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2007/3/12■月曜交流会から

コトバは会話と表現に使う

@コミュニケーションと表現

私たちはアルテミスの波動としてお話をいたします。先ほどの皆さん方の話に言葉に関する話題がありました。皆さん方の日常使っている言葉というコミュニケーションの手段は、主に人間同士の会話として使われております。言葉という手段は本来は神々が宇宙を創造する時に使われたパワーであり、神の意志を表現する、クリエーションしていく、形のないものから形のあるものへとつくり上げていく、そういう道具として使われておりました。

もちろん今でも神々はそういう言葉を使ってクリエーションを行ない続けております。それが皆さん方の世界に降りてきた時、言葉の意味がかなり変化してきます。神々が放った言葉は波動を下げるために使われており、神々の元から発せられた言葉が段々波動を粗くして物質化していく、神々と離れた領域において形つくっていく、形として現象化させるために固くつくり上げていく、そういう手段として言葉が使われておりました。

したがって、光を使ったクリエーションとはつくられるものがかなり違っており、光を使うクリエーションと言葉を使うクリエーションではまったく違う世界をつくり上げていきます。言葉を使ったクリエーションにおいては神の意志を粗くさせて固定化させていく、そのためにつくられたものは必ず神よりも波動が低いものであり、いかにも神の中でつくられたものという意味があります。

光を使ったクリエーションの場合、新たなる光を生み出すためにそれまでにはなかった波動がつくられ、神でさえも驚くような新たなるものがつくりあげられていきます。光のクリエーションと音のクリエーションではその作用が全く変わってきます。言葉によるクリエーションが進んでいき、物質化され現象化し、そして人間という生命体が活動し始めていく、人間が言葉を使えるようになる、人間が言葉を使うということはクリエーションを行なうということであり、これは同時に神である姿を現していきます。

つまり人間は言葉を使うようになった頃から神としての活動を始めたと言っても良いでしょう。言葉を使っていない人間、いわゆるテレ:パシックに相手の思っていることがマインドのレベルでコミュニケーションが取られる、実際に言葉というものを使っていない時、皆さん方の中ではテレパシーですべて分かれば、争いもなく平和な社会ができていると思っているかもしれません。

しかし言葉を使わずマインドだけのコミュニケーションにおいて、自分の考えていることがすべて相手に分かるということは実際にはあまりありえないのです。あくまでも一人ひとりのマインドのレベルがかなり異なるために、ただ考えていたり思っているだけでは相手に伝わることはありません。伝えようという強い意志があり、伝えたい内容がはっきり定まっていないと相手には伝わっていかないのです。雰囲気、おぼろげな感覚的なものは伝わるかもしれません。

しかし往々にしてそれは本当に考えていることとは違う場合があります。皆さん方も実際何かを考える時、何かを考えている時に必ず期待や思い、感覚的なもの、過去に同じようなことをした時の思い出、いろんなものがそこに浮かび上がってきます。それは実際に言葉としてつくられているもの、言葉として表現されているものとは別のレベルのエネルギーになります。

そして面白いことにただ黙って相手が何かを感じたりする場合には、感覚的なもの、雰囲気的なものが伝わるだけであり、言葉としての具体的なものはあまり伝わっていきません。考えていることそのものがしっかりと相手に伝わるということはとても難しいのです。皆さん方は日本語という言葉を使ってコミュニケーションを取ります。

ではまだ日本という国ができていない時、日本語という言語システムがまだ地上になかった時、そもそも言葉という手段を通してコミュニケーションが成されていなかった時、どのようにしてコミュニケーションを取っていたでしょう。それぞれは言葉というものがまだできていない、でも何らかのコミュニケーションは必要、どういうやり方でコミュニケーションを取っていたのか。

これはいわゆる皆さん方のハイヤーセルフやその上のレベルでのスピリットに依存してきます。そのスピリットが地球に来る前にいろんなところで体験をし、いわゆる言語的なシステムを身に付けております。それを使ったりあるいはそのスピリットが独自に自分たちの仲間だけに分かる記号的なもの、シンボル的なものをつくり上げ、それでやり取りをする場合もあります。

一般に神々から何らかのメッセージ、あるいはコミュニケーションが必要という時には、神々はいろんな手段を講じていろんな表現を取って現わそうとします。それが歌であったり、舞であったり、光のシンフォニーのようであったり、いろんな状況が非常に美しく、動きを伴い喜びを伴った形で表現されるのです。

躍動的で美しかったり、波動がとても強く感じられてきたり、いわゆる立体映画を見ているような感じの表現が成されてきます。言葉ではなくそういう立体映画のような表現でコミュニケーションが成されてきます。そこに存在しているものはそれを見たり、そこにいるだけで神の思いが分かるのです。

しかし神の思いをどの程度理解するのか、そこで個人差が出てきます。高いマスターや天使の場合には、神の思いをかなり理解することができますが、まだそれ程神の思いに親しんでいないもの、まだ神のレベルに近づいていないものは、単に光と何らかのメッセージ的なもの、アドバイス的なものしか感じないかもしれません。

さらに神の波動から離れているものは、ただ単に神がやってきて何かを言おうとしている、その程度しか分からないかもしれません。つまり神に対しての波動が近づけば近づく程神の思いが分かってくる、したがって、神のすぐ近くにいるものは神の言おうとしている考え方をかなり理解することはできるでしょう。

私たちもまだ今学びの途中であり、神がやってきて神が言おうとしていることのすべてを理解することはとても難しいと思ってください。神の存在がやってきた時、神といってもその時その時によって現れ方がかなり違います。定期的にメッセージを持ってくる時には大きな大きな集まりと、その時その時のテーマに見合った表現の仕方をつくって、非常に大きな勢力でやってきて神の威厳さがまず感じられ、神の放つ光の高貴さがやってきて、そして順序正しく、規則的な表現をしながらメッセージを持ってきます。

まずメッセージの内容以前にそこからかもし出される力強さや威厳さ、素晴らしさ、圧倒的な光の強さに私たちは魅入られてしまい、中々表現のすべてを理解することができない状態になります。しかし時々緊急時に神が何らかのメッセージを持ってくる場合があります。この時には大きな勢力で来るのではなく、一時的に神の似姿のようなものをつくり上げ、それを私たちの前にシンボルとして表現させ、そしてそこからテレパシックに、あるいは何らかの手段を講じて要点だけを伝えようとするやり方を取ってきます。

これはまさしく皆さん方が日常行っている会話に近いやり方とも言えます。しかし一般に神が持ってくる言葉は神から私たちへの一方的な言葉であり、私たちが神に対して何らかの話をすることはまずできません。私たちは神の思いを考えずることはできますが、それしか許されず、というよりもそれしか現象として起こり得ず、私たちが神に何かを伝えるということは現象としてあり得ないのです。

私たちの考えていること、やろうとしていることはおそらくすべてお見通しと思われます。そのためにいちいち神に表現するという現象自体があり得ないと思ってください。私たちよりもかなり優れているマスターや大天使、こういったものたちが私たちにメッセージを持ってくる場合もあります。

この時にはそれぞれのマスターや大天使の特徴がよく分かる表現形態を使ってきます。つまり表現の仕方そのものがマスターや大天使によってかなり異なっているのです。ミカエルの大軍団は明らかに光を放っており、その光の一つひとつが鋭いパワーを持ち、とても光に弱さを持っているものや、正面から光を見ることができないものは、すぐさま逃げ出してしまったり、とても光の前に出ることはできずに怖気づいてしまったり、光を完全に対等に受け入れるものしか、ミカエルの言葉を受け取ることはできません。

そしてミカエルの表現として現わされるもの、とても強い思いが光と共に発せられ、光が放たれると同時にそこに含まれた強い思いが私たちのハートの中に飛び込んできます。光が届くと同時に瞬時にしてミカエルの思いが感じられてきます。そしてその時の思い一つひとつが私たちの体全体を揺さぶり、もうその言葉通りにしか行動することができない、とても逆らうことができないという思いが私たち全体に入っていき、ただひたすらミカエルの言う通りに行動するようになっていきます。

ガブリエルの大天使がやってくる時、ガブリエルの表現形態はまったく異なった表現形態を取ります。ガブリエルは一般に私たちに分からせようという思いがとても強く、伝えるとか知らせるというよりは私たちが自分で分かるように仕向けるというやり方を常に取っていきます。そのために直接的な表現ではなく私たちが知ろうという思いを持った時に分かるようになったり、私たちが何かをしようと思った時にそれができるようになったり、常に私たちが何か意志や方向性を見つけた時にそこで待っていてくれる、そこで初めて教えてくれるという形態でコミュニケーションを取っていきます。

そのためにそういう意識のないもの、ただ与えられるとか、ただ受け取るとかいう意識のものはほとんどガブリエルの話し相手にはならず、成長もありません。常に自分の方から先に理解をしていこう、先に見抜いていこうという意識が必要であり、成長することによってのみコミュニケーションが成されていくのです。こういう波動に私たちはとても喜びを持っており、ガブリエルがくると必ず成長することが約束されていくのです。

そしてガブリエルの表現形態はとても素晴らしく、私たちがその時にテーマとなっているもの、身に付けなければならないものがうまく身に付くように必ずそちらの意識が活性化されるように会話が成されていくのです。そのためにガブリエルは私たちの成長の証でもあり、その時その時の状態によって表現形態がかなり変わってくるのです。

ラファエルのコミュニケーションは又まったく異なっており、多くの人はラファエルは優しくて暖かくて癒しの天使と思われているかもしれません。確かに今の地球人に関してはそういう働きが中心であるために、主に癒しの天使として受け取られて問題はないでしょう。しかし今の私たちの集まりとの関係において見た時、ラファエルは私たちの欠点となっているところを常に補い、補完させようとする働きを現わしてきます。私たちの集まりは今この宇宙を創るための一つの大きなテーマを担っており、特に慈悲や学びのために課題に対して地球人の持つ根本的な愛が不足している人類に対してどのようにこれを作用させるべきか、まだ愛が完全に身に付いてない人類に対しての慈悲をどのようにして表現していくか、今私たちはそれをテーマにこの地球上で活動している最中と言えます。

そうするとラファエルはそういう私たちのグループに対し一つひとつの行動に対しどうやって愛をつくり上げていくのか、愛のない会話において愛をどのようにつくり上げていくのか、そういったことに対するヒントを一つひとつ分からせるように導かれていきます。例えば、今この日本の地において、愛がない状態があちこちに見受けられます。子供たちに対するネグレクト、無視、愛がない状態の一番典型的な例が無視すること、まったく構わないこと、知らん振りすること、これが一番愛のない状態と言えます。

皆さん方がよく憎しみというものを愛の反対に上げるかもしれません。しかし憎しみはある意味では愛の感情をある程度内在させております。ある意味では相手を愛しているあまり愛してくれない相手に対して憎しみを感じてしまう。したがって、相手が自分を愛してくれればそれは強い愛に転化する場合があります。

憎しみはある意味では愛ととても関係のある感情と言えます。しかし無視すること、まったく構わないこと、これは本当に愛がない状態であり、何がどうなっても愛に変化することはないでしょう。こういう愛のまったくない感情や行為、これに愛をもたらすためにどういう活動をしたら良いのか。今ラファエルは私たちに対してそういう観点から導いております。

私たちがいろんな日本の人々を見て、愛がない状態を見た時、まったく無視する、ネグレクトする、構わない、そういう人間関係を見た時、どういう形でも良いからまず相手に関心を向けるような現象をつくり上げていきます。場合によってはわざと落し物をさせて、そしてそれを届けさせてお礼を言わせたり、わざとぶつかるような現象をつくって間違ってぶつかってしまったようなことを起こしていったり、そういう感じでお互いにまったくない感情の状態を何らかの感情が得られるように人間関係をつくったりしていくのです。

そこから二人にどういう関係が生まれていくのか、それまで他人と思ってまったく無視していた存在が実際には親しくなったり、気になったり、お互いに良い関係になったりする場合もあったりします。そういった現象をつくったりする時にラファエルがいろんな手伝いをしてくれます。

他のマスターでもそれぞれコミュニケーションのやり方はかなり異なっており、今皆さん方が言葉によるコミュニケーションをごく普通と思っているかもしれませんが、実際に宇宙の中に目を向けた時、コミュニケーションの仕方はそれぞれまったく

異なった表現形態を取ります。 ただ言葉というものはある意味では、どの生命形態でも身に付けているものであり、一番基本的な表現形態とも言えます。言葉による手段で自分の意志を物質化させていく、思っていることを現象化させるという役割があるために、皆さん方は言葉を言霊として現象をつくり上げてきました。この言霊のパワーは今でも有効ではあります。有効ではありますが、以前程明らかに効果があるというわけではありません。

何故ならば言霊は本来、神のパワーを現わしていたものであり、クリエーションのパワーが必要だからです。皆さん方は人間として言葉を発しております。そのために人間の心に影響していきますが、神の意志を表現することが中々できないという状態になります。人間の意志による言葉の使い方であるために、人間のつくり上げた世界に影響を与え、それが場合によっては相手の心を傷つけたり、人間がつくったものを破壊したりする方向へと繋がっていきます。

これが神のパワーを使う言霊の使い方に変わった時、本当に世界をクリエーションするパワーとなって蘇っていきます。では皆さん方の発する言葉を神の言霊として使うためにはどうしたら良いのか、それは言うまでもなく自分が神と一体化することが必要です。自分の中の神の部分を目覚めさせ、神として行動し神として言葉を放った時、その言葉は神の言霊として効果を現わし、自然のすべてに影響を与えることができるでしょう。

皆さん方が人間として言葉を発している限りは人間の世界にしか影響を与えません。人間の世界というのは基本的に人間の心の現われであり、相手の心に大きな影響を与えていくのです。そのために何気ない言葉でも相手の心にはとても強く感じられていきます。言葉によるパワーの一番の強さは相手の心に影響を与える。喜びを与えることができれば心を破壊することもできるでしょう。でもそれを学ぶことによって言葉の強さ、言霊のパワーを学んでいくのです。

そしていずれ神として行動する時、今度は自然現象そのものを言霊としてつくり上げていく、地球の心にまで影響を与えるようなパワーを身に付けていく、そうやって言葉を使うことになります。皆さん方の日常使っている言葉、単なる会話として使っているかもしれません。しかしいずれは現象をつくるための言霊として使えるようにしていく、何人かの人が一緒になって言霊を使い、一緒になってクリエーションしていく、ぜひそういう手段として使える日が来るのを待ち望んでおります。


Aスピリットの表現

私たちはアルテミスの波動としてお話をいたします。スピリットの表現についてお話をいたします。

Yukari.Kさんのスピリットの仲間たちが使っている表現は、私たちの世界から見た時、光を主に使いながらも、光の中に面白い仕組みを内在させており、光の波動の一つひとつが思いの一つひとつを現わすようにつくられております。したがって、光の色の一つひとつを思いとして受け取ることができ、光を見るだけで言おうとしていること、考えていること、表現しようとすることが分かるようにもなっております。したがって、光をまだしっかりと見ることができないものは言語化して言葉として現わされますが、かなり高い存在たちはいちいち言葉に現わさず、光を見るだけで思いを理解することができます。あなたのスピリットが集まってコミュニケーションを取る時、それぞれの意識体からいろんな光が放たれていきます。それぞれの意識体同士がいろんな光を放ち、それ自体がコミュニケーションを行っております。遠くから見た時それぞれの意識体そのものがしっかりとした意識を持ってコミュニケーションを取り、そしていろんな意識体との中で新たなるクリエーションを行ない、時々全体が一丸となって美しい光を放つ場合があります。全員が一致で一つの意見に賛同したり、全員一致でまとまった時に全体がとても大きな光を発するのです。光そのものがコミュニケーションとなって機能していく、そういう表現形態と思っておいてください。

Madoka.Hさんのスピリットの表現、あなたのスピリットの表現はとても文学的であり、センスがあり、希望があり、美しさがあります。表現手法にとてもこだわりがあり、他のスピリットとは常に違う表現手法を身に付けようとします。既にある表現手法を使うということはほとんどなく、まだどのスピリットも使ったことのない表現手法を常に取り入れようとします。そのためにそれぞれの意識体一つひとつが常に何か新しい表現手法を身に付けようと工夫をしていきます。例えばあるスピリットは複数の光を同時に放ちながらもそこに新たなる思いや希望、未来への流れを表現する時に、常に先へ先へ進むという思いを感じさせながら新しい光が一杯生み出されていく、見ているだけで新しい光が次々と誕生し夢を持って大きくなっていく、こういった表現を取っている存在もおります。また別の存在は常に先へ先へと進ませる思いをまず先につくりながら、先へ行こうという思いに同調した時に光が光り、その時の思いの強さや内容によっていろんな光を生み出していく、こういう存在もおります。そういった意味で何らかの新しいもの、良いものをクリエーションするという、見せるという波動を常に出しながら表現をしていく、新しい表現を取っていく、常にそういうやり方でお互いがコミュニケーションをつくり上げております。

Yukiko.Sさんのスピリットの表現、あなたのスピリットはあるスピリットが何らかの思いを持った時、この思いができるだけ正確に伝わるようにこの思いがなるべくそれをつくり出したものの意図として正しく伝わるように表現することが望まれております。そのために思いを出した初めの意識体が誰であり、どういう理由からそういう思いを持つに至り、そしてその思いを誰にどのようにどう理解してもらいたいかがすべて分かる表現形態を取っていきます。したがって、あなたの仲間の意識体から発せられる思いは、瞬時の思いでありながらもそれがどのような経緯で、いつどのようにつくられ、また誰にどのように理解されてもらいたいのか、その思いがどのようにしてちゃんと届くように仕組まれているか、そういったことがすべて瞬時で分かるような表現となって現わされていきます。したがって思いの一つひとつの中にとても深い意味があり、単に伝えるとか単に表現としてやってきたという簡単なものではなく、そこに至る経緯がすべて入っており、またそれをどう使って欲しいかもすべて入っている、とても深い内容を持った思いの表現となっております。あなたの仲間たちは皆そのような表現形態を取っているために、仲間たちはとても深いレベルで理解し合うことができ、お互いに心の根本的なレベルで理解し合っている仲間たちとも言えます。

Hitoe.Oさんのスピリットの表現、あなたのスピリットの仲間たちは表現をするということにとても喜びを持っており、まずどのような表現形態でも必ず喜びが内在されております。そこから発せられる表現一つひとつがいろんな喜びを表現しているのです。この喜びの表現がとても特徴的であり、どのような喜びなのか、それが実現されることの喜びなのか、皆に理解してもらえるという喜びなのか、あるいは単に今苦痛を伴っているものが開放されることの喜びなのか、いろんな種類の喜びを表現として現わしております。したがって、あなたのスピリットは表現すること自体が喜びに変えようとしていく、喜びをもたらそうとしていく、そういう表現形態なのです。あなたは多くの人の苦しみや困っている人、悩んでいる人にこの表現を使い、そして喜びをもたらそうとする、多くの人に喜びを分かち合わせようとする、そういう風にしてスピリットが働いてきます。自分の持っているこの喜びの表現、ぜひこれを人間の世界でも使えるようにしてみてください。

Shogo.Kさんのスピリットの表現、あなたのスピリットの表現は、あなた自身が何かを感じたり見つけたり分かった時、その内容に応じてその内容がすべてのスピリットにもよく分かるように瞬時にして変換され、それが多くのスピリットに確実に同じように伝わるように表現がつくられていきます。つまりどのスピリットも何かを理解したり、何かが分かった時には、それがすべて他のスピリットにも同じように理解され分かるように表現がつくられていくのです。あるスピリットが分かるとそれで表現すると他のスピリットがすべて同じ理解をすることができる。そういった意味で、ある意味では複数の意識体があってもまるで全員が同じ考え方をしているかのように、あるいは一人が分かればすべて他の人も同時に分かるかのように思われていきます。実際には一つひとつの意識は個性を持った意識であり、単独の存在形式を取っていますが、こういうやり方を取っていることにより全体が一つとなって同じ理解に達しており、同じ認識をすることができるのです。しかし一つひとつの意識体は個性があるために、実際にはいろんな考え方の違い、いろんな行動の違いが存在しております。しかし理解したこと、皆が知るべきことは瞬時にして皆が同じように表現されて理解することができる、そういう仲間の表現形態を取っております。

Kimio.Iさんのスピリットの表現、あなたのスピリットの表現は高い存在の思いを下の方に知らせる、高い波動を下の方の存在の方に伝えていくという表現に特徴のある集まりと言えます。何か問題があった時、解決すべきテーマがある時に、まず全体の一番初めのマスター的なもの、高い波動のものから何らかの思いが流され、それが次の存在によって具体化され、より明確になるようにつくられてから、また下のところに流れていく、またそこで具体化されて一番必要な所へと具体化され表現をまとって流れていく、こういう表現形態になっております。つまり表現の流れが常に上から下へ、意志のあるものから具体化するものへという流れだけになっており、下から上に上がっていくという表現形態はありません。常に一番上の意志を表現する、一番核となっている頂点の意志を表現する、こういう表現形態だけなのです。では同じレベルの存在たち、同じレベルのマスターたちや意識体はどうなのか、同じレベルのマスターたちでは、表現というよりは確認し合う、お互いに連絡し合うという程度のコミュニケーションであり、表現そのものにあまり工夫はもたらされておりません。つまり表現するということと単なるコミュニケーションでまったく違うやり方が行われているのです。表現するという場合には本来の出発点の意志をいかに表現するかというところに意識が動いており、それ以外の単なる確認や連絡においては表現という手段は取らずに、単にお互いが確認をしたり、分かるように説明していく、そういう程度のやり方なのです。ですからある意味では今の皆さん方が通常行なっている会話、それに近いものがいわゆる連絡程度であり、そして皆さん方にはまだ身に付いていない高いレベルからの、神々の表現というものをあなたが既にスピリットのレベルで行っている、そういう風に理解をしておいてください。

Akiko.Nさんのスピリットの表現、あなたのスピリットの世界において表現するということは存在そのものであり、存在形式そのものが表現のすべてを物語っております。自分の存在が既にスピリットの表現を現わしております。したがって、何かを表現するということはあり得ず、存在していること自体が何かを表現しております。スピリットが主に行っているのは人間が何らかの活動をする時に必ず思いを持ち、意識を持って行動しようとします。しかしその時に多くのものが自分が都合の良いように、自分が得するように、自分にとって良い方向へと意識が働いていきます。今の地球においてこの波動がお互いにぶつかり合い、それぞれ自分が得する方向、自分が良くなる方向へともっていこうとしてトラブルが起こっていきます。あなたはそういう波動を一切身に付けずにやってきました。したがってあなたの取っている表現は、自分だけが良くなるとか、自分だけが得するという波動が一切入っていない表現を見せようとしています。一切自分が得することがない、自分だけが良くなることがないという波動を表現した時にそれが他の多くの人からどう思われるのか。おそらく他の多くの人から見た時、むしろ普通の人とは違うように思われるかもしれません。何が違うのか、単純に普通の人は皆自分が得することを考えようとしており、それがある意味では人間としての特性として表現しているのです。あなたはそれを身に付けていないために、他の人から見れば人間らしくなかったり思われているかもしれません。しかし波動はいくらでもつくることができ、特徴はいくらでも表現することができます。あなたはその表現をただまとい、それを普通の生活で現わそうとしております。それを他の人々がどう思うか、どう感ずるのか、それもおそらく期待はしていないでしょう。あなたはただそれを表現するだけです。ただ表現していく、そういうスピリットの形態と思っておいてください。

Namiko.Tさんこのスピリットの表現、あなたのスピリットの世界において、表現という手段がとても強く意識されており、この表現があなたのスピリットにおいて大きな大きな力を持っております。しかし表現するということに目的や意味があるわけではなく、この表現するという行為、これはむしろあなたの得意技としてスピリットのレベルで身に付けたものと言えます。あなたのスピリットの仲間たちはいろんな世界での学びの途中で、表現の仕方によってパワーがまったく異なり、その時々の必要なパワーによって表現を変えるということを身に付けてきました。場合によっては相手には感づかれないようにしながら強いパワーを発揮する表現を取ったり、一見何気ない表現のように思われながら、すごいパワーで現実を変えようとしたり、自分でさえもよく分からないような言動を取りながらも強い力で影響を与えていたりする場合があります。そういった風において現実的なもの、社会的なものに大きな影響を与えるためのパワーをまず調べ、そのパワーに必要な表現を使っていく、そういう表現形態を取っているのです。したがって、表現の仕方が一つというわけではなく、いろんな表現を自由に操っている、そういう形態とも言えます。話し方にしてもいろんな話し方をしてみたり、行動にしてもいろんな行動を取ってみる、そのためにいろんな分野においてバリエーションがとても大きい、変化の幅がとても大きいとも言えます。それだけ多才な表現手法を身に付け、そしていろんな局面において一番パワーの発揮する表現を常に現わしていく、そうすることによっていろんな影響を与えることができる、これがあなたのスピリットの特徴と言えます。

Yoko.Nさんのスピリットの表現、あなたのスピリットの世界においてあなたの表現はスピリット自身が何らかの意志表示をする時、その意志を明確に伝えながらも、その意志ができるだけはっきりと相手に残っていく、伝わるだけではなく、相手にしっかり定着させていく、そういう強さを持った表現を身に付けております。ただ単に理解してもらうとか、知ってもらう、伝えるという波動ではなく、相手の心の中にしっかりと根付くような強さを持った表現と言えます。そのためにあなたと関係したり何らかの表現を感じた人は、心の中にあなたの言葉の重みがずっと残っていたり、言われたことがかなり深く心に刻まれたりしていきます。印象の残る言葉が多いとも言えます。そのためにそれを的確に言葉を選んで相手に表現した場合、相手はとても良い言葉として心に残すことができるでしょう。しかし相手がもしそれに何らかの違和感や不快感を感じた時、とても強い記憶として又それも残されていきます。したがって、相手が今後のために喜びを持って良い記憶として常に残しておける言葉、相手が希望を持つ言葉を確実に選んで表現することが必要でしょう。

Sayoko.Kさんのスピリットの表現、あなたのスピリットの世界において表現するということはスピリット同士の普通のコミュニケーションの手段にはなっておりません。表現はある意味では、一人ひとりの想像、一人ひとりの単なる表現であり、コミュニケーションとしては使われていないのです。それぞれが自分の表現したいことを表現する、自分の現わしたいこと、見せたいこと、知らせたいことをただ表現する、お互いのコミュニケーションは表現を通して行われず、まったく別の形態でコミュニケーションが取られていきます。主に使われるコミュニケーションは、いわゆる波動というものをつくり上げ、この波動を使って知らせたいことを知らせる、伝えたいことを伝える、見せたいものを見せる、こういうやり方を取っていきます。表現するということと通信ということがまったく別のレベルで行われており、表現はただそれぞれが自分の表現したいことを表現していく、しかしスピリットそれぞれは表現の仕方にいろんな特徴があり、それぞれが独自にあまり相手に左右されずに自分だけの表現手法を取っているのです。したがって、自分としては表現よりももしコミュニケーションを重要視するのであれば、コミュニケーションに徹したやり方を取ってく、表現に意識を向ける時には表現だけに特化していく、そういうやり方に慣れているものと思われます。

皆さん方のスピリットの世界における表現、及びコミュニケーションについて話をしてみました。皆さん方の人間としての生活においてどのようにこれが使われていくか、それぞれ得意、不得意があるかもしれません、しかしこうやっていろんな表現手法があり、いろんなコミュニケーションのやり方がある、したがって、言葉だけのコミュニケーションに限定したり、あるいは別の表現に限定したりするのではなく、それぞれが自分の持ち味を発揮し、自分の一番良いやり方を取っていく、自分の得意なものを活用していく、ぜひそういうやり方でコミュニケーション、あるいは表現を楽しんでいってください。それでは少し休憩を取ります、ありがとうございました。


B言葉は喜びを伝える手段として割り切る

私たちはアルテミスの仲間としてお話をいたします。皆さん方が新しい年になり、またさらに新しいテーマに向ってこれから学びを深めていこうとしております。一人ひとりは毎年自分に必要なテーマが与えられており、そしてそのテーマに基づいて流れがつくられております。

お互いが自分の学びを進めている中で、お互いの学びのために必要な場がつくられ、そしてお互いの人生が進んでいきます。一人ひとりは自分の流れで考え判断をしており、相手についていろんな思いを発したり、相手のことに関していろいろ考えたりする場合でも、基本は自分の流れを中心にして相手のことを考えていきます。

一人ひとりはまったく別の流れであるために、自分が思っている相手のことと、相手自身が思っている相手のことでは事情がまったく異なっている場合があります。少しでも相手の事情を理解しようとして言葉を使ってコミュニケーションを取ったり、相手を理解しようとして雰囲気を感じ取ったりしていきます。

しかし相手の世界を理解することはとても難しいものです。いくら言葉でやり取りしても相手の世界そのものが分かるということはまずありえません。それは自分についても同じであり、今の自分の学んでいる世界を言葉で表現しようと思ってもまず表現することはできないでしょう。

結局自分にとって都合の良いところとか分かりやすいところ、簡単なところだけを表現する、そういう表現の仕方を取ってしまうために、その言葉だけで相手も理解しようとしてしまい、結局ほんの少しだけ自分の世界を顧みた感じで理解することになります。言葉によるコミュニケーションが実際にはほとんど完全ではない、理解しているわけではないということを前提に話し合う必要があります。

言葉によって得られたものを前提にすると逆にかなり勘違いをしてしまいます。相手が話してきたこと、相手から聞いたことが実際にはまだほんの一部にしか過ぎない、その人の持っている世界観のほんの一部しか表現していない、常にそういう意識でやり取りをする必要があります。

しかし多くの人がすべてを理解しようとする、完全に理解しようとする、そういう気持ちであるためにしつこくしつこく聞いたりして、できるだけ相手の気持ちを理解しようとします。でも実際にはいくら言葉を尽くしたところで相手を理解することはまずできないのです。

したがって、相手のために何かしようとしてあげた時、言葉で解釈してそれで理解しようとか、言葉で分かったものを何かアドバイスしてあげるとか、そういうことをしてもあまり意味はないと言えます。自分としては言葉はあくまでも波動を伝える手段であり、言葉を通して癒しや愛を流していく、言葉を通して相手に喜びを与えていく、どういう波動を相手に伝えていくか、喜びなのか楽しみなのか、癒しなのか、その手段として言葉を使っていく、言葉は喜びを与える表現として使っていく、そういう風に割り切った方が良いでしょう。

自分の悩みや問題を表現するとか、自分の理解していないことを何か理解させようとするとか、そういう風に言葉を使うと言葉が中々うまく発揮されなくなっていきます。言葉は問題を伝える手段ではなく、喜びや幸せを伝える手段、そういう風に理解して使うように意識を変えてみてください。それではここまでにいたします。ありがとうございました。


(c)2007 CentralSun
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