもう皆さん方はそこに目を向け、自分だけが得するとか自分が好きなことをするのではなく、あくまでも地球の向うべき方向性から考えてそれが正しいかどうか、地球が一つになる方向にそれが向っているかどうか、その上で自分の取るべき行動が何であるのか、常に自分の流れをそういった方向から考えるように意識を向けていってください。それではここまでにいたします。ありがとうございました。


(c)2006 CentralSun
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